祝福

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 この国は呪われているのだそうだ。 「今日は六匹だよ」 「おお、お疲れさん。いつも助かってるよ」  釣果の入ったバケツを手渡して、軽く会釈する。愛想笑いでもできればいいんだけれど、どうにも性に合わない。  羽織ったままの合羽から水滴が垂れる。今日は小雨。土砂降りではないので、絶好の釣り日和。  どうせ呪うならもっと派手にやればいいのに、と私なんかは思うけれど、困る人は困るらしい。  十年前に風邪をこじらせて死んでしまった両親が、幼かった私に毎日のように聞かせてくれた話。  昔、大きな戦争があって、国の偉い人に依頼された呪術師が活躍した。洪水を起こして敵軍を押し流したり、旱魃を起こして敵の拠点を干上がらせたりして、国の勝利に大きく貢献したらしい。  けれどその強大な力を恐れた偉い人達は、戦争が終わった日の夜、祝杯に毒を混ぜた。喉を掻きむしってのたうち回りながら、呪術師は怨嗟の言葉を吐き――彼が事切れると同時に、雨が降り始めた。  その日からずっと、雨は降り続けている。  小雨だったり暴風雨だったりと日によってまちまちで、時々雨雲の穴から太陽が覗くけれど、徐々にその時間は短くなってきているらしい。やまない雨に気が滅入ったり弱ったりしていった人からいなくなり、この環境に適応した人が残った。  ずっと雨が降り続いているものだから、水が溜まって大きな大きな『湖』ができた。陸地を取り合って争うよりはと水上で生活することを選んだ人たちがいて、様々な理由で後に続く者が出て――今の私もまあ、そんな一人だ。  次の仕事に取りかかろうとしたが、調理担当の男が「ああ」と思い出したような声を上げる。 「掃除のついでに様子を見てきてくれ、だとさ」 「なんで? あの子の仕事じゃん」 「あいつじゃ報告もろくにできないだろ」  溜息をついて、長柄ブラシを手に取った。  ここは水上、『船』の中。木や鉄やその他名前を知らない物質の塊みたいなもので、『船』と呼ぶにはあまりに不格好だけれど、他に相応しい呼称もなかった。  今この中で暮らしているのは私を含めて十七人。魚を釣ったり、人工光を当てて野菜を育ててみたり、回収して加工した漂流物を陸地で保存食と交換したりして、質素に生活している。  陸地に行くのは週に一回ほど。陸地にも陸地の縄張りがあるので長居はできない。年々陸地も狭くなってきているので、そのうち争いが深刻化するのかもしれない。そうなったら何かと面倒だ。  陸地の人に気に入られて家族になる人もいたし、逆に陸地に嫌気が差して『船』に乗り込む人もいた。大きく人数が増減することなく、『船』の共同生活は続いている。  階段を上って『甲板』に向かう。そうそう腐ったり錆びたりすることはないそうだけれど、水が溜まるのはよくないので定期的に確認している。 「よお、いい天気だな」  足音が聞こえたのか、顔を出したところで声が飛んできた。返事はしない。あまり話さないようにと言われていた。どんな術をかけられるか、わかったものじゃない。  隅に繋がれているのが、ここ数日のみんなの悩みの種。一応雨を凌げる場所を与えてはいるものの、縛られているのににやにや笑っている男はとても気味が悪かった。  漂流していたこの男を見つけたのは私だった。釣り竿で引き上げるのは難しくて、結局みんなに手伝ってもらった。こういう場合は身ぐるみを剥がしてまた『湖』に戻ってもらうのだと決まっていたけれど――男はにやにや笑いながら「自分は呪術師だ」と名乗った。 「なあに、何事もなければ大人しくしておくさ」  真実かどうかはわからないけれど、ひとまず男をどうするかは保留になった。それが狙いだったのかもしれないけれど、下手なことをして呪われるのも嫌だ。もちろん、嘘だったとわかればみんな容赦しないだろう。この国のどこかに呪術師の一族が暮らしているらしく、また自覚はなくてもその素質を持っている人々もいるようで、『相手が呪術師ではないこと』を証明するのはなかなか難しいのだった。  端の方に水が溜まっていたので掃き出す。頑丈な長柄ブラシは重くてすぐに疲れてしまう。釣りは好きだがこの作業はどうも苦手だ。 「雨がやめばいいのに、と考えたことはあるか?」 「なんで?」 「さあな」  含み笑いが苛立たしい。つい反応してしまったけれど、質問に答えたわけではないから平気だと思う。  この状況を楽しんでいるのか、男に逃げ出そうとする素振りはない。拘束される時も抵抗しなかった。「まあ、いいさ。やりたいことが見つけられなくて旅をしようとしていたところだったしな」とにやにや笑いを浮かべていたのが、やはり不気味だった。  男をどうするか、『船』のみんなの中でも意見が割れている。陸地の人々との取引に使えるんじゃないか、だとか、早く『湖』に沈めてしまった方がいい、だとか。私は別にどうでもよかったけれど、選ぶなら男のにやにや笑いから早く離れられる方かなと思っている。  掃除が終わる頃に、よたよたと小さな影が近づいてきた。 「よお、いい天気だな」  男は私にしたのと同じ挨拶を投げる。世話役の子どもが、少し戸惑った様子でぺこりと頭を下げた。手には魚団子が並んだ皿。