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 10月も中旬を越え、木々の葉が鮮やかな色に染まり始めると、草准は1日のほとんどを、スケッチの道具を携え、野山を歩き回って過ごすようになった。  季節は毎年同じように巡り来るはずなのに、自然はその都度、違う顔を見せてくれるような気がする。日々、移りゆくその風景を画紙に写し取り、眼や心に焼きつけることに夢中になっていた。  一度三昧の境地に入ってしまうと寒さも忘れ、日が暮れてもなお深い山中で描き続ける画家が心配だったのだろう。レオも時おり、カメラを携えてついてきた。そうして1日中、草准の傍らで写真を撮ったり、短い質問を寄越したり、何やら原稿を書いたりして過ごしているのだった。  姿を撮られるのにもずいぶん慣れた。もちろんレオだからこそ安心していられるのだろうけれども。描くことに熱中していると、撮られたことにも気づかず、後で写真を見せられて驚いてしまうほどだ。  10月の初めに出た『Orient Art』誌に載った草准のポートレイトは、本国でかなり話題になったらしい。古箭草准の絵を知る者も知らぬ者も、その姿に驚いた。しかし、不愉快な騒がれ方をすることはなかった。レオの撮った写真が、あまりに芸術性にあふれたものであったからだ。  これはレオの手柄といえる。これが画家に悪しき変化を呼ぶことには絶対にすまいと誓って、彼があの写真を撮ったことを、草准は知る由もなかったが……。  日本でももちろん、古箭草准の「顔出し」は、美術関係者たちの間でちょっとした騒ぎになったらしいが、騒ぎが大きく広がることはなかった。  これはレオの写真の力もさることながら、葦河劫詠の力が大きい。師匠は、「あまり騒がないでやってくれ」と方々に声をかけてくれていたのだ。画壇一の実力者のお達しとあれば、みな黙らないわけにいかない。  そのことを手島支局長から聞いて、草准は驚かずにはいられなかった。師匠は決して、自身がレオをこの家に引き入れたことを、忘れたわけではなかったのだ。  今回の記事に使われたポートレイトはたった1枚だけだったから、次の特集ではもっとたくさん撮ってくれと会社に言われ、ともかくレオは張り切っているらしい。草准も、もう、大丈夫だと思えるようになっていた。
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