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――カランコロン
心地良いドアベルの音が響く。自宅で聞こえるはずのない音だ。
一瞬部屋を間違えたのかと彼女は焦るが、そうであれば鍵が開くはずもないだろう。確かに鍵を開けたのだが、見慣れた玄関ではない。目の前に広がるのはまるで違う光景だ。
「いらっしゃい」
穏やかな声に彼女はそちらを見る。
いつからそこにいたのか柔和な笑みを浮かべた男性が立っていた。
歳は四十代だろうか。若い頃は、否、今でも異性にモテるだろうと窺わせる端整な顔立ちをしている。髪は黒々として若々しさが感じられる。清潔感のある白い七分袖のシャツの袖からは逞しい腕が覗き、引き締まった体に黒いカマーエプロン姿がよく似合っている。
決して広いとは言えない室内に広がる香ばしいコーヒーの香りが心地良く、落ち着く。カウンターのみの小さなカフェのようだ。
「どうぞ、あちらへ」
促されるまま進もうとしてリエの足は止まる。
お洒落な店内に自分の姿が相応しくないような気がしてしまったからだ。仕事帰りのスーツ姿、相手に不快感を与えないように身なりに気を使ってはいるが、化粧も万全とは言えない。
なぜ、ここにいるのかはわからないが、この場所に相応しい自分でありたかったと急に恥ずかしくなったのだ。
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