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「……それは」
でも、今は――違う。
知ってしまったからだ、真実を。
「それは……ご自分への言葉ですよね。お父様……いいえ、お母様」
母がかつて使っていたという部屋を見て、驚いたのである。クローゼットには、最低限使う程度のドレスしか入っていなかった。そしてその奥の奥、まるで隠れるようにひっそりとしまわれた男性用の礼服、私服、鎧に剣といったものの数々――。
決定的であったのは、箪笥の底に、伏せた状態で保管されていた、中庭で撮影されたと思しき一枚の写真。
そこには見知らぬ男性と映った、母らしき女性の写真。
その女性の顔は――あまりにも、父の顔と似過ぎていたのである。
「お母様は。……父上が病死された後で、父に代わって“父上”になられたのですよね。父がいない私が、甘えた娘にならないように……跡取りとして立派に育つように、厳しく接するために」
「……それだけが理由ではないことは、お前もよくわかっているだろう?」
父は、今まで見たこともないほど――苦悩を滲ませた顔で告げた。その顔も、声も。何も知らなければ、普通の男性にしか見えないものである。
ただ、思えば一度も見たことがなかっただけだ。男性であるはずの父の、上半身だけでも裸になった姿を。
「私は、生まれついて異端の者だったのだ。……身体は女であったが、心は男だった。アイラン教においては、生まれついて神を冒涜した存在と言われるような存在だったとも。まさかそれが、国王の一族唯一の跡取り娘であろうとは……我が父もさぞかし苦悩されたであろう。娘の趣向がどうであっても、子を産ませなければ血が絶えてしまう。そして、子を産めば男の心など忘れ、きちんと母親として自覚を持ってくれるはずだとそう信じたのだ。……そのようなことで心を変えることができるのであれば、誰も苦労などしないであろうに」
一体。どれほどの苦労をし、苦痛を浴びせられてきたのだろうか。
あの元“母”の部屋を見るだけでもわかる。女であった彼女がずっと、男性として勇ましく生きることを願い続けていたということ。女性としての己に、激しく苦悩していたのであろうということは。
そう、女らしい服装に身を包むだけでも苦痛であるというのに。それが、好きでもない相手と結婚し、子供まで産んで母になれと言われるのなら――それはどれほど、筆舌に尽くしがたい苦しみであったことか。
「私は苦しみ、嘆き、泣き叫び、父が選んだ男と閨を共にした。それでもなかなか子ができず、何度も父に罵倒され、存在を否定されたものだ。……そのたびに思ったのだ。何故、女が女を好きではいけない。何故、女の身体に男の心を宿しただけで、存在してはいけない者だと罵詈雑言を浴びせられなければいけない。……そのような差別に、一体この国の人々はどれほど苦しんできたことか。それは、この私が王となって変えねばならぬと思ったのだ」
「……だから。お父様が亡くなると同時に……お母様が“お父様”になられたのですね。手術で、男性に性転換をしてまで」
「そうだ、その通り。私はやっと望んだ身体を手に入れたのだ。だが……今の技術は完全なものではない。転換したところで、元々女であった私に男性の生殖機能などあるはずもないのだ。……お前に兄弟を作ってやることはできず、お前一人に後継としてのプレッシャーを全て被せることになってしまった。それは本当に、申し訳ないことだったと思っている……」
きっと。いつか話さなければいけない秘密だとは、思っていたのだろう。長年使えたオルガ達家庭教師や召使、兵士達は皆知っていたに違いない。それでも黙っていたのは。何も言えず、皆が父を“普通の国王にして、普通の男性”として扱ってきたのは。
他の男性に比べてどうしても劣る腕力をカバーするほど身体を鍛え、他の男性たちよりもずっと研鑽し、勇猛果敢であろうとし、誰よりも賢王であろうとした――彼の努力を間近で見てきたからではあるまいか。
――ああ、今わかった。……私は、この人の苦しみに比べたら……なんて小さなことで思い悩んでいたのかしら。こんなにも強く、気高い愛をくれていたのに。
目の前の“彼”が、お腹を痛めてカティアを産んだ。
しかしその強さ、勇ましさは紛れもなく――立派な王、父のそれではあるまいか。
「……お父様」
まだ、自分は幼い。彼の期待に応えられるほど、賢いわけでもない。それでも思うのだ。
この父が作ろうとしている、理想の国を。繋いでいけるのはただひとり、自分だけであるのだと。
「私に……政治や法律を、もっと教えてくださいませんか?」
父の祈りと母の願いを背負って、カティアはこの国で生きていく。
本当の魂の美しさに、男も女も種族も階級も宗教も、何一つ関係ありはしないのだから。
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