カインとアベル

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カインとアベル

目を開けると、清々しいほどに晴れ渡る空が目に入ってきた。 目を覚ましたのは、陽の光のせいなのか、夢が終焉を迎えたからなのか。 俺には、それは分かりかねる。わかることがあるとすれば、懐かしい夢だったことと、太陽がやけに眩しく感じることくらいだ。 朱音の一件も一段落し、小さな丘の頂付近で一人寝そべっていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。 俺達の人生はいつもそうだ。 高波のように急に苦難が降り掛かって来て、日々が加速して行ったかと思うと、それが過ぎ去ればいつもの緩やかな日常が戻ってくる。 人の人生というものは、どこにいってもそんな感じなのかもしれないがな。 いや、というもの自体が、そうできているのかもしれないな。 「ふぅ・・・」 ため息を一つつく。 俺はこういうことを考えるタイプじゃないんだ。少し疲れてしまった。 そう思ってもう一度目を閉じていると、不意に影が俺の上に覆い被さってきた。 「こんなところにいたんですか。いえ、いつものことでしたね。」 「姉さん。」 スレンダー体型の、俺とお揃いの髪飾りを付けたロングヘアの美女が、俺に覆いかぶさるようにふわふわと宙に浮きながら、俺を見おろしていた。 「懐かしい呼び方ね。」 普段は、他の奴らと区別するために『アベル』と呼んでいる。この呼び方は、昔読んだ絵本のタイトルから取ったもので、俺も結構気に入っている。 ちなみに俺は『カイン』だ。 「さっき、昔の夢を見ていたんだ。だから、つい昔の呼び方で呼んじまった。」 「なかなかかわいいところもあるわよね。カインって。」 クスクスと笑いながら隣にフワリと着地する。 「気持ちいい風・・・」 今日は爽やかな風に暖かな日差しと、6月上旬とは思えないほどの昼寝日和だった。 寝る気がなくても、寝転んでいたら寝てしまっていたのも仕方がないのかもしれない。 「姉さん。」 「なに?」 「今は二人だけだろ?昔みたいに呼んでくれないか。茜って。」 目を見ず、空を見ながら言った。 「今日はなんだか甘えん坊さんね。」 姉さんの方を見ると、少し微笑んでいた。 優しい笑顔だった。 「茜。」 静かに優しく、俺を包み込むような声色で言った。 「これでいいかしら?」 「ああ、ありがとう。すごく、懐かしい気分だ。」 「私も、とても懐かしい気分だわ・・・。あの頃は、辛く苦しいときもあったけど、こうして、茜とのんびり過ごす時間が、なによりも楽しくて、幸せだったわ。」 「今は違うのか?」 姉さんは、穏やかで、満足げな表情のまま、一瞬思案するように間を置いてから言った。 「今は、茜だけじゃなく、ほかのみんなと過ごす時間も、同じくらい幸せだから。」 その答えは、俺が思っていたものよりも大きくて、とても良いものだった。 思えば、俺もそうなのかもしれない。 あいつらと一緒にいれば、なんだってできる気がする。どんな暗闇も晴らせそうだった。ひと振りの剣と、ひとつの魔法と、ひとつの拳と、ひとつの絶望と、ひとつの、揺るぎない思いで。 そんなことを思いながら不意に空を見ると、なにかが落下しているのが見えた。 「あれは・・・?」 「一難去れば、また一難降ってくる。」 やれやれといった表情で姉さんが肩をすくめる。 「戻りましょうか。」 「そうだな。」 俺が立ち上がり、歩き出す。 後ろを振り返ってみると、姉さんが先程座っていたところで立ったまま、歩いてきていなかった。 「どうしたんだ?」 姉さんは、俺が声をかけても微動だにせず、なにか言いづらそうな、変な顔をしていた。 「戻るんじゃないのか?」 そう言って、俺が側に寄ろうとすると、消え入りそうな声が聞こえてきた。 「・・・って・・・んで・・・。」 「なんだって?」 「これからも、姉さんって呼んで。私も、二人きりのときはあかねって・・・呼ぶ・・・から・・・。」 だんだんと声が小さくなっていく。 最後の方は聞き取れたかわからない程だった。 よほど面映かったんだろう。 「ああ。いいぜ。姉さん。」 「じゃ、じゃあ、私は少し様子を見てから戻りますので!」 俺がにっと笑ってみせると、そそくさと逃げるようにさっきの落下物の見えた方へ飛んでいった。 「気をつけてなー!」 全く、いつもは凛として振る舞っているくせに、こういうのには弱いよな。 「本当に、愛おしい姉さんだ。ちゃっちゃと帰るか。」 俺は丘を降って、家に向かった。
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