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おまえ自身の気持ちはどうだったのかって?
そんなの決まっているじゃないか。僕はずっと彼女のことが好きだった。
大学のサークルで出会った君には高校時代から付き合っていた恋人がいて、きっと僕の方は一目惚れだったけれど、僕は友達の立場に甘んじるしかなかった。でも、それでも良かったんだ。君の笑った顔は僕を頬を緩めたし、いつも前向きな君の態度が僕は好きだった。二年生になって先輩になると、後輩を思いやる君の優しさは僕の手本だったし、サークルの執行部に君が名乗りをあげたから、僕もその後を追うように執行部入りすることにしたんだ。おかげで色々勉強することができた。
二年生の冬に三年間付き合った恋人と別れて、君は独り身になった。いろいろあったけれど、三年生の春の終わりに僕らは付き合い出した。あの年の梅雨だけが、君と二人で紫陽花を並んで眺めることのできた季節だった。
僕が大学生時代を通じて恋した女性は君だけで、あれから最終面接に合格して就職した会社に勤め始めた後の二年間を含めても、僕が恋した女性は君だけなのだ。
あの日からずっと雨は降っている。やまない雨は降りつづけているのだ。
「――久しぶりだね」
カーキ色のワンピースを服の並びに戻した君が、前を見たままそう溢す。
「うん、外、すごい雨だね。……雨宿り?」
「そう、雨宿り。ちょっと買い足そうかなっていうのもあったから、買い物はついでって感じ。そっちも?」
「ああ。雨宿り」
久しぶりに聞く君の声が鼓膜を揺らす。いつもより沢山の血液が心臓に流れ込んで、冷えた体に溜めた熱を血液に乗せて送り出す。そうだ。君の隣に居るってこんな感じだったっけ。
「会社、ここから近いんだっけ?」
「う〜ん、言うほどでもないけど? 帰り道沿いではあるかな?」
「へー、そっか。学生時代と同じマンションに住んでいるんだっけ?」
「ううん。引っ越したよ。ちょっと、あの部屋には、ずっと住んでいたくなかったっていうか――」
君が眉を寄せて上目遣いでこちらの表情を伺って、視線が合った。
「今は、どのあたりに住んでいるの?」
「場所はあまり変わってないよ? 前のマンションから徒歩圏内。場所自体は好きだったし。あのあたり、便利だし。――そっちは?」
「同じ部屋。通勤圏内だったからさ。就職した時に引っ越す余裕がなかったんだ。――卒業論文が炎上しかけた話ってしたっけ?」
「え〜? 聞いてないよ? そうだったの?」
そりゃそうだ。あの日、君と別れてから、君とそんなことを気安く話す関係には戻れなかった。灰色の感情の中、義務感だけで卒業論文に向かった四年生後期は控えめに言って人生最悪の日々だった。
「そうそう。まぁ、それもあって、入社準備とかしてたら、引っ越すのも面倒くさくなってね」
「そっか。じゃあ、意外とまだご近所なんだね」
「そうみたいだね」
君が戻したワンピースから手を離す。
「ちょっと他の服も見たいんだけど、話しながら見て回ってもいい? もし構わなければだけど? 久しぶりに……その……話したいこともあるし」
「いいよ」
僕も君と少しでも話したいと思うから。
「買い物カゴ持とうか?」
「え、いいよー? ……いいの?」
「『いい』の意味が多義的だな」
「相変わらずちょっと理屈っぽい返しをありがとう。無理しなくていいんだよ? 別にもう今は彼氏じゃないんだし」
「別に彼氏だった時も、無理なんてしたことないよ。持ちたいから持つんだし。あ、そうそう、僕、困っている人を見ると放っておけない善人なんで」
「何それ? まぁ、否定しないけれど」
「あれ。ツッコまれないボケも辛いんだけど?」
彼女の左手から買い物かごを受け取る。
「傘も持とうか?」
「ちょっと、優しすぎじゃない?」
「別に変わらないよ。一本も二本も」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
彼女の手からその傘を受け取る時に、彼女の華奢な左手が僕の肌に触れる。それは確かに君の感触で、その皮膚感覚が僕の記憶を呼び起こす。黒と赤の傘を二本並べて左手にぶら下げながら、僕は君と二人でユニクロの店内を練り歩く。
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