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「こーきゅー?」
「ああ、そうだ」
「こうきゅう」
「後宮に行け」
王都の中心より少し離れた場所にある花街。
待合・料理屋・置屋と呼ばれる店々が立ち並ぶ。『蒼月』は、その中でも若くて切れ者が当主だと評判の置屋だった。
忙しない生活の中、毎朝家族揃って食事をとるのが蒼月の決まり。その朝食の席で、当主であるカザルが「後宮」と口にした。
ガチャンと食器の倒れる音がして、弟のハヌルが立ち上がる。
「兄さん、何言ってんだ! ロエルは15。まだ学校も終わってないんだぞ。置屋の末っ子が後宮に何の用がある!?」
「だから、用があるんだよ。これを見ろ」
カザルが形のいい眉を顰めて、まあ座れとハヌルを促す。兄から弟に手渡されたのは、王家の紋章が入った書状だった。
「15から18までの男子を後宮に集めろ、だと?」
「昨日、組合の定例会があってな。会長が持ってきた。
『1カ月以内に国中の15歳から18歳までの男子を王宮に集めよ。身分問わず、審査に通ったものは後宮で身柄を預かる』との通達だ」
そう言ってカザルは使用人の持ってきた茶を飲んだ。
「審査? 審査ってどんな? なんでまた、そんなこと⋯⋯」
「アスウェルの王太子が来月訪問予定らしい」
ここは、大陸の最南端ズア。海に面した貿易国だ。
隣国アスウェルとは長年小競り合いを繰り返していたが、近年同盟が結ばれた。
立役者となったのが、ズアの宰相と隣国の王太子だった。
「その王太子殿下が初のご訪問だ。国を挙げて迎えようというわけだ」
「⋯⋯それはわかる。わかるが、なんで男を? 後宮と言えば女だろう」
長兄が茶碗を弄びながら静かに言った。
「王太子殿下は、年頃の若い男がお好みらしい」
兄二人の視線がロエルに集中する。
ロエルは、味がしない朝食を飲み込んだ。
「おはよう、ロエル!」
「おはよう!」
毎朝、ロエルは学校へ向かう前に店の下働きをする。
たすき掛けをして、部屋部屋の掃除に回る。
蒼月は置屋だ。
親元から離された子どもたちに衣食住を与え、一人前の芸妓に育てあげる。芸妓や仕込と呼ばれる半人前の子どもたちの生活の場なのだ。
5年前に当主が亡くなり、長子のカザルが後を継いだ。
当主の妻は三人目の息子を産んだ後に亡くなったので、赤ん坊の養育はずっと兄弟の仕事だった。
――年の離れた兄さんたちは、幼いおれを必死で育ててくれた。
――商売人の家だからと、読み書き算盤ができるよう学校にも通わせてくれる。
ロエルは、いつも兄たちに感謝していた。
――今日は学校が休みだから、掃除を終えたら洗濯、台所の手伝い。カザルやハヌルのお使いもあるかな。
店の玄関を出て、表通りを掃き清める。箒を動かす手が止まり、思わず、大きく息を吐いた。
「ロエル、何をため息ついてんだい」
深みのある優しい声がする。振り向くと、長身の美人が笑顔で近づいてきた。
「リアン師匠!」
「師匠って言うのやめてよ。昔みたいに呼んで」
「もう子どもじゃないんだけどな。リアン⋯⋯にいさん」
リアンは嬉しそうに笑ったあと、ロエルの髪の毛をわしゃわしゃと撫でまわす。彼は舞と鼓、鳴り物の師匠だ。二日に一回、芸妓や仕込みたちに稽古をつけに来る。
さらりとした立ち姿に腰まで流れる銀髪。きれいな緑水晶の瞳が間近できらきらと輝くと、見る者の心を騒がせた。
ロエルが幼い頃から蒼月に来ていたせいか、師匠と呼ばれるようになった今も、兄さんと呼ばれたがる。
「それで? ため息ついて、どうしたの?」
「えっと。⋯⋯後宮に行くことになりそうなんだ」
「は!?」
目の前の空気が変わった。
話を聞いた途端。
リアンは迷うことなくカザルの仕事部屋に向かった。
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