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 将棋盤の上に、影が差した。  桂馬を置こうとしていた大國隼一郎九段は、その手をぴたりと止めて、視線をゆっくり上げ、影の主を見た。  木杉涼七段の、かしこまった顔があった。 「おや、これは……」 「申し訳ありません」木杉七段は丁寧に頭を下げた。「玄関でお声をかけたのですが」 「ああ、それは失礼。気づきませんで」 「お返事がなかったので、諦めて帰ろうと裏手を回ったところ、先生がいらっしゃるのをお見かけしたもので」木杉七段は庭の一隅にある裏木戸を目で示した。「勝手ながらあそこからお邪魔してしまいました」  大國九段は桂馬を盤上に置き、そうですか、と頷いた。  古い日本家屋につきものの、長い縁側が伸びている。いまそこに将棋盤を置き、庭から入る午後の光の中で、大國九段はあぐらをかいていた。骨太な体に紺の紬を着流して、くつろいだ様子である。  よっこらしょと呟きながら立ち上がり、座敷の隅に積んだ座布団を取ると、木杉七段の前に広げる。  木杉七段は、しゃちほこばって一礼すると座布団に腰を下ろし、庭を眺め渡した。夏の日盛りにもかかわらず、きちんと背広を来て、ネクタイまで締めている。それなのに汗ひとつかいていない。 「丹精されてますね。素晴らしい庭だ」 「なに、素人園芸ですよ」大國九段は謙遜する。「ところで、ご用向きは? 昨日お会いしたばかりなのに、わざわざ遠路をお訪ねいただくとは」 「昨日は名人戦、お疲れ様でした」木杉七段はまた頭を下げた。「ですが、感想戦なしでお帰りになられたので」 「ああ、感想戦」  大國九段は少し顔をしかめた。
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