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愛しのレディ・ボーイ
「タバコ、いい?」
先にシャワーへ行く彼にぼくは尋ねた。
小ぶりなクリスタルの灰皿をぼくに渡すと、彼は腰にタオルを巻いてバスルームへと消えた。
お客さんだから、言わないけどさ。ふつうさ、ぼくのほうが先じゃね?
さんざんあえいで汗かいて、自分とあんたと二人ぶんのもの浴びてさ。オモチャでも遊ばせてやったから、ローションで体がよけいに汚れてんだよ。
順番ゆずれよな。それか、せめて「一緒にどう?」くらい聞けよ。そしたら、あと少しくらいサービスしたよ。
なんせ前払いで、しかもかなり上乗せでもらっちゃったんだから。……だからもんくは言わないけどさ。
タバコに火をつけると思い切り吸い込んで、長く煙を吐き出す。
我慢だ、がまん。
ああ、早く旦那様(パトロン)を見つけたいよ。レディボーイのお店勤めっていっても、もうすぐ二十五。何が、ボーイだ。
さっさと引退したい。マリみたいに。
まあ、マリは格別キレイだったし頭も良かったから、自分の売り時を逃さなかったんだな。
いきなりお店を無断欠勤してそれきりドロンしたけど。店長、カンカンに怒っていたな。でも、遅かれ早かれ、マリはお店から去ったと思う。
マリは飛びぬけていた。ぼくより年下だった。それだけでもうらやましかった。なんたって、若い子のほうがモテる。
それに加えて、生まれつきなんだろうけど、スタイルが抜群によかった。腰の位置が高くて足が長いの。ホルモン注射も手術もなしで、じゅうぶんにきれいだった。女の子みたいにすべすべの肌と柔らかい栗毛色の髪で、声も高め。
街を歩けばタレント事務所からも女の子として、スカウトされるくらいだったから。
たんに細いだけのぼくとは月とスッポンだよ。羨ましすぎて、嫉妬もできない。憧れの存在。Line交換できたときには、ほんとに嬉しかったな。
それも、もう一年近く前の話だもの。
もう一度煙を吐く。
しかしなあ。この人、仕事は何だろう。
かなり、いい部屋だよな。
エントランスはセキュリティがしっかりしていたし、部屋の玄関は大理石で、広く作られていたし、バスルームもマンションとは思えない広さだったし。
シャンプーもボディソープもドラッグストアじゃ見かけないようなボトルに入ったやつ。鏡は曇りひとつなし。掃除が行き届いているのは、今いるベッドルームと同じ。
玄関からすぐのリビングは窓は大きくて、夜景が息を飲むほどだった。おっきな革張りのソファー、ガラスのローテーブル、アイランド式のキッチンと、部屋の隅にはカウンターバー。吊るされたグラスがキラキラ光って、奥の棚には並べられた高そうな酒瓶がずらり。
きっと、ほかにも何部屋かあるんだろうな。
寝かされたキングサイズのベッドには、肌触りのいいシーツと羽毛布団。上質だよ、ぜんぶ。
間接照明の淡い光りの中で、いろんなプレイをさせられたけど。
真面目そうな雰囲気からえらいギャップだった。スリーピースのスーツに、きっちりと整えた髪、夕方すぎに来店したのに、鬚も伸びていなかった。たぶん三十前後なんだろうけど、オヤジ臭さはみじんもなかった。むしろ、なんだか消毒薬のような匂いがした。病院関係者なのかな。
でもさ、えげつないサイズのディルドにバイブを用意していたんだから呆れた。使ったのは初めてじゃなさそうだった。まえからぼくみたいな男の子を買っていたんだろう。
ローションをぬった指を入れるのに、戸惑わなかったし、嫌がるかと思ったら、ぼくを積極的に口でイカせたし。
ディルド、入れてみせて、ってスマホ構えて言われたときは、さすがにちょっと引いたけど。仕事だからね。思いっきりエロく入れたよ。ちゃんと萎えさせずにできた。もちろん顔を隠してさ。ネットに流出はごめんだ。
ぼくがゆっくりと腰を振りながら前をさわると、唾、飲み込んでいたのわかった。
そのあとはお決まりのコース、しごいて口ですって、入れさせて。
キスして、いじられて、あえいで、深く突かれて、時には自分から動いて、ああ、いくいく、ダメやめないで、もっともっと……。
代わり映えしないプレイ。こんなのがあと何年続く?
