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「雨が降り始めた。この町が消える日も近い」
ケルディは南の空を見上げながらつぶやいた。
そこには巨大な雨雲が迫っていた。
「あれはインドラ?」
雨雲を双眼鏡で見ていた10歳になったばかりの息子のアルカが尋ねる。
「いや、ミズハノメだろう。インドラはもっと東側にいるはずだ」
あの雨の神様たちは世界を彷徨い、豪雨と大水を撒き散らす。
彼らの周りには常に暴風が吹き荒れ、大雨が洪水を起こしていた。
そのため人々は一つ所に長く留まることができない。
ケルディたちは家を移動させる最後の準備を始めた。
外に出していたものをしまい込む。
フロートの亀裂をチェックし、必要箇所を修理する。
陸上移動用のクローラーの動作チェックを行う。
地面に家を固定している支柱を収納する。
各部の水密扉を閉じ、浸水に備える。
それらが終わるとケルディは強まりつつある雨の中、息子とともに町の中央へ出向いた。
そこでは移動の準備を終えた人々がぼちぼち集まり、出発前の挨拶を交わしていた。
「我々はこの地を去る。だがやがてどこかで再び出会うだろう……」
町長が町の解散を宣言する演説をぶつと、皆の歓声が上がる。
町の最後のひとときを飾る宴を皆は楽しみ、やがて強風と豪雨に追われるように家に戻ると各々で街を離れ始めた。
「父さん、今度はどこへ行くの?」
「町長たちと西へ向かう計画を立てているんだ。海峡を超えて別の大陸へ移るつもりだ」
「そこには何があるの?」
「さあ、父さんたちも知らないんだ。だがもしかしたらまだ無事な都市があるかもしれない」
強まる雨はやがて町の通りを川のように水で埋め尽くした。
ケルディはジェネレータの出力を上げるとクローラーを作動させ、嵐の中を行く家々の群れに続いた。
群れは嵐の進路からそれて西へと進む。
程なく地面が洪水で満たされ、家々はその上に浮かんだ。
務めを果たしたクローラーを収納すると、電磁誘導推進機関を作動させる。
再び地面が現れるまでは家は船となって進むのだ。
無線で呼びかけあうが、嵐の中では互いの位置を知ることは難しい。
先頭を行く町長の家の発するビーコンを頼りに、手探りのように嵐の中を進む。
嵐からの逃避行は三日三晩続いた。
地面を覆っていた水は次第に消え去り、家が水底についたあとは再びクローラーで進む。
やがて前方に巨大な水が見えてきた。
「父さん!洪水だよ!」
「いや、あれは海だよ」
適当な海岸を見つけると家々の群れはクローラーをしまって再び水の上を行く。
海の向こうにはかすかに陸地の影が見えていた。
かつて世界から旱魃とそれによる飢餓を根絶するために建造された、天候制御装置を搭載した完全自律型の17機の空中プラットホーム。
だが制御システムが一斉に暴走し、人類の制御を離れて暴風雨を伴いながら今も世界を彷徨っている。
システムの設計ミスとも外部からのハッキングとも言われたが原因は不明。
嵐に守られたそれは、人類の持つあらゆる兵器を凌駕し破壊不能なまま百年以上が経過した。
かつての都市はその嵐によって破壊され押し流されて消え、生き残った人々は水陸両用の移動能力を持った家に住み、嵐を避けて移動しながら暮らしていた。
ときにはそれらが寄り集まって町を作り小さな共同体を形成することもあったが、いずれもやがては嵐に巻き込まれ、それほど長い時間を過ごすことはできなかった。
皮肉なことに、洪水によって掘り返された大地は肥沃であり、人々が畑を作って作物を育てることに困ることはなかった。
荒ぶる雨の神々によって当初の目的である飢餓の根絶はなされたのだ。
人々はそんな世界を嵐を避けて移動しながら暮らしていた。
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