71 平安時代の貴公子とその周辺 藤原道雅

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 でも、道雅の行動パターンからすると、なんとなく斎宮であったピュアな当子内親王をもてあそぶことで「傲慢な自己保身」と「三条帝と敦明(あつあきら)親王へのいやがらせ」が成立できると判断して「偽りの恋」を語った可能性も……。  その後も、道雅の周囲では事件が絶えません。  万寿元年(一〇二四)十二月の強盗殺人事件は公家社会を震撼させました。  そのころすでに道長の娘・彰子は上東門院と名を改めています。かつて十二歳で一条帝のもとへ入内した彰子は「大女院」とも尊称され、内裏を取り仕切る女丈夫ぶり。
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