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田原さんの右腕がぷらんとひじから下がただぶら下がっているように見えた。私と別れてからの数十分でいったい何があったのか。腕が折れているようだった。一体どうしたのかと聞いてみると、隣にいる男性、藤越さんがやったと言う。
どうしてそんな人と仲がよさそうに話しているのか全くもって不可解だった。田原さんは藤越さんに悪気があったわけじゃないと言うのだ。世の中には言葉が通じない人間もいるということを示したかったようだと。
「何を言ってるんですか?」
怪我をさせられてもあっけらかんとしているのだから、私に理解できるはずはない。
二人の顔を交互に見るが、表情は読み取れない。
言葉が通じない人間なんてごまんといると田原さんは口にした。
「さっきの母親だってそう。本当にあきれたよ。お金たかりにきたのかってよく言うよな。俺はお金がないと食べ物も買えない。生きていけないから子供の頃もらってただけなのに。自分が稼ぐようになってから、家を追い出されてからあの人からお金をもらったことなんか一度もないのに。本当にそれが血のつながった子供に言う言葉かと」
田原さんは吐き捨てるように言った。藤越さんは何故そんな人に会いに行ったのかと聞くが、田原さんは答えず、こう言った。
「お前の言う通り確かに言葉が通じない人間もいる。母親とは一生わかりあえることはないだろう」
そして、私の方に向き直って言ったのだ。
「お前はどっちなんだろうな」と。
私はそれがどういう意味かわからなかったので、「どういうことですか?」と聞き返すと、田原さんはすごい顔をして言った。
「今ここで選べよ。そっち側に留まるなら、一生俺と関わりのないところで生きていけ。ただし、俺の腕を二度と使い物にならなくなるまで粉砕してからな」
「はい?」
私はつい聞き返してしまった。言葉の意味がわからなかったわけではなく、田原さんが何をしたいのかわからなかったからだ。田原さんはたたみかけるように言った。
「そっち側に留まるってことはそういうことだ。俺が、他人がどうなろうと知ったこっちゃないってことなんだから」
田原さんは左手で私の腕を取り、自分の折れた右腕を掴ませた。そして、「選べ」と言った。私は「痛くないんですか?」ととんちんかんなことを口にしてしまった。
「痛いに決まってんだろ」
それでも田原さんは私から目をそらさなかった。藤越さんが止めようとするが、田原さんは振り払ってもう一度言った。「選べよ」と。
私は田原さんの目をそらすことしかできなかった。
「そんなことできるわけないじゃないですか」
私はこの期に及んでそんなことしか言えなかった。
「ちゃんと選べ。そんなことやる度胸もないって言うなら、おとなしく俺の言うことを聞け」
田原さんはまた私の目をじっと見てくる。これ以上くだらない返答はできないと悟った。藤越さんも黙って私の返答を待っていた。
私はどうして、人を試すようなことをするのかと聞きたかった。でも、そんなことを言える空気ではなかった。
そっち側とこっち側というのは一体なんなのか。自分で直接手を下さなくてもいじめをけしかけたら、そっち側なのか。そして今度こそ自分で手を下せと?
そんなことできるはずがない。
私は仕方なく、
「わかりました。降参です。あなたの言うことを聞きます」と言った。
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