半年前に陸地から押し付けられた子どもで、災害で家族を失ったショックで口が利けなくなったそうだけれど、よく働くので重宝していた。今もこうして男に食事を運んでいる。 「じゃ、私戻るから。後はよろしく」  声をかけると、子どもは「う」とか「あ」とか言ってぺこりと頭を下げた。何を言いたいのかわからず困ることはあるけれど、それ以外で迷惑をかけられたこともないので別に嫌いではない。好きでもないけれど。  階段を下りる前に振り返ってみると、男は何やら上機嫌で子どもに話しかけていた。こくこく頷くだけの相手にべらべら喋って何が楽しいんだろうか。急に風が強くなってきたので、無駄に濡れる前に中に戻ることにした。 「どうだった」 「あの子に話しかけてたみたいだけど、よくわかんなかった。その前に、雨がどうとか言ってたけど」 「まあいいだろう。どうせあいつはまともに喋れないんだ」  陸との交渉担当の男が頭を掻く。口の利けない子どもなら不用意に情報を与えることもない。そして多分、あいつなら呪われても構わない、と考えているのだろう。  長柄ブラシを片付けに向かう。問い質す義理はない。別に仲がいいわけじゃない。あの子とも、他の人たちとも。  二日後のことだった。 「ああ、あんたか」  その日も小雨だった。掃除をしようと『甲板』に出ると、男に声をかけられた。にやにや笑いは消えていた。何か変だ。足を止めた私へと、男は続ける。 「気が変わってな。ちょっくら、この雨を消すぜ」  なんで?  そう言おうとしたはずだったのに声は出なかった。  縛られていてもそんなことができるのか、疑ってもよさそうだったのに不思議とそんな気分にはならなかった。男の異様な雰囲気がそうさせたのかもしれない。雨が降り続いているのが呪いなら、その逆もきっとできるのだろう。  でも、なんで?  男の傍らに何か落ちているのに気づいた。恐る恐る近づいて確認する。板状の廃材に、釘か何かで引っ掻いた絵が描かれていた。ぐちゃぐちゃのらくがきに見えた。そう――子どもが描いたような。  雨雲のない空の絵。燦々と輝く、太陽の絵。 「そっか」  長柄ブラシを振り上げて、男の頭を殴りつけた。嫌な音がした。体勢を崩したところに、もう一度叩きつける。男は『甲板』に顔を打ちつけて倒れた。何度も、何度も殴った。血が飛び散り始めたのが何回目だったか、数えてないからわからない。  このままでいい。このままでいいんだ。陸地ではずっと私は虐げられていた。たまたま魚を釣るのが得意だったから、ここで重宝されるようになった。ようやくまともに生きられるようになったんだ。だから――このままでいい。雨の降らない世界なんて、要らない。  いつの間にか男は動かなくなっていた。血は雨に流れたけれど、どうにも臭いが消えない気がする。気持ち悪くて長柄ブラシを投げ捨てた。水飛沫を上げて『湖』の底に沈んでいった。  なんだかひどく疲れてしまって、その場にしゃがみこんだ。どうしようかな。怒られるかな。それとも褒められるかな。どうでもよかった。このままにしておいた方がいいのかな。『湖』に落とした方がいいかな。体が重くて、頭が働かない。何もかもが億劫だった。  べちゃ、と不快な音が聞こえた。濡れた『甲板』に何かが落ちた音。面倒だったけれど振り返る。  空の皿を手に呆然と立ち尽くす子どもと、その足元で潰れた魚団子が見えた。  その視線の先には、うつ伏せに倒れた男。割れた頭。 「う? あ? あああああ?」  皿から手が離れたのにも構わず、喚くような声を出しながら子どもは駆け寄ってくる。私には見向きもしなかった。男だけを見ていた。 「ああああ、ああああああああ」  意味を成さない声を上げながら、男の身体を揺さぶる。男は何も反応しない。しゃがみこんだまま、私はぼんやり二人を眺めていた。  二人の間にどんなやりとりがあったのだろう。この子は晴れた空を見たかったのだろうか。この男はやりたいことを見つけたのだろうか。どうでもよかった。  ごう、と轟音がした。にわかに『船』が騒がしくなった。  突如として、『船』の目前に巨大な竜巻が現れていた。この距離では、あの大きさでは、もう避けられないだろう。『船』のあちらこちらから怒号や泣き声が聞こえた。窓を割って『湖』に飛び込んだ人もいたようだった。多分間に合わないだろう。  これは呪いなのだろうか。昔話の呪術師のように、自分が息絶えたらこうなるように仕組んでいたのだろうか。  それとも――そう、この喚いている子どもが家族を亡くしたのは、災害が原因だったじゃないか。その災害は、もしかしたら。呪術師の素質を持っていることに気づかない人もいるから。  でも――もうそんなことどうでもよかった。どうでもよかったのだ。  雨と風に打たれながら、私は笑っていた。  ああ――みんな諸共に吹き飛ぶのなら、それも悪くないのかもしれない。  こんなの、私への罰にはちっとも相応しくないよ。  竜巻が迫る。  全部、全部吹き飛ぶのなら、ひょっとしたら雨雲も流れていくのだろうか。竜巻が去った後には、青空が広がっているのだろうか。別に見たいわけじゃないし、その頃には私はもういないだろうけれど。 「それでも誰かの夢は叶うのかな」
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