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横浜は中区にある中華街。
観光客が近寄りもしない薄汚い路地にその店はある。
ボーイズクラブ『帝愛妃』。
中国の後宮を模したイメクラだ。雷紋や唐草模様といった安っぽい中華風のネオンの装飾が施されたビルに入れば、外見の胡散臭さとはかけ離れた、後宮をイメージした絢爛な内装のロビーが客を出迎える。
それから皇帝が側室の閨に向かうが如く、キャストのいる部屋に通される。そこには貴妃服を纏った美少年や美青年が待っていて、酒の酌から下の世話までしてくれるって寸法だ。
俺はそこのキャストだ。ネグレクト、DV、親の借金とまあ役満が揃ってここに流れ着いた。
親父が外国人だったらしく、大きな目と色白で彫りが深い顔立ちに恵まれた。いわゆる中国美人に見えるとよく言われる。
そのわりに大して売れてないけど、何人か顧客がいるからそれで食いつないでいる。セックスも嫌いじゃないし。
その顧客の1人に変わったやつがいる。
1番最初に来た時は、黒いスーツに柄シャツといかにもヤクザの下っ端風だった。
でもそれに似つかわしくない優しい表情で俺を見つめてきたのを覚えている。擦れていない、赤ん坊みたいな澄んだ目で。最後まで致していったけどな!でもどの客よりも優しく丁寧に俺を抱いた。金払いも良かったし、楽な仕事だったな、とだけ思った。
次に来た時は、きちんとセットされたビジネスショートに品のいいスリーピーススーツ姿で、エリートリーマンって風貌だった。
声を聞くまで誰だかわからなかった。
次は派手なホスト風、その次はファストファッションで身を包んだ大学生といったように毎回違う格好で来ていた。
そして1番高いプランで俺を買っていく。不本意だが、俺はほとんどこいつに養われていたようなもんだ。
それでいい。俺だけを見ていろ。他のキャストにこんな上客を渡してたまるか。
でも、オーナーや他のキャストは同一人物だって気づいてなくてビックリした。声は同じだし、あのやたら澄んだ目も変わっていないのに。
厄介ごとに巻き込まれたくなかったし、売り上げをキープしたかったから黙ってたけど。
そんなある日
「全員動くな!」
と黒いスーツのおっさんの集団がキャストの詰所に雪崩れ込んできた。警察だ。血の気が引く。
ヤツの姿が、その中にあったから。
廊下に出れば次々と客やスタッフやキャストが連れて行かれるところで、俺もヤツに肩を抱かれもみくちゃになりながら外に連れ出された。
それからパトカーの群れを素通りして、入り組んだ路地に入っていく。迷路のようなそこを抜けると一台の黒いハスラーがあって、そこに押し込められると同時にエンジン音を響かせて車が動いた。フラットにされた後部座席の上で慣性の法則に従って転がされる。
「それに着替えて」
いつものような穏やかな声で、そいつが言った。言われるがまま後部座席の下を覗くと、スポーツバッグがあった。半ば引きちぎるように白く薄い生地を脱ぎ捨てロングTシャツとスキニーパンツを引っ張り出す。
と、急に車が止まった。窓から外を見ると、黒い海の向こうで小さくなった街の明かりが光っている。暗くてよくわからないけど、ここは倉庫街か?
手を動かしながらそう思っていたら、運転席からヤツが身を乗り出した。
シートの上で組み伏せられて、ギュッと抱き締められる。まさかここでヤる気か?コイツがセックスする手順は決まっている。思った通り、次はキスされた。
でもそこからはいつもと違った。せっかく履きかけたパンツを下ろされ、Tシャツも捲り上げられる。乳首を強く吸われて嬌声が飛び出した。だって、ここはいつも舌先や指の腹でしつこく愛撫してくるのに。
「ごめん。我慢してね」
ヤツは俺の唇に人差し指を押し当てる。それから指が唇を割って入ってきた。身体を手や舌に優しく嬲られ、俺は声を出す代わりに指に舌を絡ませる。ベトベトになったそれは後孔に当てられて、嬌声はヤツの唇で押し込められた。
ヤツ自身が入ってくる時も、抽送を繰り返す腰の動きも、荒っぽくて余裕がない。俺も遠慮なくそこはさわんなとか痛いからヤメロとかそれ気持ちよくないとか言いながらも快感に飲み込まれていった。荒っぽいけど、どう触るかとか触られるとどうなるかとか予想がついたから安心して身を任せていた。だからコイツが来る時は、あ、楽な客だって気が楽になって・・・コイツのことを、俺はなんだかんだ信用していたんだな。
背中に腕を回して必死に俺を掻き抱くコイツの肩に、そっと手を添えた。
終わるころには服もシートもぐちゃぐちゃだった。でもヤツは意に介さず、着替えて車から出る。エンジンをかけて、汚れた内装ごと車を海に沈めた。
それからふらつく身体で走って客船に乗り込む。ヤツはカジュアルなジャケットにジーパン、俺は長い髪をポニテにしてロングTシャツにスキニーパンツといった格好で、傍目から見たら観光に行くカップルだ。どうやって用意したか分からないが、チケットもパスポートもあった。荷物チェックにもヤツは涼しげな表情で対応している。どうやら息を吐くように嘘をつける人間のようだ。
乗客の年寄りの夫婦に話しかけられても、恋人のーーーまあつまり俺との惚気話をでっち上げニコニコしている。それでもあの澄み渡った目はちっとも濁る気配がなくて、背筋が少し寒くなった。
船のデッキに出ると、潮風がポニーテールにした長い髪を揺らす。
まだ素性も本名も分からないアイツはただ笑って、俺の髪を梳きながらどこにもいかないでってキスしてきた。
馬鹿じゃねえの。行くあてなんかないし、今俺が頼れるのはお前だけだ。
じゃあな、横浜チャイナタウン。
街の灯が小さくなっていく。ガキの頃から薄汚れたところだと思っていたが、こうして眺める分には中々綺麗なものじゃあないか。
遠ざかる光の粒たちに見送られながら、俺はなんとなくここにはもう戻ってこないんだろうなと予感していた。
中国に渡った俺たちが、ちょっとばかり名の知れた詐欺師としてその界隈を賑わすのは、もう少し先の話だ。
end
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