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「それで?今夜の肴は片端から原形をとどめてないってわけか?」
長兄のカザルの声が冷たい。全くいたたまれない。
ロエルはあの後、道に転がった魚や野菜を拾い、見知らぬ男たちに手伝ってもらいながら帰ってきた。
「まあまあ。事故ってもんは仕方がねえよ。兄さん、それより今夜の飯は全部ロエルが作ったんだ。あと少しで王宮に行くって言うのにさ」
次兄のハヌルがそう言うと、食卓は急にしんみりした。
青身魚のすり身を野菜と混ぜて練ったつみれのスープに、山の芋と混ぜた揚げ物。
魚肉を香草・味噌と刻んで和えて酢をかけた、たたき鱠。
干物を炙って千切り、酢飯に混ぜ込んで錦糸卵を乗せたちらし寿司。
食卓には、ロエルが腕によりをかけてつくった品々が並んだ。
「⋯⋯ごめんね、兄さん。よかったら食べて。市場のおじさんたちが、たくさんおまけしてくれたんだ。魚は、そのままじゃ使えなくて」
──本当はカザル兄さんの好きな刺身か煮物にしたかった。
「⋯⋯お前が作る料理は、うまいからな。それにこれは俺の好物だ」
カザルがにこりと笑い、たたき鱠を手に取る。
ハヌルがロエルの頭をクシャリと撫でた。
「俺はお前が晩飯作ってくれるなら、毎日でも早く帰ってくるけどなあ」
「ハヌル。⋯⋯蒼月が、あっという間に干上がるぞ」
「そうなんだよなー!」
置屋は夕方からが忙しい。芸妓や仕込たちを茶屋に差配し、送り出す。
兄弟が揃って夕飯をとれる日は滅多にない。
「二人とも⋯⋯忙しいのに、ありがとう」
兄たちが、自分の為にわざわざ夕食をとる時間を作ってくれたのだと思うと嬉しかった。
「いいか、ロエル。王宮には行けばいいんだ。頑張って残ろうとしなくていいんだからな」
「楽な気持ちで行けよ。どうせ他に人はたくさんいるんだから!」
励ましてくれる兄たちに胸がいっぱいになって、頷くしかできない。
「この間リアンにもらった酒も出そう」
カザルが機嫌よく立ち上がった。
「あれ?師匠から?」
「兄さん、リアンにいさんと仲直りしたの?」
ロエルが王宮に行くと知って、リアンがカザルを殴りつけた記憶はまだ新しい。
驚く弟たちを見て、長兄がにやりと笑う。
「ドゥの大吟醸、『斬鉄』を送らせた」
「幻の名酒じゃねえか!」
霧の国と呼ばれるドゥで僅かに産出される酒は、滅多に市場に出回らない。
──リアンはどうやって手に入れたのだろう。
「せっかくだから、お前も一口飲んでいけ」
小さな硝子の猪口を渡される。
つがれた酒をほんの少しだけ、舐めてみる。
すっきりと爽やかな味わいだった。
「美味しい」
「リアンに伝えといてやる。お前が喜んだと言えば、あいつの機嫌も直るだろう」
ふてくされたリアンの顔が頭に浮かぶ。
おかしくなって、ロエルは思わず笑ってしまった。
兄弟三人の夕餉は、静かに和やかに進んでいった。
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