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電話を鳴らしても良かったのだけれど、やっぱり君には直接伝えたかった。いや、目の前で褒めて欲しかった。男なんて単純な生き物で、好きな娘に「良かったね」「偉いね」「大変だったね」「おめでとう」って言って貰えるだけで幸せになれるのだ。
君の住むマンションに辿り着いて軒下に入るとスマートフォンを開く。送ってから一時間以上経つのにLINEのメッセージにまだ既読はついていなかった。
マンションの入り口はオートロック。でもほとんどまともに機能してなくて、いつも簡単に入り込むことができた。本当は一階のロビーで部屋番号を押して来訪を告げるのがマナーなのだけれど、ちょっとした悪戯心が頭を擡げて、僕はオートロックのエントランスをすり抜けた。三階にある君の部屋に向かって階段を駆け上がる。
三〇二号室――当時、君の住んでいた部屋の前に着いた僕は、君がちゃんと在宅中であることを知って、どこかホッとした。部屋から明かりが漏れていたのだ。
あらためてスマートフォンを開いてみる。やっぱりLINEのメッセージに既読は付いていなくて、僕はきっと君が忙しくしているのだろうと解釈した。夕食を作っていて手が離せないのか、雨の中を帰ってきたばかりでシャワーでも浴びているのか、ネット配信で映画を見ながら感動して涙を流しているのか。能天気な僕が浮かべた想像はそんな具合のものだった。だから二つ目の悪戯心がにょきにょきと首を出した。こっそり入って君のことを驚かせてやろうと。
ノブに手をかけて回す。鍵は掛かっていなくて扉は開いた。「不用心だなぁ」と呟きながら、チャイムも鳴らさずノックもせずに悪戯心とともに僕は開いた扉の中へと足を踏み入れた。
玄関で視線を落とす。そこには君のパンプスに加えて黒い革靴があった。先の尖った、なんだか洒落た革靴。僕が履いている就職活動用のものとはちょっと違う、大人びた革靴だった。紐をほどかれて、少し斜めに脱がれていた。
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