蓮華の人よ その②

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最初は100円玉だった。 公園の自転車置き場の横にある自販機の前で、スーツを着た男の人に話しかける。多分、営業のサラリーマンだったと思う。 「100円玉落としちゃって。拾ってくれませんか」 小学生の僕が自販機の下を指差してそう声をかければ、その人は快く木の枝を拾って身をかがめる。スーツのズボンのポケットから、黒い財布が顔を出す。 僕はそれをすばやく抜きとって、目をつけていた鍵のかかっていない自転車に飛び乗って逃げていく。 僕を追いかける姿が見えなくなってもしばらく自転車を走らせた。財布からお金を抜いて、それをコインロッカーや別の公園の土の中など何ヶ所かに分けて隠した。 1ヶ所にまとめておいたら、ある時ごっそり無くなっていたことがあったから。 僕の両親は、僕よりも自分たちの趣味や恋愛やギャンブルの方が好きらしくていつも家にいなかった。冷蔵庫の中もアパートの部屋の中も空っぽ。たまに帰ってくる時には毎回違う男の人や女の人を連れていて、真夜中でも外に出された。 そういう時にこのお金は役立つ。 だからそう困らなかった。 外の人たちの方が優しかったしね。両親が怒鳴り込んでいくまで下の階のおばさんが家に泊めてくれたり、炎天下の中歩いてたら知らないおじさんがジュースをくれたりした。 ニコニコして素直にありがとうって言って大人しくしていれば、大抵の人は優しくしてくれる。 でも、それは僕が子どもの外見を保っている間だけだった。 中学生になるとぐんぐん背が伸びて、あっという間に大人と変わらない外見になった。 そうなると、途端に構われなくなって、変な人に絡まれることが多くなった。 例えば「いくら?」とか聞いてくるおじさんとか「悩みはありませんか」とかアンケート用紙を持って聞いてくるお姉さんとか。ご飯を奢ってもらったり、自己開発セミナーとやらに参加するのは中々有意義だったよ。手付金だけもらってホテルから遁走したり、講師の側に回ってしっかり稼がせてもらったりね。そうなると一箇所に止まることは危うくなって、家を出た。思った通り、何の音沙汰もなかったよ。 長い仕事があった。 三年ばかり男の人の家に転がり込んで、生活の面倒を見てもらっていた。仕事が忙しいらしくて、めったに家に帰って来なかった。 本当は家庭がある人だったんだけどね。 2人目の奥さんとは別居中だったみたいだ。 奥さんにバレるよう仕向けて行ったら向こうから手切れ金を渡してくれたよ。 内緒にして、その人と生活を続けてたけど。 でもやっぱりバレちゃったみたいだね。しばらく揉めてたけど奥さんとは別れて、息子さんは成人したから独立して、家族はバラバラになったみたいだ。それで、その人なんて言ったと思う? 僕とやり直したいって。 嫌だよ、だって、貴方は借金まみれだったからね。保証人になるのも貢ぐのもごめんだよ。 え、息子さんが保証人になったの。大変だね。 だって消費者金融じゃ追いつかなくなって、違法な所で借りてたでしょ。 「どうしてそんなに冷たいんだ」って? 「恋人なのに」って? そうだよ。恋人だよ。それで、僕は貴方から受け取れるものを全部受け取ったんだ。愛もお金も。 それだけのことだよ。 「助けてくれ」って?どうやって? 「金を貸してくれ」って?ああ、やっぱりそれが本音だったんだね。嫌だよ。貴方はクズだから。さようなら。 家を出る時、頑張って僕を罵倒していたけど何を言ってるのか全然聞き取れなかった。外に出て、スーツを着た人たちとすれ違う。あの人を迎えに来たのかな。やっぱり別れて正解だった。 みんな、僕を罵りながら、泥の中に沈んでいく。
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