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SFについて 20/7/5
SFマニアという分けでもなく、理系出身でもなく、哲学というSFよりも更にマニアックなジャンルを趣向している私、水谷でございます。
自分の読む本のジャンル分けをしてみると、以下のような割合になります。
①70%
新書(経済、哲学、思想、精神分析、司法解剖、プロファイリングetc)
②20%
純文学 芥川、太宰、漱石、その他もろもろ(青空文庫万歳!)
③5% SF
ハインライン、アシモフ、クラークetc
④4% 推理
ドイル、アガサ、クイーン、乱歩etc
⑤1% その他色々
まぁ、ほぼ新書しか読みません(笑)
物語を読む場合も、最近のものは皆無で著作権フリーになっている書籍が大半です。
SFも身悶えする程好き! ってな分けでもないです。SFより推理の方がたぶん好きです。
でも何冊かに一冊は、なぜかSFを読んでいたりもします。
影響を受けた作家、の中でもかなり上の方に、なんなら一位かもしれないくらいのところに「ハインライン」が入っていたりもします。
後、私の作品であげている「神の目から零れた聖者」というタイトルは、SFファンなら一目で「神の目の小さな塵(ラリー・ニーブン&ジェリー・パーネル)」のパクりだろ? と分かりますが、はい、パクリです。
あまりこの感覚、さしてはSF自体に深追いをしていませんでしたが、いざ自分で書いてみようと思った時に、幾らか構成の違いがあったので、メモ代わりに書き留めておきます。
【SFギミックの使い方】
ほぼこの話だけになると思います。
SFをやる以上、当然、「サイエンス」が搭載されます。むしろ、なかったら単なるフィクションなので、絶対です。
只、「サイエンス」そのものではなく、「その結果」「その効果」による「状況」に焦点が当てられます。
その当てられ方に、大きく二種類あります。
① ギミック重視
有名どころで、「宇宙の孤児(ハインライン)」。
巨大な宇宙船で惑星間移民(旅)をする人間達が描かれますが、「巨大な宇宙船」がどのような仕組みで動いているのか? どのようにこれが建造されたのか? この宇宙船はどこへ向かうのか? なぜ向かうのか? それにはどの程度の時間がかかるのか?(数百年)
そのような環境下で人はどう生き、どう考えるのか?
どのような文化が形成されるのか?
ここに焦点があたります。
つまり、「数百年を旅する移民用の宇宙船」という大きな舞台装置ありきの物語になっています。
これが無ければ話になりませんし、これをあやふやにしてはリアリティに欠けます。
もう一歩踏み込んで、「装置」そのものが、人間ドラマにまで影響を及ぼします。
もう一例。こちらも超有名作品「われはロボット(アシモフ)」
かの「ロボット工学三原則」についての物語。因みに、次回作はこれをまるパクりします。
こちらはもっと分かりやすく「装置」が無ければ話にならない……というより、「装置の説明」が物語になっています。
おおよそ、一般的にSFでイメージされるのはこうしたパターンが多いでしょう。
ただこれ、大きな欠点があります。後で書きます。
その前に、パターン②
② ギミックがあまり関係ない(人間ドラマ型)
代表例は勿論「宇宙の戦士(ハインライン)」です。
かなり有名な事実ですが、ガンダムの元ネタの一つです。初代ガンダムはこれがベースになっていて、「逆襲のシャア」は同じくハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」がベースになっています。
ガンダムを見て「これ、SF?」って思う方も多いのでは無いでしょうか?
勿論SFです。ロボット出てきてるし、宇宙船出てくるし、大気圏突入とか、ロケット打ち上げとか、SFギミック満載です。
でも、このギミック自体に焦点が当てられていません。
「少年から青年へ」がガンダムの主題であり、ぶっちゃけ、ガンダムは客寄せパンダ、物販要因でしかありません。
ネタ元の「宇宙の戦士」が、そもそもそういう話です。
この作品のテーマは
「暴力は決して正義とは言えない。だが、最も多くの争いに決着をつけてきた」
と、
「自由とは何か?」
です。
あ、これの英題は「スターシップ・トゥルーパーズ」です。はい。映画化されています。正直、映画は主旨が違うので、映画で気になった方は小説を読んで下さい。お願いします。
SFギミックとして「パワードスーツ(要はモビルスーツ)」が登場しますが、別にこれが無くても話は成立します。(映画版でパワードスーツが無い理由です)
ただ、ある事によって物語にメリハリがつきます。
こうした客寄せパンダがいる事で、その裏に流れる大量の蘊蓄が緩和されるのです。
同時に、人間ドラマを充実させる事ができます。
ガンダムも同じで、別にガンダムが無くても話は成立します。ですが、あれがある事で、泥くさい人間ドラマがどこかスマートに見えます。
さて、①にあげた「ギミック重視」タイプの欠点です。
人間ドラマにまでギミックが絡んできてしまう為、人間ドラマが書けません。
というか、「装置」に支配されてしまい、書きたい事が書けません。
設定を守る為に、人物達の行動が制限されるのです。
この二つの違いが顕著に分かる作品を見つけました。
「時をかける少女」
です。
小説版とアニメ映画版が、全力で反対の事をしているので分かりやすいです。
こちら、原作小説は筒井康隆さんです。短編で目まぐるしくタイムリープしていきます。
この原作版の主題はあくまで「タイムリープ」です。
「ギミック型のSF」小説です。
逆に、アニメ版(細田守)は、がっつり青春アニメで「人間ドラマ型SF」です。
筒井康隆「あんなの、俺の作品じゃねー」
苦言は当然です。原作者としては本旨と合わないので、嫌でしょうね。
富野由悠季「やりたい男と女の話だろ?」
うん。青春ラブストーリーなんか、詰まるところ全部そうだし。
SF作家達には散々な言われようをしていましたが、でもSFではあります。
むしろ、富野さんが一番その手のSFやってる人です。アムロが「やりたいだけの少年」だった事を、多くの人は看過していませんよ。
筒井さんの「七瀬シリーズ」も人間ドラマ型なので、こっちなら筒井さんも首を傾げなかったかもしれませんね。
そんな事で、同じ物語をベースにしながらも、どちらに寄せるかで作品は大きく変わってしまいます。
んん……。
悩みどころです。
ギミックを高度にしてしまうと、これに支配されて、人物達の自由が奪われます。
ギミックをおざなりにすると、SFらしい不思議空間と緊張感が薄れます。
どの匙加減でやっていくのかが作風になるのですが、私は果たしてどうでしょう……。
今から本文作成に入るので、ちょっとドキドキしている私でした。
追記
ここで取り上げた
ハインライン「宇宙の戦士」
アシモフ「われはロボット」
クラーク「幼年期の終わり」
いや、クラークは取り上げませんでしたが(笑)、この三作品は小説を書く方は絶対に読んでください。
読書ファンでは常識レベルの超有名作品で、これらを読まずに小説を書くというのは、「新聞読んだ事が無いですけど、記者になりたいです」って言っているのと同じです。
SFが好きとか嫌いとか関係なく、義務だと思って、苦しくても読んで下さい。
この三作品だけで、ハリウッドSF映画の大半が理解できるようになります。
それほど、今尚、世界中に影響を与えている作品です。
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