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蒼月の主、カザルが座敷に端然と座って言った。
「弟のロエルを後宮に行かせることにした。すまないが、お前も一緒に行ってはくれないか」
蒼月は王都の花街にある置屋だ。
親元から離された子どもたちに衣食住を与え、一人前の芸妓に育て上げる。
幼いリュカは親に売られた。蒼月に来て初めてお腹いっぱい食事をとり、あたたかい布団で眠れたのだ。
主の言葉に一も二もなく頷く。
若き当主はこうも言った。
「後宮に行くとは言っても、まずは王宮で審査がある。審査に通らなければすぐに家に帰される」
──ロエルは、芸妓に長け器量もいいお前とは違う。すぐに帰されるだろう。
言葉にしない主の思惑を、リュカは正確に見抜いていた。
主の末の弟ロエルは、リュカと同い年だ。容姿は平凡だが、誰にでもにこにこと笑顔を絶やさない。
朝早くから使用人たちと働き、学校が休みの日はリュカたちの食事も作ってくれる。
自分はろくに役に立たないと言うが、人が嫌がることを文句も言わずに片付ける。
俺は、ロエルのためなら地獄にでも一緒に行ってやる。
後宮に残らず、二人で蒼月に帰るんだ。
いや、帰らなくてもいい。いっそ、このまま二人で──。
そう思っていたのに。
主様⋯⋯。俺は今、猛烈に反省しています。
なぜ、審査に通るのは美人だとばかり思っていたのでしょう⋯⋯。
花街暮らしだったせいか、美は彼等にとって常に第一の基準であった。
ところが、王宮の審査は予想外のものだった。王太子の好みがわからないから、と容姿の選抜基準はだいぶゆるい。
ゆるいどころか、むしろ、幅広かった。
厳しかったのは、会話、礼儀、作法、歌舞音曲。
貴族や大商人の息子でも、身についていないとなれば容赦なく帰された。
「適当に手を抜いて、一緒に城を出される予定だったのに」
一人ずつ部屋を与えられてまだ王宮にいるなんて。
ロエルの笑顔が瞼に浮かぶ。
「⋯⋯容姿が平凡なほかは、なんでもそこそこ出来ちまうじゃねえか!!!」
リュカの叫びは、王宮の闇に静かに消えていった。
***************
花街の置屋の末子、ロエルは悩んでいた。
「どうしよう⋯⋯どうしたらいいのかな。あと2日」
王宮に来てから2週間。
これは、本当にまずいんじゃないだろうか。
もう、とっくに家に帰っているはずだったのに。
周囲の予想に反して、ロエルは次々に審査を突破した。
まず会話。次に礼儀作法。学術もあった。最後の審査は歌や舞、鳴り物だ。
生家の『蒼月』は置屋だ。お客に対する対応や年長者への言葉遣い、礼儀作法は幼い頃から厳しく躾けられてきた。
「商売人の家の子が、礼儀知らずと言われるようじゃあ困る!!」
長兄カザルの容赦ない躾は、もはや体に染みついていた。
「読み書き算盤は生きる知恵!遠慮するこたあない。学校は俺等がいいって言ってるうちに行っとけ!」
次兄ハヌルが笑ってそう言ってくれたから、必死に勉強した。
芸妓になるわけじゃないから、舞や鳴り物は嗜み程度でいいはずだった。
しかし、幼馴染のリアンが「芸は身を助くというから」と、手取り足取り教えてくれた。
仕込たちと違って出来が良い方ではなかったが、少しできれば褒められ、よしよしと頭を撫でられる。
嬉しくなって、稽古は欠かさず真面目にやっていたのだ。
ロエルが首をひねっている間に審査はどんどん進んでしまった。
慌てたリュカも、蒼月で仕込まれた成果を発揮した。
かくして、二人は見事に最終まで残ってしまったのである。
豪奢な部屋のふかふかのベッドに座り、はぁとため息をつく。
窓からは、遠く輝く海が見える。美しく広大な庭。
──どこもかしこもビックリするぐらい綺麗だけど⋯⋯。
全然嬉しくないよ。
⋯⋯みんなに、会いたいなあ。
ベッドに横になると、部屋に飾られた花が目に入った。
ほのかに漂う甘い香り。
目をつぶると、懐かしい香りを纏った銀色の髪が見えた気がした。
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