私のママは食卓に座らない

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「脳のコピーをとる作業って、結構しんどいらしいじゃん。サツキのお母さん、よくやったよね。病気だったのに」  昼休み、私たちのお気に入り、中庭のベンチでだらだらしながらユリナが言った。  脳の移植は、微妙な痛みと疲労感を伴うものらしい。それが、母の寿命を縮めたのだ、なんで止めなかったんだ、と母方の祖母はことあるごとにパパに言っている。もう十年以上前のこと、正直いい加減しつこいと思う。ママが仲裁に入っても、聞く耳を持たない。祖母はママのことを嫌ってるから、娘の仇って。本当、年寄りは頑固で嫌になる。  だいたい、自分の頭脳を残すことは、母が決めたのに。そうじゃないと、作成できないのに。  AIの技術が向上し、実際の人間の複製ができるようになった時、幾つかその作成についてルールが決められた。  本人の承諾がないAIの作成は禁止。書面の提出はもちろん、それが自分の本当の意思に基づくものか、誰かに脅されたりしていないか、金銭などが不正に動いていないか、心理テストや調査をされる。これが結構厳しくて、少しでも不審なところがあると通らないらしい。  それから、本人の承諾があっても、身辺調査に引っかかったらこれもNG。前科があるとか、あまりにも素行が悪い場合には認められないらしい。まあ、悪いことするってわかっている人の複製つくるの、リスキーだもんね。  本人に似せたアンドロイドに、そのAIを搭載するには、本人が亡くなることが必要。おなじ人間が二人存在しないように、ということだ。AIをデバイス上だけで使用する場合などは、また違う規定があるらしい。ママに関係ないことだから、こっちはよく知らない。  そのアンドロイドの耐久年は、本人が亡くなった時の年齢と合わせて百二十年を超えないようになっている。現代医学での平均寿命を超えない。超えることを認めてしまうと、人は不死になってしまうから。おなじ理由で、アンドロイドは壊れたら、そこでおしまい。私たちに許された死は二回だけ。肉体の死と、アンドロイドの死で一回ずつ。  そうそう、不老にならないように、半年に一度外見のメンテナンスがある。少しずつ、ママも歳をとっていくのだ。これは故人のAIを使った場合だけで、それ以外のお仕事アンドロイドなんかは、もちろん普通に歳を取らない。逆に外見をみだりにいじっちゃ、いけないことになっている。アンドロイドはアンドロイドらしく、ってことらしい。  そうそう、AIが犯罪に使われないように、作成されたAIのログデータは一日一回、情報管理省に送信される。結構、これがネックになって作成を辞める人もいるらしい。それから、故人AI搭載のアンドロイドに関わるのを極端に嫌がる人もいる。うちの教頭とか。プライバシーの侵害だ! って。国家に監視されるなんて耐えられない! って。  でも、ログを見るのは基本、情管省のAIだけ。AIがチェックして、問題行為があったと思われる場合だけ、人間がチェックする。だから、普通にしていれば、プライバシーが侵害されることなんてない。私は、情管省のチェックを気にしたことなんてない。ログは高度に暗号化されているから、仮にハッキングされたところでその内容を部外者が特定するのは不可能だし。  そんな数々のチェック項目や多数の誓約書を書いて、ようやくAIの作成に、頭脳の複製に取り掛かることになる。普通は数年かけて行うらしいけど、母とママの場合は、余命の問題があって、体調が良い時に一気に行ったらしい。  たまにテレビでやっているから知っている。ごっつい、大きな機械に頭をつないで、思考のトレースをする。様々なパターンの質問をして、こんな時何を選ぶのかラーニングさせるのだ。これが結構、精神的にもストレスになるって聞いた。結構、極限状態の質問もするらしいから。所謂、トロッコ問題的な。  これまでに書いた日記や、手紙、作文などもラーニングの対象になる。ああ、そうそう、これも嫌がる人が多いって聞いた。確かに、手紙も日記も、人に見られたくないもんね。だけど、ラーニング用の素材は多いに越したことはない。一見、今の頭脳のコピーには不要そうな、子ども時代のものも、年代別にラーニングすることで、成長をトレースできるから効果的らしい。  母は、子供の頃の拙い作文も、つらいことも悲しいことも恥ずかしいことも嬉しいこともたくさん書いた日記も、パパに渡したラブレターも、ラーニングのために提出したっていう。通知表とか、絵とか、そういう子ども時代の残っていたものを段ボールごと持って行って、技術者に、助かるけど量が多くてちょっと引く、っていう態度を取られたって、パパが苦笑いしていた。母の話をする時のパパはいつもより感情表現が豊かだから、好き。  日記とか提出するの、私だったらちょっと嫌かも。だからやっぱり、母はすごい。あと、パパへの手紙については、許可してくれたパパもすごいと思う。二人とも、母の頭脳を残すことに一生懸命だった。  まだ物心もついていなかった私を、パパ一人で育てなくて済むように。母がずっと、死後も私と居られるように。  恥ずかしい思いも、病気の体での連日のラーニング作業も、母は耐えてくれた。ユリナの言う通り、よくやったと思う。感謝している。 「まあ、あれよね。私への愛だよね」  私がおどけて答えると、 「うわー、ムカつく」  ユリナが笑う。でも、すぐに、 「ま、私もそう思うけど」  真顔で言った。それから、うらやましいと続ける。ユリナの家は、ちょっと行き過ぎた放任主義のところがある。だから、ママも心配して、よくユリナを家に招待している。それらを踏まえて、うらやましいと素直に言ってくれるユリナのことが好きだ。  同級生の中には、故人AIに偏見を持っているやつもたくさんいる。教頭みたいなジジイならともかく、若いのに変なの。これからは、当たり前になるのに。  シングルファザー家庭の子は、そんな母親は受け入れられないって私に面と向かって言ってきた。そんなの愛でもなんでもないって。めっちゃムカついた。でも、また校長室に呼ばれたら嫌だから、無視したけど。  私から言わせれば、自分が亡くなったあとの子供の心配をしなかった、その子の母親は愛が足りないと思う。まあ、いない理由、知らないけど。突然の事故とかだったら、申し訳ないかな。タダでもないし。  でも、子供がせめて成人するぐらいまでは、見守れるように、みんな自分の頭脳を残しておくって法律で決めてもいいぐらいだと思う。片親でも、それこそ親がいなくても子供は育つけど、見守りたいって母みたいに思うのが普通じゃない?  それに、異性の親だけだと上手くいかないことってあるじゃん? その子だって、生理が始まった時に困ったくせに。たまたま買い物してたうちのママに助けて貰ったくせに。  でもまあ、新しいことに世界が不寛容なのは仕方ない。今は両親が男同士、女同士ってことも普通だけど、昔は有り得なかったって聞いたことあるし。  だからこそ、うちの家族は仲良く、楽しく過ごすべきなのだ。外野の声とか無視して。いずれ、故人AIとの生活が普通になる世界が来ることを信じて。その先駆者として。  まあ、そんな仰々しいことを考えるまでもなく、私の家族は仲がいい。ママはすぐにガミガミ言うからたまにウザイし、パパもめんどくさい時あるけど。でも、今すぐ家を出ていきたい! なんて感じじゃない。自分で言うのもおかしいけど、思春期の中学二年生としては、割と仲良いレベルだと思う。  そう、思ってた。
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