二 願うもの

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二 願うもの

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  お客様に出すものだから。  第一に、お客様が望むものを考えるように。    ここに来た当初、オーナーが言った言葉を思い出す。  ある意味この言葉は、雅紀を失って傷ついた私に立ち直るきっかけを与えてくれた。  バーテンダー失格かもしれないが、私は今まで店の売り上げに貢献することしか考えていなかった。  売り上げは数字だ。正確な評価だ。分かりやすく明確で、誰の目にも等しく結果を伝えてくれる。  曖昧な言葉よりも正確に。  他人の表情を読むことが出来ない、心の機微に疎い私にとって接客は鬼門だった。  なのに、なぜバーテンダーになったかと問われれば、元カレがバーテンダーで、彼の店を手伝っていくうちにカクテル作りにすっかりはまってしまったからだ。  最初はアドバイス程度。ただ彼の力になりたかっただけ。  しかし、色、香り、味、割れる氷の音、触れたグラスの肌触り――五感に伝わる明確な情報が束となり、アルコールがもたらす酩酊感と幸福感が全身にいきわたる感覚。  一杯のカクテルと共に、至福の空間を提供してくれるバーテンダーという職業に、私はすっかり魅入られた。  私は憑りつかれたようにカクテルマイスターの勉強して、彼も面白がるように応援してくれた。そこまでは良かった。  そこまでは……。だんだん具体性を帯びていくアドバイスに、元カレは次第にうんざりとした顔をするようになっていった。  またその話題か。いい加減にしてくれ。オレを追い詰めないでくれ。  もう彼の私に対する認識は、保存する温度設定を間違えたワインだった。コルクにカビが生えて、カビの匂いがワインに浸透する最悪の事態。  カビ臭さを振り払うように彼は私を疎み、別れ話に発展するのは当然の結果だった。
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