side馬場 1

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side馬場 1

「私が連絡しなかった一か月の間、一回でも私のこと思い出した?」 重々しい沈黙のなか、静かに響く声。連絡をもらった時に薄々別れを切り出されるかもしれないと思っていたが、何と言って引き止めればいいか、今も思いついていない。このままだと終わってしまう、引き止めたいのに、自嘲気味に無理だろ、頭の中に自分の声がが聞こえる。 彼女は積極的に引っ張ってくれるような男の人が好きで、基本恋愛に受け身な俺とは初めから合わなかったんだと思う。付き合ってから一年半たったか…俺が転職してから少しずつお互いに気持ちが離れていったように思う。彼女は平日でも会いたいと言ってくれたが、今の仕事を頑張りたい俺は、平日デートはほとんど断った。休日も遊園地に行くようなタイプじゃないから、食事して、たまに互いの家に行く、この繰り返しであまり変わり映えしなかった。今思えば、あっているときだけでももっと彼女のしたいことをしてあげればよかったと反省はするものの、当時の俺はあまりに仕事に盲目だった。 「私、今結婚を決めてくれるか、別れるかをはっきりさせてたいの。」 まっすぐ前を見ながら黙りこくる俺に、彼女は顔をうつ向かせてしまった。君が好きだ、そう言い切ることができたらどんだけよかったか…我ながらひどい男だと思う。 「………今は結婚とか考えられない。」 唯一言えるのはその一言、やっとの思いで絞り出した。鼻をすする音が聞こえる。今この場で好きか嫌いかを言うのは優しさとは違うのだろう。別れたくはない、でも今の俺は彼女を優先することもできない。ならできることはこれ以上彼女の未来を狭めないように別れることだろう。 「そんなに私を優先させるのって難しいのかな…お互い結婚を考えてもいい年なんだし、そんなきっぱり言わなくても…」 口角をあげながら必死に嗚咽を漏らさないように、声が震えないようにする彼女を見ると心が痛む。俺だって彼女が好きだ。でも彼女が一番欲している言葉は別にあることは十二分に理解しているが、言えない、できないことはできない。もともと恋愛は仕事の次でしかなくて、彼女が悪いとかではなく、すべて俺の性分のせいだ。 「今までの態度もふくめ、傷つけてごめん。今の、いや、多分これからも俺には仕事が一番で、変わることはないと思う。」 …本当は仕事と彼女の優先度は別のベクトルで比べようがないのだが、別れるならとことん俺を恨んでほしい。俺がいつ変われるか不確定な中、今ここで結論を出すというのなら別れるしかない。将来結婚できなかったとしても、仕事を頑張ると決めたからには貫き通したい。 「ダメな俺でも好きになってくれてありがとう。………別れよう。」 ぐるぐると交錯する思いをめぐらせる頭とは裏腹に、声は自分のものとは思えないくらい抑揚がない。俺は机一つ分しか離れていない彼女を抱きしめることすらできないのだから、せめて彼女が未練なんて持たないようにはっきりという。 「………本当にごめん。そろそろ俺、帰るね。」  俺は席を立ち、彼女に背を向ける。 「どうして!?私はそんな言葉聞きたくなかった!!ただ一言これからは君を優先するように努力するって言ってくれればよかったの…結婚もおいおい考えるよって、それだけでよかったのに!!!!!」 彼女がなきじゃくりながら叫ぶ。 そんなあいまいな答えじゃ、この先また君を不安にさせてしまう。それじゃだめなんだよ。 声に出したつもりが口がはくはくと空を切るだけで、うまく言葉が出てこない。 「私の存在って別れを簡単に切り出せるくらい、そんなにちっぽけなものになっていたのね!!!もう終わりね、こっちから願い下げだわ!!!!!」 彼女は本当は癇癪を起してるわけじゃない。言いたいことがまだあるが、俺を引き留めないようにわざと大げさに怒ったふりをしているのだろう。この先彼女以外に好きになる人はいないのかもしれない、根拠はないが漠然と思う。 後ろを振り返らず、まっすぐ玄関に向かう。切り詰めた息をはっと吐ききる。もうじき冬が来る、肌寒く感じてもいいはずなのに何も感じなくて、夢なんじゃないかと、早く覚めてほしいと切に願うのだった。
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