コーヒー時々メロンソーダ

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 窓ガラスはその滑らかな体に絶え間なく水を滑らせ続けていた。容赦なく叩き付ける雨粒が、当たっては落ちて、当たっては落ちてを繰り返す。 「ところで、君は迷信を真に受けるタイプかい?」  向かいの席でコーヒーカップを傾けながら、彼女は言った。カップと一緒に傾けられた顔の動きに合わせて、栗色の髪がふんわりと揺れる。シャンプーだろうか、それとも柔軟剤だろうか、ほのかな花の香りがこちらまで漂って来た。  僕は口に付けていたストローを離す。グラスをテーブルに置くと、メロンソーダの中で氷が小さく音を立てた。 「あまりそういうのは気にしないですね」 「へえ、そうなんだ」 「ゆっちさんは信じてるんですか?」 「いやあ、私も眉唾だと思ってるよお。ケン君と同じだな。うん」  ふわふわの茶髪、ちょっぴり濃いめのアイシャドウ、ピンク色のリップに、花柄があしらわれたネイル。鎖骨の辺りが露わになった服を纏う、ゆっちさん。パッと見の印象は所謂ギャルといった感じであるが、本人は至って真面目な優等生である。学生時代の成績はとてもよかったそうだ。僕なんかとは違って。  ゆっちさんはコーヒーカップを置き、フォークを手に取ってケーキを頬張る。 「どうしたんです、突然そんな話を振って来て」 「んふふ。美味しい……。……いやあ、特に意味はないんだな、これが。私は君の反応を見たかっただけなのだよ」  なんだか格好つけた言い回しだが、口の端にクリームが付いていて台無しである。 「面白い話を聞いたもんだから、君にも教えてあげようと思って」 「なるほど。どんな話なんですか」  ぱっちりとした大きな目がちらりと窓の外を向く。  軒先が滝のようになってきている。先程よりも激しく降っているようだ。傘を持っていなかった僕達はこうして喫茶店へ駆けこんだわけなのだが、いつまで雨宿りをしていればいいのだろう。  コーヒーを一口飲んでから、口を開く。 「今日のようになかなか雨がやまない日にね、そっとおまじないをするんだ」 「えっと……。てるてる坊主に『雨が上がりますように』って願う、とか?」 「いいや、違う。かわいらしい例えを持ってくるんだな、君は。かわいいかわいい」 「やめてくださいよそういうの。子供じゃないんですから。あと、僕の方が下っ端の後輩ですけど年上ですよ? そこ忘れないでください」  ごめんごめん、と笑いながら、ゆっちさんは話を続ける。 「聞いた話に寄ると、それは恋のおまじないだそうだ。こんな雨の日に、そのおまじないをすると好きな人と結ばれるらしい」 「はぁ、よくある感じのやつですね。具体的には何をどうすればいいんですかね」 「うむ、そうだな……」  自分から話しておいて忘れたのだろうか。続きを待ちつつ、僕はパンケーキを口に運ぶ。近くにあったから入った店だが、こんなにも柔らかくて美味なパンケーキを食べることができてラッキーだ。次は晴れている時にのんびり訪れて穏やかなひと時を過ごしたい。  皿から顔を上げてゆっちさんの様子を窺うと、まだうんうんと唸っていた。  時間がかかりそうだな。雨が止むのが先か、彼女がおまじないを思い出すのが先か。  僕は鞄からスマートホンを取り出して通知を確認する。早く戻ってくるようにという上司からの連絡は特に入っていない。そうはいっても、仕事の報告くらいはしておいた方がいいだろう。ついでに帰りが遅くなりそうだということも添えておく。決して、仕事に手こずっているわけではない、と。  僕がスマートホンを鞄にしまっても、まだゆっちさんは眉間に皺を寄せている。 「あの、もういいですよ。お互いにそういうの信じてないんだから、別になんだっていいじゃないですか」 「そうかい?」 「僕達が相手にしてるのは本物の怪異なんですから、子供騙しみたいなのに真剣に向き合う必要ないですって」 「でも中途半端に聞かされたら気になるだろう?」 「否定はできないですね」  それではケン君、と彼女は改まる。メイクで作り上げられたギャルの向こう側に、真面目な本性が薄っすらと浮かぶ。 「どうだい、私のこといつもより魅力的に見えないか?」 「……は? いつも通りですけど」  音を立ててメロンソーダの残りを啜る僕のことを見て、ゆっちさんは大袈裟なくらいに落胆して見せた。がっくりと肩を落とし、首も下を向く。  先程の仕事で退治してきた化け物に少し似た体勢だな、などと思っていたら今度は勢いよく顔を上げた。花の香りが僕の鼻の奥を擽った。 「もうっ! やっぱり迷信は迷信だ! 眉唾ぁ! 信用ならん! 本物が一番だ!」 「どっ、どうしたんです」 「雨が降ってからずぅっと聞いた通りにおまじないしてたのに効果ないじゃないかぁ!」 「実践してたんですか!? えっ、じゃあ、ゆっちさんには思い人が?」  雨音は沈黙を許さない。急き立てるように、窓ガラスや壁、アスファルトを叩いている。 「き……。き、君だよ、ケン君……」 「……んあえっ!?」 「だがしかし効果はなかったようだ。残念だな。うむむ、頑張ったのだがな……」  照れているのか、恥ずかしがっているのか、彼女の頬は赤くなっていた。僕からすっと目を逸らし、コーヒーカップに口を付ける。一連の態度が、小さい子供が拗ねているようにも見えて少し面白い。  おまじないは本当に効果がなかったのだろうか。  僕のことが好きだと、彼女は言ったのだ。その瞬間、僕の胸は高鳴った。所謂ときめきなるものなのかもしれない。妙に彼女のことが気になり始めたように感じるのだ。僕は落ちたのかもしれない、恋に。彼女に、ゆっちさんに落とされた。気がする。 「あぁ、損した。無駄な努力だった。無念。迷信め、許さん」  僕は告白めいたそれに返事はしていない。しかし、ゆっちさんはおまじないむなしく振られた気分でいるようだ。  そんなことないよ。僕も貴女が好きですよ、と言うべきなのだろうか。しかし、僕はつい先程落とされたので自分の気持ちをしっかりと理解できていない。この状態で場に流されて言葉を伝えては彼女に失礼である。一旦気持ちの整理をしたい。  だが、しかし。  おまえ達はまだしばらくそこの席で微妙な空気のまま向き合っていなさいと、水と風と雷が大合唱している。主張の激しい三者が歌う音は大事なことを考える際には邪魔である。晴れれば少しは考えられるようになるだろうか。 「狐か狸につままれた気分だ、全く。君もそうは思わないか」 「そ、そうですねー……」  雨はまだまだ止みそうにない。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!