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番外編 後宮に行く前に
◆本編3話の王太子とロエルが以前出会っていたエピソードになります。
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「あら、ロエル!おはよう!!」
「おはよう、おばさん!」
「ロエル、久しぶりだな。今日は生きのいいのが入ってるよ!兄さん達の酒の肴にどうだい?」
「おじさん、ありがとう!じゃあ、それちょうだい。後はね⋯⋯」
港の朝市は景気がいい。
威勢のいい掛け声が響き、仕入れに来た人々で賑わっている。
いつもなら朝食後に店を掃除の時間だが、今日は使用人が熱を出した。
代わりに朝市までやってきたロエルは、あちこちから声をかけられた。
「『蒼月』の末子じゃねえか、ずいぶん大きくなって!」
「おじさん、おれもう15になったんだよ。あ、それ欲しい。10尾買うからこっちもつけて」
市場の中央にある店は、昔からの馴染みだ。
ふっくらとした干物が長方形の板船の上に行儀よく並んでいる。
時期に採れる海藻も青々としてつややかだ。
赤銅色の肌に丸太のように太い腕の店主の目元が緩む。
「おお、相変わらず鼻は低いが、魚を見る目は高いな!」
「低く⋯⋯ないです。ふ、ふつう!普通なんだからね!!」
周囲からどっと笑い声が上がった。
ロエルが幼い頃からよく知っている主人は、軽口をたたきながら予想以上に安くしてくれた。
花街まではさして遠くはないが、魚はすぐに傷む。多くは持ちきれない。
干物は油紙に包んでもらい、内臓を取ってもらった魚は専用の桶に入れる。
さっさと帰って、下拵えにかからなければ。
「おじさん、ありがとう!」
ロエルが幼い頃、兄のカザルやハヌルは弟を背負いながら市場に来た。
末子を産んでまもなく母は死に、父は店を軌道に乗せるのに必死だった。
必然的に、ロエルの世話は兄たちの仕事だったのだ。
──水が好きなのは、海の近くで育ったからなのかな。
潮の匂い、飛び交う海鳥たちの鳴き声。
何よりさざ波をたてながら光る海面が好きだ。港から離れるほどに海の色は、くっきりと鮮やかに変わっていく。
強くなってきた日差しの中、港から花街までは、だらだらと続く坂道だ。
予想以上に買い込み⋯⋯いや、もらいすぎた。
魚だけでなく、市には野菜も売っている。
気のいい女主人たちが新鮮な野菜を詰め込んでくれた。
市場を出て通りを真直ぐに歩き、角を曲がろうとした時のことだった。
左の坂道を走り下りてきた子どもが目の前の二人連れの男たちにぶつかった。
ドンッ!とはずみでよろけた一人の男がこちらに⋯⋯。
こちらに。
筋肉質な男に体当たりされ、ロエルは石畳の上に転がった。
「すまない!大丈夫か?」
慌てて差し出された手に縋って何とか起き上がったロエルは、目を大きく見開いた。
「さかながあぁぁぁああ!!!!!」
桶は転がり、魚と野菜が辺りに飛び散っている。
ロエルの悲鳴が通りに響き渡った。
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