逡巡の裏側

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「……治すために病院の近くに引っ越すんだって?」 「……うん」  カレンが友人たちと衝突して教室を出た後、二人は女子トイレに静々と入っていった。  二人で流しの鏡の前に並び立つ。そこに映る自分の顔を見て、人生でこれまでにないほどひどい顔をしているなと、嫌な気持ちがにじみ出てきた。  なぜ自分に黙っていたのか、しかし簡単に言い出せることではないこともわかっており、言われたとして自分は何をすることができるのか。アユミの母から知らされたことに対する、その他の雑多な感情がここで溢れ出てきてしまった。アユミが自身の病気のことをカレンを含めて周りに言っていないおかげで、ここまで何とかそれらを抑えられていた。「親友が病気になってしまった女子高生」の立場で振る舞わなくて済んだのだ。  そして今、過程の順序は狂っているかもしれないが、アユミとの関係をここではっきりさせなければいけないと思った。  不思議な決意がみなぎる。 「ゴメン。今まで黙っていて」 「いや……そんな、簡単に言えるものでもないでしょ」 「それでも、カレンだけには言っておくべきだった。ただ……カレンから見られ方が変わるのが怖かった、私の我がままだよ」  流し台の縁を掴み、うなだれるアユミ。 「脚フェチは告白できたのに?」 「それは……脚フェチは前向きな気持ちだから」 「本気で言ってる?」 「後ろ向きではないと思うけどなあ」  まだ互いに目を交わすことはできていない。蛇口から滴った水滴がステンレスに落ちて大きな音を立てた。 「……カレン、怒ってる?」 「怒って――分からない。だってフクザツな問題ってやつだし。でもアユミの口から聞いていたら、その場で取り乱していたかもしれない」 「だよね」 「でもやっぱりアユミはアユミだったよ」 「……どういうこと?」 「何にも変わらなかったってこと」  アユミの母から病気のことを知らされてから、表面上はいつもの日々を送っている中で、カレンは彼女と自身について改めて考え続けていた。それはプールの水面を手でかき混ぜるのと同じようなことだった。時には大きな波紋が生まれるが、最後には元の静かで落ち着いた状態に戻っていく。 「何か色々なことが足されても、アユミはアユミで、私の親友ってこと」  目が合う。このような視線の交わし方はいつ以来だったろう。その間はおそらく、一分にも満たない時間だった。  傍から見れば時間が止まったように見えるが、カレンの耳だけが見る見るうちに赤くなっていった。口元はどのような形をしていいのかわからずグニャグニャに変形している。  ふい、と顔を逸らすカレン。そしてアユミはカレンの手を取って輝きを放つ眼差しを向けた。口の端から嬉しさが零れ落ちてしまっているのは彼女らしくない。 「カレン、もう一回言って」 「や」 「お願い。もう一度聞きたい」 「ムリ。待って、ホントだめ。顔が燃えそう」  力が入らず、手が振り払えないカレン。恥じらいの朱色は耳から頬へにじみ広がっていた。今なら暖房器具の代わりとして申し分ない仕事をしてくれるだろう。 「カレン」 「なに?」 「身体が動く内に、もっとカレンたちと色々したい」 「だよね。転校してからじゃ会いにくくなるだろうし」 「……出来る限りでいいから、私の我が儘に付き合ってくれるかい?」  正直なところ、ズルい言い方だと思う。しかし、どのような言葉の形であってもカレンの返事は決まっていた。 「ずっと付き合う」 「黙っていたことも許してくれる?」 「うん、許す」 「もし身体の調子が悪くなっても面倒臭がらない?」 「臭がらない」 「これからも脚に触らせてくれるかい?」 「当た……いや、それはちょっと考えさせて」  そこで二人から笑みが零れる。 「カレンも、何かあったら言ってほしいな。私も全部受け止める」 「じゃ、別に何も変わらない、いつもの私たちってことでいいんだね」 「うん、うん。そうだね。その通りだ」  結局は同じだったのだ。病気であるからと言って、アユミはアユミで変わらない。クールでいてマイペースな、そして最近脚フェチであることが発覚した、カレンの誇らしい親友なのだ。
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