私のママは食卓に座らない

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 気づけば、パパが家に帰って来る日が減った。医者のパパは、勤務時間が不規則だから多少顔を合わせる日が少なくても、最初はあんまり気にならなかった。  でも、一ヶ月ぐらい経つと、会わない日が格段に増えてることに気がついた。 「最近、忙しいの?」  珍しく、朝ごはんが一緒になった時に尋ねると、 「一人急に辞めてね」  困ったような顔をしてそう言うから、そうなんだろうなって信じてた。私は、子供だ。  でも、ママは違った。なんだろう、女の勘なのかな? パパの話を疑って、調べていたらしい。  ある夜、リビングから聞こえてくる話し声で私は目を覚ました。話し声っていうか、怒鳴り声?  不穏な空気に心臓がきゅってなって、気持ち悪かったけど、確認しないまま寝るなんてできない。そっと音を立てないように気をつけて、部屋から出る。盗み聞きするために。  ちょっと階段が軋んだりしたけど、パパもママも気が付かなかったみたいた。ママが故人AIを積んだアンドロイドで良かったなって、いつもと違う意味でちょっと思った。普通のお仕事アンドロイドなら、熱とか音とかで私がリビングのドアのすぐ脇にしゃがみこんでること、気づいただろうから。故人AIを積んだアンドロイドは、その能力を故人のものに合わせている。たまに勘違いされることがあるけど、ママは母とおなじ身体能力しかない。強くもないし、優れた感覚があるわけでもない。料理、失敗するぐらいだしね。そんなところも、ママが私の母親らしいところだと思う。 「あんまり大きな声出すなよ、サツキが起きるぞ」  パパが呆れたように言う。ソファーに座ってたパパの足だけが、私のところからは見える。 「誰が大きい声を出させていると思ってるのっ!」  ママは声をあまり大きくしないように気をつけてるけど、やっぱりダメだった、みたいな声で言った。怒りが滲み出た声。 「怒ってる?」 「当たり前でしょ! 一人辞めたから忙しいだなんて嘘ついて、たまにホテルに泊まって。不倫ではないみたいだから、まだいいけど……」  え、あれ、嘘だったの? なんでそんな嘘を? 不倫じゃないっていうのは、よかったけど。そんなの、キモすぎるし。 「嘘をついて帰って来ないなんて、怒らないわけないじゃない!」 「俺としては勝手に興信所雇って調べられたことについて怒りたいところだけどね」  パパが疲れたようにため息をつく。それから、ママの顔を見上げた。 「怒ってるっていうけど、君の怒りは感情じゃないだろ?」 「え?」 「君の怒りは、こういう時にはこういう風に怒るもんだって、ラーニングされた結果の発露だろ、それは怒りじゃない。機械は、怒らない」 「……私を、機械だって言うわけ?」  ママの声が震えてる。  私は、パパが言ったことが理解できなくて、しばらくドアの横で固まってた。  AIに感情はない、それはそう学習され、出力されただけのもの。そうやって世間が思っているのは知っている。でも、ママは違うのに。それは、大量生産のAIの話であって、一から機械学習されたものの話であって、ママみたいな故人AIはまた別の話なのに。ママは母の頭脳を、考え方を、気持ちを、引き継いでいるのに。 「機械だよ。ミドリの頭脳の複製であっても機械だし、君はミドリじゃない」 「どうしてそんな酷いこと言うの? このAIを作るときは、協力してくれたじゃない!」 「ああ、あの時はミドリが死んでも一緒に居られるなら……って思ったんだ。とんだ勘違いだった。見た目は似ていても、君はミドリじゃない、機械だ」  心臓がバクバク言っている。泣きそう。気持ち悪い。パパは何を言っているの? ママは、ママなのに。  怖くて動けない。二人の顔を見るのが怖い。 「止めるべきだった、ミドリがAIを作ると言った時に。俺一人でちゃんとサツキを育てるから、大丈夫だからって」 「できたと思うの? 多忙なあなたに。子育てを手伝う余裕がないから仕事を辞めてくれって私に言ったあなたに」 「……どうにかしてたさ、そうなったら」 「嘘。あなたには無理。医者の仕事を捨てられない。キャリアを手放せない。あなただけだったら、絶対サツキに寂しい思いをさせてた」  ママの声が、少し勝ち誇ったような声色になる。 「私から仕事を奪っておいて、サツキと過ごす時間まで奪うつもり?」 「だから、お前はミドリじゃないって言ってるだろっ!」  パパが声を荒らげる。 「人工的に作られたニセモノの癖に、ミドリとの思い出を語るなっ!」 「人工的っていうけど、作ったのは私自身。選んだのは私よ。私が、この頭脳に与えたの。あなたとの思い出をっ。