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逃げるように、足早に道を歩く。
でもそれはだんだんと減速していき、足取りは重くなっていった。
家に帰りたくない。
そう思うのは、いつものことだ。
できるだけあの息苦しい空間にいたくない。
どうせ親はまだいないだろうが、それでも嫌なものは嫌だった。
だからまた、いつものように曲がらなければならない道を真っ直ぐ進む。
少し行くと、【BLUE MOON】という見慣れた看板が目に入った。
洋風な外観のカフェで、赤レンガの壁に蔦が這っている。
ベルを鳴らしながら扉を開けると、カウンターの向こうでカップを拭いていた男が顔を上げた。
少し青みがかったようなクセのない黒髪に、優しげで整った顔立ち。
長身でスラッとした体型。
まだ20代と若くいながら、彼はここの店のオーナーである。
「いらっしゃい、奏一くん」
優しげな笑みを浮かべる月野 綾人さんに、俺は軽く頭を下げてカウンターに腰掛けた。
「いつものでいい?」
「ん」
無愛想に返事をする奏一を気にすることもなく、綾人は滑らかに手を動かし始める。
ここ【BLUE MOON】へはよく立ち寄っている。
少しでも家に居たくないので、時間潰しに1年ほど前から訪れるようになったのだ。
初めはなんとなく足を踏み入れた奏一だったが、店の静かな雰囲気や、綾人の穏やかで深入りしないスタンスに居心地の良さを感じるようになっていた。
本人は認めることはないが、綾人に対しては心を開いている節もある。
「はい、どうぞ」と耳に馴染みやすい柔らかな声音でブレンドを差し出しながら、綾人は見るからに不貞腐れている奏一に微笑みかけた。
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