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何が書きたいのか 20/6/29
タイトルの「書く、言う」は、阿久悠さんが書かれていたコラムタイトルのパクりです。パクりどころか、コピペです。
私が物書きを始めた直接の切っ掛けになった方なので、勝手に拝借します。
いつか、天国で叱って下さい。
ここ二週間ほど、とんでもなく下らない作品を書いており、「もうええわ!」と辟易し、次の作品の構成に思考が向かっている最中です。
ここでは掲載していない作品です。「なろう」に上げましたが、とりあえず中断で後で全文改稿します。
何がとんでもなく下らないか、と言いますと、
・テーマが三つしかない
・キャラ立てを失敗している
・こんなものを書いても世の中は変わらない
主にこの三つです。
まぁ、だいたい中途半端に挫折している作品は、概ねコレなのですが……。
別に解説する必要もないのですが、あえて考察してみると、色々と再発見するものも見えてくるでしょう……、きっと。
【テーマが三つしかない】
この時点で、なぜ書き始めたのか理解できません。深夜テンションと酒の勢いと在宅ストレスでしょう。血迷っています。
テーマは、最低でも6つは無いと話にならないです。というか、これ以下でちゃんと10万字書けた作品が無いので、やっぱり無謀チャレンジだったのです。
書いてりゃ何か出てくるさ!
そうして始め、出てこなかった経験を何十回繰り返したか……。
やっぱりプロット八割、本文二割。これが正解ですねー(体感)
【キャラ立てを失敗している】
ぶっちゃけ、これプロット段階で分かってました。
でも、当然……
「書いてりゃ何か足されるさ!」
何言ってんだ、コイツ。って感じです。
そもそもテーマが三つしかない時点でキャラ立てなんてできないです。いや、できますが、それだと三人登場させるのが関の山で、しかも薄いので、絶対後で「つまんねー」って言いだすでしょうし、実際言い出したのです。
ちなみに「キャラ立て」ですが、猫耳にできないとか、キザっぽい男女にできないとか、わがまま令嬢にできないとか、そういう事ではありません。
テーマを体現させるに必要なキャラクター、の事です。
よって、そもそもテーマが無いのに、キャラクターなんか作れないのです。
もっと言うと、
メインプロットとサブプロットに分別できていない「キャラ立て」をしてはいけません。
失敗例は、こちらで掲載中の「神の目から零れた聖者」です。
あれ、前半全部いらないです。(言い訳中)
二部の主人公一人語り以降が「メインプロット」であり、そこまでは伏線と、茶を濁すだけの余談です。(言い訳中)
というか、メインプロットを二つに設定したせいで、前半丸々、そちらに使わざるを得なくなってしまい、でもそれだけじゃつまらないから、取って付けた「よくある奴」でごり押しした状態になりました。(大いに言い訳なう)
いつかガッツリ改稿します。あんな前半は、短編の外伝でやってればいいのです。
メインプロットを分裂させたのは失敗です。辻褄は合わなくなるかもしれませんが、むしろ、外伝二つを前半にぶち込んだ方が良いでしょう。
話がめちゃくちゃになる?
私は、一向にかまわんッッ!(By烈海王)
そう、一向に構わないのです。私は、そういう作風を目指していたはずです。
【こんなものを書いても世の中は変わらない】
以下、私が影響を受けた作家さんです。
・宮崎駿&高畑勲
・芥川龍之介
・太宰治
・三島由紀夫
・夏目漱石
・ハインライン
・カート・ヴォネガット
・スタンリー・キューブリック
今、パッと思いついた名前で、もっとありますが省略。
一番初めに宮崎駿さんが来ているのは、ジブリが好きだから、ではありません。嫌いじゃないですが、「もののけ姫」以降の作品は「?」って感じです。
この人の志が、とんでもない影響を私に与えています。
「僕はね、毎日、世界を変えてやろうと思ってやってんだよ!」
私の中で宮崎駿監督の最高傑作は
「もののけ姫、のメイキングビデオ」です。
その中での言葉です。確か……(別記事だったかもしれません。間違ってたらスイマセン)
ちょうどあの頃、学校の授業で「物語を書いてみよう」みたいなものがあり、初めてプロットを書いた時でした。
存外、すんなりと書けて満足していたのですが、宮崎駿さんのあの姿勢を見て、「こんなものじゃ、世界は変わらない」と、稚拙なプロットを投げ捨てました。
ぶっちゃけ、プロットなんかどうでもいいと思っています。
これはカート・ヴォネガットの影響です。有名な「タイタンの妖女」で顕著なのですが、彼の感覚はかなり俯瞰的です。
「物語を読み終えた時、一から十までの文章を全部覚えていて、ストーリーや構成を全部解析して、論理的に物語を説明できる奴なんかいないだろ?
ぼんやり夢見心地で、一瞬のシーンだけが乱立している状態じゃないのか?
だったら、綺麗なプロットなんか意味ないだろ」
ごもっとも。そのおかげで読みづらくで仕様が無いですが、ある意味で頭を真っ白にして読めば良いので、どこから読んでも大丈夫という保険にもなります。
どこを読んでも、ヴォネガットが出てきます。
この傾向は、宮崎駿さんも顕著です。
「魔女の宅急便」、冒頭から観ていなくても、話し分かりますよね?
彼がこの物語で言いたい事、途中から輪切りで観ても分かりますよね?
カリオストロ、ラピュタ、豚、もののけ、全部分かりますよね?
(ナウシカは除く)
世界を変えようと思うのなら、プロットとか考えている時点で駄目なのです。
そんな小さな事に心血注ぐ前に、テーマと向き合わなければならないのです。(当然、その後小さな事にも心血は注ぐのですが)
太宰治なんか、それの嵐です。もう、それしかないくらい、全力直球の「魂勝負」です。プロットなんか糞くらえと中指立ててます。
そんな作品が、日本史上一番売れている小説です。
そうなりたい!
と思って物書を始めた十五の夜だったのに、どうやら魔が差していたようです。
書きたい事しか、書いちゃ駄目ですね、やっぱり。
そうでは無い人もいるのでしょうが、そうである為にわざわざ安定収入のある仕事に就いて、こうしてネット小説を書くのですから、安易なものは不要ですね。
書きたいものを、書こう。
そんな、湿った夜のひと時でした。
追記
宮崎駿さんは後に「っても、(世の中は)なんにも変わんないけどね」とおっしゃってます(笑)
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