しっかり日記をつけていたから、ちゃんと覚えているっ!」 「何が覚えているだっ! 後付けのデータでしかないくせにっ。ミドリが日記に書いたことしか知らないくせにっ」 「普通に生きてたら人間誰でも多少は忘れていくもの。記憶に欠落があっても仕方ないじゃない。……あなたのミドリなら、そう言うでしょう?」  ママの言葉尻が上がる。どこか、揶揄するように。  パパが息をのんだ音がやけに大きく聞こえて、 「……ああ、そうだな」  ちょっとの間の後、パパはため息交じりに話し出した。 「ミドリならきっと、そう言うだろう」 「そうでしょ? だって私が、ミドリだから。ねぇ、あなたは私の感情を、ラーニングに基づくものだっていうけど、人間だってそうじゃない。ここで笑った方がいい、ここは怒っていいところだ、そういうのは成長していきながらの積み重ねによるものでしょう? 単純な快不快は赤ん坊でもわかるけど、もうちょっと複雑な感情は、成長していく中で手に入れるものじゃない。同じ映画を見て、泣く人と泣かない人がいるのは、そこに至るまでのその人の考え方、感じ方、人生経験、そういったものの積み重ねでしょう?」  ママの声は、少し落ち着いていた。 「ねえ、私と、私のAIと、どこが違うの?」  パパは答えない。 「私は、あなたの妻ミドリの外見を模して、運動能力を合わせた器をもっていて、あなたの妻ミドリの知識をラーニングした頭脳を持っている。このAIの完成度が高い、資料が多かった分、より良く再現されている。そう技術者たちが言っていたこと、忘れた?」 「……覚えてるよ」  パパの声がかすれる。 「じゃあ、これは? このAIの考えは、まるっきり私と一緒ですねって、ミドリが言っていたことは?」 「……覚えてる」 「なのに、私を否定するの?」  パパは答えない。ママも急かさない。  私の心臓だけが、ドキドキと音を立てている。  やがて、パパが深々とため息を吐く音が聴こえた。それから、 「確かに、君はミドリと同じように考えて、同じように存在しているのかもしれない。ミドリが生きていたら、多分、今と同じような生活をしていただろう」 「だったら」 「だけど」  何か言いかけたママを、パパの鋭い声が遮った。 「君は、アンドロイドだ。俺は医者として、君を命とは認められない」 「命って……」 「君は食事をとらない。とる必要がないから、そして、人間と一緒に食卓につくことが禁じられているから。その差は小さいように見えるかもしれないけど、やっぱり大きいよ」  どうして、そんなこと言うの? ママが隣で立っていてくれるだけで、私は満足なのに。 「結婚するときに決めた、誕生日の約束、知ってる?」  パパは覚えてる? とは訊かなかった。 「……覚えてるよ」  ママは小さな声で、それでも覚えていると答えた。知ってるとは、言わなかった。 「どんだけ仕事が忙しくても、お互いの、それから、生まれてくる子供の誕生日を祝う時だけは、一緒に食事をとろう。そう決めた。俺は守ってるよ。……当日はちょっと無理なときがあるけど、今日はパーティをしますっていう日には、絶対帰ってくる。だけど、君は守ってないだろう? 一緒に、食事をとれないから」  ママは何も言わない。 「だから、悪いけど、俺は君を、ミドリだとは思えない。サツキの母親役をやってくれていることには、感謝しているけど」 「……役なのね」 「ああ」  そう、とママが小さく呟くのが聞こえた。 「とりあえず、今日はもう寝る。君も、休んだ方がいい」  パパがそういうのが聞こえて、慌てて私は立ち上がった。その言葉が鍵だったように、ドアの横で縛りつけられていた体が動いた。  急いで、でも音を立てないように気を付けて、自分の部屋に戻り、ベッドに滑り込む。  毛布を頭でかぶると、ポロポロ涙がこぼれてきた。  声を出さないようにしなくっちゃ。  体を丸める。  パパは母の思い出があるから、ママのことが微妙なのかなって思ってた。でも、それどころの問題じゃなかった。パパは、ママのことを、私のママとしてすら認めていない。存在を認めていない。  ひどい。そんなの、あの教頭と一緒じゃないか。  私のためを思って、ママを作ってくれた母の気持ちだって、ないがしろにしてるじゃないか。  ひどい、ひどい。  誕生日パーティなんて、どうでもいいのに。席につかなくたって、ママがいてくれればいいのに。ママがいれば、それでいいのに。  パパはひどい。嫌い。でも、嫌いになりきれない。だって、パパだから。  ママも好き。パパも好き。三人で仲良く暮らしたいだけなのに。  ぎゅって心臓が痛い。  ただただ、丸まりながら涙を流していた。
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