むすめのピー、のこと

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 むすめもスイカをもつことになる。  改札をとおるとき、スイカをもつまではじぶんの口で、ピー、といったり、ボール紙のつくりもののスマホをあわせて、ピー、といったりして、改札をぬけるとき、よくはしゃいで、たまにうれしくなりすぎて、とびあがってすこしジャンプしたら改札がしまってしまい、とおれなくなり、あおいむすめのかおを見ては身長とかで検知しているのであろうかと思ったりもしていた。  それでも、むすめもスイカをもつことになる。  家ではじぶんのつくえのいつものひきだしにしまっておかず、でかけるときになってきゅうにさがさなくてはならなかったり、いつものリュックにぶらさげていずにほかのかばんの中にはいっていたりもしていた。 「いつも使ったら、おなじところにしまっておいて」 というと、 「はい」 と威勢よくいうも、むすめはおでかけのときには、金貨か何かのたからもののように見つめさわり、こころはおどり、駅までの道のりを向かうのであった。  ピー、という、いままでは口でいったものが、スイカでとおるときに改札がピー、といってくるために、ゆっくり、たのしんで、じぶんでやりたいのであろう、むすめは、おさきに、 「どうぞ」 といっては手でうながし、じぶんのタイミングをはかって、とおったりもしていたし、スイカがタッチされて、ピーとなっているにもかかわらず、じぶんの口でも、 「ピー」 といって、うれしさ満面のえみをたたえては、よろこんでいるのであった。  改札をとおるというのはむすめにとってはこういうことなのであろうか。  それでも、たまに、おきにいりのおさがりのあみあみのかばんから、うまくだせなかったり、おきにいりのおにゅうのリュックのひもにひっかかったりして、スイカをうまくとりだせないときの、あの、あせるかおは一見である。やまかんあたってだいきらいな数学のテストの答案を時間をあましてすべて書きあげられたのに、回収されたあとに、名前を書きわすれたのを思いだして、とつぜん劇画タッチの漫画になり、ななめのこまかい線が顔中をうめるように、「ガーン」とでもさけびたくなるような、そのような表情になり、あせるかおである。さらに、うまくスイカをとりだせたにもかかわらず、改札をとおるときに、タッチがあまかったのか、それとも、じぶんの口でいう音の、ピー、がおおきすぎて、ほんものの、ピー、がきこえなくても、とおれてしまったのか、いつものとおりに京急のいちばんまえにのって、電車時間のたのしさを満喫しきったあと、たにぞこにでもおとされるかのようなことにでくわしてしまう。それは、改札をでるときに、いつもの、ピー、ではなく、カンコン、といって、自動改札のとびらがひらかず、改札のそとの世界にでられなくなってしまうことである。むすめのでられなくなってとめられたそのかおは、この世のおわりである。それでも、駅員のいる改札で事情をせつめいして、はれて改札をとおり、ピー、となったときは、懲役刑をおえ、はるかひさしぶりに、シャバにでもでてきたときのような、なんともいえないすがすがしいすっきりとしたかおである。むすめはおもしろい。  むすめもひとり改札をとおれるようになる。 「はやくして」 とかるくおこられるようにむすめにいわれ、改札のそとのあたらしい世界へとひっぱられるようにいっしょにいく。
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