完璧なからだが欲しい。
お金が手に入ったら、ぜんぶ取る。きれいな体になりたい。マリみたいな。
そんなことを考えていたら、タバコはとっくに終わっていた。
もう一本、と思ったけど止めておいた。だってさ、潔癖そうだよ。ここのマンション、どこもかしこも埃ひとつない。きっとタバコの灰や煙はキライだろう。
羽振りがよさそうな客とは繋がりを持っていたい。気に入ってもらえたら、また呼んでもらえるし、もしかしたらパトロンになってくれるかも知れないから。
そうすると、とたんに手持無沙汰になる。バスルームからは、まだ水の音が聞こえる。
テレビでも見させてもらおう。ベッドの宮台のところに、ちょうどリモコンがあった。赤い電源ボタンを押すと、ベッドの足がわの壁に掛けられたテレビが映った。
ん? あれ? これ、ビデオデッキのほうだった。
録画されていた映像が流れだすと、そこには長い髪の後ろ姿があった。ニットが体の線をあらわにしている。ミニスカート、ふんわりとした裾。あんなんじゃ、風が吹いたらスカートがかんたんにめくれるぞ。細い足は黒い二―ハイ。ピンヒールの銀色の靴がターンした。
足をクロスさせ、手を後ろでくんで体を前に乗り出し、小首をかしげる。
マリだ!
小さな顔、彫がふかくてパッチリとした目。長い髪を耳にかけて、にっこりと笑う。
わけがわからず見ていると、下着姿のがっちりした体格の男性が画面に登場した。マリと口づけをかわすと、スカートを脱がしにかかる。
ああ、そういえば一本だけビデオの仕事をしたって聞いた。がんばった割に、ギャラが安かったから一回で辞めたって言ってた。
へえ、これなんだ。
さすがにきれいだな、マリ。
服を脱ぎ、ちいさな三角形の下着だけつけたマリは胸を両手で隠して、恥ずかしそうに唇をかんだ。
内股にして立っていたマリの下着は、じらすように紐が片方ずつほどかれる。
思わず身を乗り出して、画面を見入る。
小さい。まるで子どものみたいだ。
初めて見たマリのものは小さく、男の手の中に簡単に隠れた。
マリは少女の体に、男性のシンボルがついた完全体のようにぼくには見えた。
その後はお決まりのパターンだ。ぼくがさっきしたような手順を踏んで、マリは男と交わっている。
足を開いて、小さなものを奮わせて。男のものを受け止めて、せつなげに眉を寄せた。
あえぎ声も自然だ。ぼくのように無理して鼻声にしていない。
華奢なせいで、男に乱暴に扱われているようにしか見えない。さまざまな絡みかたに、マリの体折れそうだ。
ここの彼も、きっとマリみたいなのが好みなんだ。だからぼくが服を脱いだら「着やせするタイプだったのか」って、どこかガッカリしたように言ったわけだ。
マリ、男にぐちゃぐちゃにされている。もう声も枯れて出てこないほど。
いつしかぼくの体も熱く火照る。いつの間にか、手の中で自分のものをさわっていた。
硬くなる手の中のものを、入れられたらいいのに。手探りで、さっきまで使っていたディルドをつかむ。マリと一緒に、犯されたい。充分にほぐされたそこは、ローションを使わなくてもオモチャを招き入れた。
「うっ、つ」
ついさっきの行為より、なぜかいい。気持ちが昂る。画面の中のマリと一つになったみたい。
マリの快楽のさざ波がぼくの体まで押し寄せるみたいだ。
前も後ろも、熱くなる。あごをそらし、体を揺らされるマリ。演技とは思えないほど、乱れている。
「んっ、あっ」
い、いくっ……!
