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ナビゲイター
長い旅になりそうだな、と僕は助手席に座っているリカに声をかけた。
リカはうつむいたまま何も言わない。
すっかり無口になってしまって……と僕は思った。
出会った頃のリカは、こんなに大人しい娘ではなかった。
僕が初めてリカを見たのは大学に入学したばかり頃だった。学生の波でごった返すキャンパスの中で、リカは笑いながら他の女の子とおしゃべりしていた。
僕はそんなリカの笑顔に一目ぼれした。
でも、どうやって声を掛けようか考えている間に、リカはどこかへと行ってしまった。
僕は広い大学内でリカを探した。
まだ名前すらわかっていない状態だったから、探すのに苦労した。
やっと見つけたリカは、僕みたいに根暗な人間にも気さくな笑顔で話しかけてくれた。
リカは内気な僕と違って、誰とでも仲良くなれるような明るい女の子だった。男女ともに友達が多かったし、僕みたいにリカに惚れる男はたくさんいた。
他に良い男がいるはずなのに、なぜか僕はリカと付き合うようになった。
どうしてリカが僕みたいな人間と付き合おうと思ったのか疑問だったが、僕は嬉しかった。
大学の4年間、僕はリカと一緒に楽しい時間を過ごした。
リカは旅行が好きだったので、僕は誘われるまま家の車でいろいろな場所へと出かけた。運転はいつも僕だったが、リカはカーナビや地図を見ながらちゃんと僕のナビゲイターをしてくれた。
楽しい4年間が終わった後、リカは実家がある隣県に就職先を決めて帰って行ってしまった。
僕は大学の近くの会社に就職した。
遠距離恋愛になってしまったが、日帰りができなくもない距離だったので、僕は頻繁にリカに会いに行った。
もちろん、リカも僕に会いに来てくれた。
遠距離恋愛を初めてから半年くらいは、学生時代と変わらないような感じだった。
でも、半年を過ぎた頃から、リカからの連絡が少なくなり、二人で会うことも少なくなった。
僕は不安になってきた。
リカは他に好きな男ができてしまったのではないだろうか……。
僕はリカにそれとなく訊いてみたが、リカは「仕事が忙しいだけ」と繰り返した。
僕はリカの言葉を信じることにした。
リカからの連絡が少なくなってからしばらくして、リカが久しぶりに僕に会いに来てくれた。
いつもと同じ笑顔で話してくるのは変わっていないが、僕はリカの何かが変わっているような気がして落ち着かなかった。
僕たちは車で学生時代によく訪れた公園へ行ってみることにした。
長い急な階段を登った上にある、街を一望できる公園だ。
まるで今にでも降ってきそうな星空の下、僕たちは久しぶりのドライブを楽しんだ。
リカは公園の駐車場まではどうでも良いような話をしていたが、車を降りて階段を登る頃には、何故かすっかり無口になってしまった。
やっぱり何かあるのだろうか、と僕は思った。
階段を登り切った所にある公園に着くと、星空の下、リカはぽつりぽつりと話を始めた。
高校の時にすごく好きな男子がいたこと。
でも、その男子には他に彼女がいたこと。
その男子を忘れるために隣県の大学に進学を決めたこと。
一途そうな僕なら、浮気されたりいきなり振られたりという辛い想いはしないだろうと思って付き合い始めたこと。
大学卒業後、両親との約束通り地元に帰ると、あの男子と偶然再会したこと。
男子は彼女と別れていて、その後、頻繁に会うようになったこと……。
「――本当にごめん」
リカは僕に謝って頭を下げた。今度は僕が無口になる番だった。「私、帰る。今日は送らなくても良いから」
リカは僕を置いて、その場から去って行った。
僕はショックのあまりしばらく動けなかったが、やっぱりリカと別れたくないと思ってリカの後を追った。
リカは階段を下りようとしているところだった。
僕はリカの名前を読んだが、上手く声が出なかった。とにかくリカを引き留めたかった僕は、リカの肩つかもうと手を伸ばした。
リカは僕の気配を感じたのか、後ろを振り返った。
その途端、バランスを崩して転倒すると、階段から転がり落ちた。
あっと言う間だった。
僕はリカの腕を掴もうとしたが間に合わず、リカは階段の下まで転がり落ちてしまった。
僕は慌てて階段を駆け下りてリカを抱き起した。
リカはまったく動かない、息すらしていない。
脈もなかった……。
僕はリカを抱き上げて、駐車場の自分の車のところまで歩いて行った。
そして、リカを助手席に乗せると、車を発進させた。
病院に連れて行こうとも思ったし、リカの実家へ行こうとも思った。
でも、何をしたってリカは戻らないし、だったら、このまま一緒にどこかへ行ってしまおうと思った。
車を走らせながら、長い旅になりそうだな、と僕は助手席に座っているリカに声をかけた。
リカはうつむいたまま何も言わない。
すっかり無口になってしまって……、と僕は思った。
空には相変わらず満天の星空が広がっている。
ふと、流れ星が目の前を通り過ぎたような気がした。
僕は願い事を心の中で唱えようとしたが、結局止めた。
目の前に海が見えて来た。
僕は海に向かって力いっぱいアクセルを踏んだ。
多分、先に行っているリカがナビゲイターをしてくれるから、これから先のことは心配しなくても良いだろう。
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