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3.一緒にダンスを
「この子がいい」
宰相は叫んだ。
「殿下!?」
隣で文官が「マジか?」と呟いた。
──こいつは必ず降格させてやる。
王太子の手から、子豚は侍従に渡された。
疲れたのか、腕の中でぷっぷっと鳴きながらおとなしくしている。
「久しぶり⋯⋯また会えるとは思わなかったよ」
「え⋯⋯ええ?」
「つれないなあ。朝市帰りの君とぶつかって、魚まみれになった仲じゃない」
王太子はにっこり微笑んでロエルを見つめた。金色の瞳が輝く。
ロエルの脳裏に、ある日の光景がよみがえった。
そうだ、王宮に来る少し前のこと。
朝市で買った山ほどの荷物を持って角を曲がった。坂道を駆け下りてきた子どもが止まりきれず、前を歩いていた男とぶつかる。男は弾みでロエルに倒れこみ、ロエルの買った魚と野菜が飛び散って⋯⋯。
「ああぁぁあ!あの時の!」
「うんうん、思い出してくれたんだねえ。いい子だなあ」
さりげなくロエルの手を取って、そっと握る。
「一緒に踊ってほしいんだけど」
王太子がちらりと目を向けた途端、楽の音が軽やかなテンポに変わった。
人々の興味津々といった目が、ロエルと王太子に向けられる。
驚いたまま、手を取られて中央に進む。
「ダンスはあまり得意じゃ⋯⋯」
「だいじょうぶ、大丈夫!僕らが踊らなかったら始まらないよ。さあ、ぼくに合わせてくれたらいいから」
王太子は、ロエルの腰を引き寄せて中央に進む。
──この人⋯⋯王太子殿下だったんだ。あの時は慌ててたからな。でも、髪や瞳の色が違った気がするんだけど⋯⋯。
怪訝な顔をするロエルに気づいたのだろう。
王太子はロエルの手を軽く引いて、手の甲に口づけた。
周囲からため息のような声が上がる。
誰が見ても美男子だ。
人を従わせる威厳があるのに、やんちゃないたずらっ子みたいな顔をする。
王太子は驚くほどダンスが上手かった。
巧みなリードでロエルの苦手なステップをカバーしてくれる。
自分がまるでダンスが得意だと錯覚しそうになるほどだ。
「ほう、これはなかなか」
「あの茶色の髪の⋯⋯思ったより悪くはない」
「王太子殿下のお相手を殊勝に務めているではありませんか」
人々はざわめきながら、曲が変わった途端、次々に中央に進み出た。
華やかな音楽が続き、手を取り合って踊りだす。
ロエルと王太子は二曲続けて踊り、輪の中から離れた。
「あの、あの、殿下。近いです」
「そうかな、ぼくの国ではこれが普通なんだけどな。ズアの文化はわからないから」
ごめんね。王太子は優しく微笑んだまま顔を近づける。
ロエルは、広間の端に設置されたソファで王太子に抱え込まれていた。
王太子の長い指がロエルの耳にゆっくりと触れ、耳たぶをもてあそぶ。
人々の目がチラチラと二人を見るが、王太子の瞳はロエルしか見ていない。
広間に軽やかに音楽が流れては、唐突に途切れる。
「ずいぶん華奢なんだな。年はいくつ?」
「じゅ、15です」
「そうか。ぼくは22だ。ちょうどいい」
ちょうどいい?ちょうどいいのか?ロエルは混乱していた。
「この衣装は君によく似合っている。体の線がはっきり強調されるし、⋯⋯こうして肌の滑らかさを味わうこともできる」
王太子の手が服の上からロエルの体に触れる。シルクの上から太腿をゆっくりと撫で、服の裾をめくりあげた。
「ん⋯⋯んんっ」
流れる音楽が時折調子外れになるが、二人の耳には届かなかった。
「あの、あの、そこ触られるとちょっと⋯⋯」
「ん?ああ、ここでは嫌だった?ごめんね。部屋に行く方がいい?」
とろけるように甘い声で囁かれる。顎に指をかけられ、鼻先が触れそうになった時。
「殿下」
涼やかな声がした。
誰もが息をのむような美貌が現れ、嫣然と微笑んでいる。
「わたくしと一曲、踊ってはくださいませんか?殿下がこんなところで独り占めされているとは寂しゅうございます」
「リュカ⋯⋯」
「これは失礼した、こんな美しい方に気づかずにいたとは」
「待っていてくれる?」
王太子は微笑んで、ロエルのおでこに口づけを一つ落とした。
王太子はロエルからそっと体を離し、リュカの手を取った。
リュカの白い腕がしなだれかかるようにして王太子の背中に回る。
つやめいた唇が王太子のうなじを、わずかにかすめた。
王太子もリュカを見て柔らかく微笑む。
広間にざわめきが起きる。
二人はロエルを振り返ることなく、中央で踊りはじめた。
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