心臓が破裂するみたいに大きく鳴った。とたんに腰から力がぬけた。突っ伏したシーツのうえを液体が濡らしていった。彼としたときより、白いものをよほど吐き出した。荒い息のまま、ベッドに横たわる。
ディルドを引き抜くときに、ぞわっとするほどの快感が背骨を駆けあがる。
呼吸が次第に落ち着いて来る。画面のマリは、男のもので顔を汚されていた。流れ落ちる精液をきれいにペイントした指先ですくうと、そのまま口へともって行く。
ぽってりとした赤い唇。指をくわえた姿が、またそそる。
自分じゃ、こうはいかない。汚したシーツをティッシュで拭いた。なんだか自分がみじめに感じた。
こんなこと、ばかりしていて。誰かに買ってもらったり、自分で自分を慰めたり。
マリはパトロンを手に入れたはずだ。ぼくは、どうなんだろう。パトロンじゃなくてもいい。ぼくといっしょにいたい、なんて言う人があらわれるんだろうか。
ひとわたりシーツを拭き終えて顔を上げると、テレビにはまだ何かが写っていた。
なんだか妙だ。さっきのAVとのつながりじゃないみたい。
真っ赤なロングブーツが目に飛び込んできた。カメラはゆっくりと足元から上にあがっていく。
細く白い太もも、小さな布にしか見えないきわどい下着、くびれた腰。
ぼくは眉が自然と寄ってくる。
手の指先から平らな胸、とがった顎。
マリだ。マリが画面の真ん中に立っていた。髪が胸を隠すくらいに伸びている。丁寧に化粧を施されて……首輪を嵌めてる。
「なっ!!」
マリはぎこちない笑みを浮かべ、ショーのモデルがランウエーを進むように、ゆらりゆらりと歩いた。
数歩画面に近づく。
まって。なんで、そんなにあばら骨が浮くほど痩せているの?
もしかして、顔色の悪さは化粧で隠しているのか。
ぼくはベッド下の鞄からスマホを取り出して、マリに電話をかける。コールが鳴っても、なかなかでない。
マリはターンして後ろを向いた。尻の丸みがほとんどない。首輪、それについているリードの先を持っているのは、録画している本人か。
続くコール、どうか、マリ、出て! 願いが天に通じた! カチッと繋がる音がした。
「マリ、どこにいるの!?」
矢継ぎ早の質問に、なんの応答もない。
「マリ、返事して!」
「困るな、勝手にいじられると」
ドアのところに、彼がいた。スマホを耳に当てて。
「さっきのじゃ、満足できなかったのか」
なんで、スマホ持ってるの? みおぼえのあるカバー、それってマリの。
「ほら、もう一回、やろうか?」
わずか数歩でベッドの端まで来ると、動けずにいるぼくからスマホを取り上げた。
肩を強く押されて、ベッドに仰向けにつき倒される。彼はぼくの両肩を強く押さえつけると、そのまま片膝をぼくの胸に乗せた。しゅんかん、息が詰まる。
「ひとりで遊んでいたようだね。ここ、まだゆるゆるだ」
「やぁっ」
さっきまでディルドを咥えていた秘所を、指でまさぐられる。
逆さに見るテレビの中で、マリはうつろな目をしていた。
「マ、マリは、マリは」
「動画って、不思議だよね」
彼は指を抜くと、ぼくを強引に裏返した。後ろ手にねじ上げられた腕の関節が悲鳴を上げる。
「今もいるみたい。ああ、きみはもう少し肉を落とした方が魅力的だよ。マリより年上だろう? もっと痩せて少年のような体になってみせてよ」
耳元でささやく優しい声に、頬が引きつる。全身に悪寒が走り、鳥肌が立った。
ぼくをおさえたままの姿勢で、彼はベッドわきのチェストの抽斗を開けたようだ。
「なに、なにする、き」
「暴れないでおくれ。すぐに楽になる」
その言葉の後にすぐ、腕が撫でられたと思うとアルコールの匂いがした。この、匂い。お店に来たときに、確かに嗅いだ。
「恋人になっておくれ。わたしの理想の」
首を捻じ曲げて見ると、止めることもかなわず注射針が腕に刺さった。叫び声は、彼の手で消された。
体から力が抜けていく。
だから、マリはお店に来なくなったんだ。
たすけて……ぼくの喉はもう声を出せなくなった。
「今度こそ、理想どおりの恋人にしよう」
彼は柔らかくぼくの髪をなでる。もう体は動かない。首に何かを巻きつけられた。柔らかくなめされた革の感触、革の匂い。
画面の中のマリの唇が何度も動く。同じ動きを繰り返す。
今わかった。
マリは繰り返す。声なき声で。
たすけて、たすけて。
ぼくの耳を彼があまがみする。
「愛しているよ、きみ」
ぼくの意識は途切れた。
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