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 しかし、師は再び絵に視線を戻し、続けて意外なことを言った。 「相変わらず人の気配のない寂寥とした景色はひどく寂しいが、月の光のあたたかさに救われる。草准、お前は少し変わったな」  その横顔に浮かぶわずかな安堵の色に、言葉を失くす。  答えを待たず、劫詠はその場を去った。わけもなく、してやられたように思えて、草准は複雑な心持になる。  古箭草准の絵は寂しい……とよく言われる。もちろん、胸をしめつけられるようなその寂しさこそが人気の理由であるとも言われるのだが、師が何よりも、こうした絵ばかりを描く自分の心情を案じてくれていることを、草准は知っていた。  この絵にわずかでもあたたかさが垣間見えるとしたら、それは荒涼とした月の野原を共に見ていた記者、レオナルド・タカハシのおかげなのだと、草准は認めないわけにはいかない。  「少しはあの家に新しい空気を入れろ」と、半ば強引に彼を草准の元に引き入れたのは、他ならぬ劫詠なのだが、呆れたことに、師匠はすでにそのことをすっかり忘れてしまっているらしい。  まったく、「新しい空気」どころか、あの男はちょっとしたつむじ風なのだが……草准はため息をつく。  そのレオは、昨日のちょうど同じ時間にこの会場に現れて、さっき劫詠がいたのと同じ場所に立ち、同じように長い間言葉もなく絵を見つめていた。  草准宅で目覚め、仕事に遅れそうだとあわてた風に飛び出していったのがその日の朝だったから、まったく慌ただしいことだ。草准と交代に彼のベッドで眠ったことは覚えていなかったらしく、面食らったような顔で起きてきたのが、どうにも可笑しかった。  急いでいるならこれぐらいは飲んでいけと作ってやった野菜ジュースを、大げさなほどの感動の面持ちで飲み干し、ゆうべは本当に楽しかったと惚れぼれするような笑みと共に言われた時は、どうにも落ち着かない心地になったが……。  やっぱり、あの男は油断がならないと思う。  以前もそう思ったことはあったが、あの時とは少しばかり、心持が違う。今、草准の警戒は、レオ自身にではなく、自分自身の内面に向けられていた。  誰かに心を開くこと、自身のすべてを明け渡すことの心地よさに、ともすれば溺れてしまいそうな自分が怖い。
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