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田原さんは鹿児島に一緒に来てほしいと言った。今日はもう遅いので近くのホテルに泊まると言う。
仕事をやめたばかりで特に予定もなかった私は、田原さんに付き合うしかなかった。交通費やその他は払うと言っていたが、自分で払うと断った。
藤越さんは別れ際に田原さんを心配していた。自分が折った腕を心配するのが不思議だった。最初から折らなければいいのにと思う。
二人の関係が奇妙に感じられた。
藤越さんは腕が折れて生活できるのかと聞いていたが、田原さんは私に手伝ってもらうと言うのだった。まさかそのつもりでわざと腕を折られたのではないかと疑ってしまう。私が断れないような状況をわざと作ったように見えたのだ。田原さんは藤越さんに自分は強かなんだと答えていた。それで納得した。どんな状況になってもそれを利用して行動するのが田原さんという人なのだ。
ホテルに向かう途中、私が藤越さんとの関係を尋ねると、四十四歳の時、つまり今から十年と少し前に井口さんから言われたことがきっかけで出会ったという話だった。それまで仕事を転々とし、長くは続かなかったらしいが、井口さんに「真剣に生きてみろ」と言われて田原さんは三年間その言葉を守って生きて来たのだとか。そしてそのちょうど三年後に先ほど会ったお母さんが来て、ひどい目にあったという。お金を全部むしり取られたとか。
私はどうしてそんな人にわざわざお金を渡したのかと疑問に思った。
田原さんはどうしても母親に逆らえなかったと言った。ずっと小さいときから支配されていたと。立場は違うけれど、それは私も同じかもしれないと思った。母の言葉は絶対だと思っていた時期があった。子育ては洗脳だというけれど、そういう部分も少なからずあるのだろう。そして、田原さんは母親と血がつながっていることが恥だと思っていたと言う。職場に干渉してくるのがたまらなく嫌で、それを退けるために仕方なく有り金全て渡してしまったとか。私は壮絶な状況に言葉が出なかった。
続けて田原さんは淡々と言った。
「本当に馬鹿みたいだよな。家族って何だろうってこのごろ考えるんだ。そんな自分の足を引っ張るだけの家族ならいない方がましだってな。逆らう気力もなかったてのが正直なところかな。絶望していた。人生にも。自分にも」
そして、その環境を変えてくれたのか井口さんだったという。飲まず食わずで生き倒れ、病院に入院したところに駆けつけてくれたようだった。そこから全てが変わったという話だった。教師の仕事も含め、今は人生を楽しんでいると言う。
「お前も人生楽しまなきゃ損だぞ」
と言われたが、どう答えていいかわからなかった。
田原さんはぼちぼちいこうと言ったが、その意味がわかるのはだいぶ後になってからだった。
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