雄也の過去

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雄也の過去

俺の就職を見届けるように母親はこの世から去った。 後部座席、小さな壺の中に収まってしまった母を膝の上に乗せ、流れる景色を呆然と眺めていた。助手席はいつも母の場所、そう記憶していたから、遺影だけを乗せた。最後に家族で車に乗ったのはいつだっただろう。運転する親父が凄いと思わなくなったのは俺が免許を取ったからだ。 「なぁ雄也」 重たい空気の中、白髪の混ざった親父の声が運転席から聞こえた。 「ん?」 「俺が死んだ時にはな――――」 「今はいいよ、そんな話」 自分の妻の葬儀が終わった直後に出た言葉がそれかよ、全くこの男は何を考えているのか分からない。 「いいから聞け!」 「は?」 強めの口調、なぜこんなときに親父と揉めなければならないのか―――― 「俺が死んだ時にはな、母さんみたいに豪華な葬儀はしなくていいからな」 そんなことを今言わなければならないのか、それに決して豪華では無かった母の葬儀、むしろ普通よりもこじんまりしていた方だ。参列者が少し多かっただけで何を勘違いしたのか、親父はドヤ顔に違いない。後ろ姿しか見えないが、喋り方からそう感じとれる。 「は? ……ああ、うん」 反論することも面倒だった。外を見ながら空返事のように返すと、その後の会話はなかった。 遺影の中の母親は、この世の苦しみから解き放たれ、楽しそうに笑っている。 死因は肺癌。 昔から身勝手な性格の父親は、母親を最後まで振り回していた。突然「車を買い換えたから後は任せた」や「明日から旅行に行こう」など、母が金のことを言うと「払いはなんとかなる」の、一点張り。結局生活を切り詰め、なんとかしていたのは母親だった。 「雄也が一人立ちしたら、私は自由に生きる」それが母親の口癖だった。 そんな苦労をしている母親を可哀想に思っていた俺は、高卒で就職して一日も早く母親を自由にしてあげたかった。 内定の連絡を受けた時、俺と母親は跳んで喜んだ。その横で親父は酒を飲んでテレビを見ていた。 「母さん、これで自由になれるんだよな、親父と別れても俺、大丈夫だし」 「もう、雄也はそんなこと考えなくていいのよ」 「おい雄也、お前社会人になったなら、この家に家賃入れろよ」 俺達の中に割って入る親父、和やかなムードがぶち壊しだ。 「分かってるよ、てか俺、すぐこの家出るから」 「ふん、自分の部屋もろくに掃除できないやつが、まともに独り暮らしできるなんて思うなよ」 「っる、せーなー親父こそ、今後のことについて考えろよ、母さん別れるって言ってるぜ」 「お前が心配することじゃねえよ」 そう言うと親父はタバコを咥え、ベランダへ向かった。なんだか言いくるめられた気持ちになって、行き場ない怒りがこみ上げてきた。 母さんの癌が発覚したのは、この一ヶ月後だった――――
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