木蓮

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木蓮

【木蓮】  記憶には一部だけ思い出せないことが多い――。  娘が生まれた。それは丁度木蓮の花が満開の季節で、私は幼い頃に読んだ絵本の木蓮の妖精が大好きだったこともあり、妻と話し合い木蓮の和名の一つである“ハネズ”という名前を付けた。  幼い頃に好きだった木蓮の妖精は真っ白で優しい表情の夜になると花を光らせ木の周りを明るく照らしていた。けれどそのことを思い出すと同時に蘇る記憶がある。  その人は真っ赤な夕焼けを背に木蓮の花びらを拾うと静かな声で『木蓮の花が枯れるときはまるで――』と語り始め幼い私に何かを問いかけてくる。でも、私はその問いかけを思い出せない。  子供の成長とは早いものであっという間に3年という月日が流れた。  ハネズは本当に木蓮の花のように真っ白な肌の綺麗で可愛らしい笑顔の娘に育ってくれ、毎日家の中をその笑顔で明るく照らしてくれている。  私はそんな娘を見て、あの絵本を娘にも見せてやりたくなった。しかし何というタイトルの話だったかが思い出せない。  ネットで検索してみても見つからなかったのでSNSで誰か記憶にないかと呼び掛けたところ、数人からコメントがあり、その中の一冊が幼い頃に読んだ本だったので、仕事の帰りに本屋でその本を取り寄せてもらうことにした。  電車に揺られながら本を見つけてくれた相手にお礼のメッセージを送り、最寄り駅についた頃には真っ暗になっていた。夕飯を作りながら待ってくれている家族の元へ足を速めつつも、満開の木蓮に足を止める。 『木蓮の花が枯れるときはまるで――』  私はあの人の問いかけに回答しなかったということだけは記憶している。でも、問いかけはどうしても思い出せない。  あのときもこんな風に真っ赤な夕焼けだったというのに。真っ赤な夕焼??  周囲が一気に騒がしくなる。少し先で火災が起きたらしく、遠くから消防車が近づいてくる音が響いてくる。でもそんなことよりも、その方角は自宅がある方角だった。  杞憂であってほしいと思いながら私は走ったが嫌な予感ほど当たるもので、家族が待つアパートは火柱を立てて燃え盛っている。  それでも一番激しく燃えているのは隣の棟なのできっと妻と娘は無事に逃げていると信じて、野次馬の中で何度も、何度も二人の名前を叫んだ。  喉が痛くなり、かすれ声になっても、妻の返事も娘の姿も見つけることはできなかった……。  鎮火したのは1時間程経ってからで、周囲は酷い臭いに包まれ、灰にまみれている。  野次馬もいなくなり、偶然か必然か私が腰かけたのは木蓮の木の下だった。妻と娘はもしかすると病院に搬送されているという可能性もあるかもしれないとスマホを確認したが、誰からも連絡など入っていない。  見上げれば、すべてが灰色に染められているようなのに木蓮の花だけが白く輝いていた。  木蓮の名を持つ娘もきっとこの花のようにまた眩しいほどの笑顔で「パパ」と呼んでくれると少し勇気が出た気がする。  再び探すために立ち上がると、警官達が不可解な顔をしながら何かを話していた。盗み聞きするつもりではなかったが近づくとおかしな死体が見つかったという話だった。 「母親とみられる女性はとくに以上はなかったのに、その女性が抱きかかえるようにしていた女の子の遺体が――」  話の途中で私は背後から警察官に声をかけられた。警官は私に名前と部屋番号を訊ねる。「そうだ」と頷くと警官の顔が曇り、私の心拍数が徐々に上がっていくのがわかった。  連れて行かれた自宅には青いビニールシート広げられていたが、そのふくらみの下に一体何が横たわっているのかは想像しなくてもわかる。 「落ち着いて、覚悟してください」  警官の静かな声に待ってくれなんて言えなかった。  めくられたシートの下には眠っているのではないかという妻の遺体とその腕の中には確かに娘の服を着た、でも、あの白い肌とは真逆の黒くただれ、焼け焦げたような子供の遺体が横たわっている。  不思議と涙は出ず、状況が理解できなかった。体格や顔付きは確かに娘なのに、これは一体何なのか。  茫然としている中でスマホから通知音が流れ、私は無意識でそのメッセージに目を通した。絵本を見つけてくれた相手からの返事だった。 《娘さんに読ませるのは、もう少しあとの方がいい気がします。だって、あの話の最後って怖くないですか》  最後……そういえばあの絵本はどんな終わり方だっただろうか。現実から目をそらすように絵本のことを思い出そうとしていると、あのときの記憶が蘇った。そうだ。あの人はこう尋ねてきたんだ。 『木蓮の花が枯れるときはまるで――まるで誰かに燃やされたみたいだと思わないかい??』  妻と娘を含めた何人もの死人を出したこの火災は、放火だったという結果がでた。  もちろん犯人は捕まっていない。わからないことだらけで、だからこそ私は考えてしまう。  娘に、娘にもしも違う名前を付けていたら何かが違ったのだろうか。
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