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星空の下
残業を終えて帰宅した頃には二十一時をまわっていた。玄関の扉を開けて直ぐに、恋人の靴が目に入る。
「ただいま……ハル?」
明かりはついたまま、人影のないリビング。見渡すとベランダへの窓が開け放たれ、微かな夜風にカーテンが揺れていた。
ベランダでなにやら作業しているハルの背中に気付き背後からそっと覗き見れば、片腕程の大きさの笹の枝を器用に吊るし、満面の笑みを浮かべている。
(どこでもらって来たんだ……)
目が合う前に退散しようと踵を返した直後。腕を掴まれ振り返れば、目の前には白紙の短冊。
「いらねーよ?」
言われる前に言い放った俺の言葉などお構いなしに、ハルは上機嫌な表情で強引に俺をリビングのソファに座らせ、ペンを持たせた。
「だって年に一度だよ? お願い事しておこうよ、ね」
こうなるともう、ハルの言う事を聞くまで逃れることは出来ない。長い付き合いの中で、嫌になる程経験済みだ。
半ば投げやりに短冊を受け取り、ため息混じりに目の前でヒラヒラとはためかせる。
子供じゃあるまいし……。
(願い事、ねぇ)
ハルの方へ視線を向けると、既に書き上げた短冊を笹の葉に結ぼうとしている。
丁寧で美しい文字はハルそのもので、上手いもんだなとぼんやり眺めていると、気づいたハルに早く書けと急かされた。
ため息をつき、少し考えた後にペンを持つ。
書き上げた短冊を突き出すと、ハルは嬉しそうにそれを受け取った。
ふたりでベランダへ出て、空を見上げる。星なんて見えやしない。夕方まで雨も降っていたし。
「星、見えないな」
空を見上げながら呟くと、短冊を結び終えたハルが隣に並び、同じように空を見上げた。
「雲の向こう側は満天の星空だよ」
ハルの言葉はよく考えれば当たり前の事なのに、妙に感心して、そうかと答える。
目に見えなくても確かに存在する。
満天の星空。
「省吾、そのまま目を閉じて、頭の中で想像してみて」
隣のハルが楽しそうに囁く。仕方がないので目を閉じて、恋人の会話に付き合ってやる事にした。
「満天の星空が見えますか、見えますね」
「はは、見えねぇよ」
「今、ふたりで同じ星空を見上げてるよ」
笑って返しつつ、笹の葉音を聞きながら目を閉じれば、ハルの言葉につられたのか、瞼の裏に満天の星空が広がっていく。
「あ、流れ星」
ハルの言葉とともに、幻の夜空から一筋の光が流れ落ちた。
「あ……」
思わず小さな声が漏れる。開きかけた唇に柔らかなものが触れ、瞼を開ければ頬を緩めて微笑むハルの顔。
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