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千家要。
この学園で彼を知らない生徒なんていない。
先生にも生徒会にも高等部の先輩にも怯まない気高さ、かっこよくて、少し型破りで近寄り難くて。
そして誰もが憧れる寮長だ。
僕は身に起こった恐怖でまだ指先が震えていて、シャツのボタンが上手く留められないくらいだった。
「そんなビクついてるからあんな奴らに狙われるんだ」
威厳のある、低い声。迷惑をかけたことも申し訳なくて、縮こまるしかない。
「はい、す、みません」
「謝んなよ、名前は?」
「久喜美波、です」
「いいか、美波。お前ずっとここにいるつもりなら、もっと強くなれ」
「……強く、」
「お前みたいな奴は、今のままじゃまた狙われる」
僕みたいな奴。先輩が言いたいことは痛いほどよく分かった。小さくて、弱くて、何も出来ない僕。
「そ、んな」
狙われるっていうのは、またさっきみたいな目に遭うっていうことだ。そんなの嫌だ、絶対に嫌だ。
時間が経つにつれ、よけいに怖さが増して、息が出来ないほど苦しくなる。
「強くなれ、なれなきゃこそこそ隠れて過ごす羽目になる。わかるか?」
ふいに、和らいだ先輩の声が、耳からすっと入って来た。
言葉は厳しいけれど、先輩の心が届いてきたから。
「はい、」
「あいつらのことは心配ない、1人で寮まで帰れるな?」
「はい」
本当はまだ体ががたがたと震えていて、独りで寮に戻るのは不安だったけど、強くなれと言われたばかりだったから、頷くしかなかった。
「そういや、お前チビのくせに声はデカいな。外まで聞こえてきた」
そう言って面白そうに笑った千家先輩の笑顔に、なぜか胸がドキンと跳ねた。
部屋までなんとか戻ってからようやく、僕は彼にお礼もちゃんと言っていない事に気が付いた。
後日、僕に酷いことをしようとした先輩たちは学園からいなくなった。
それに同級生の部員も数人いなくなった。
彼らが先輩たちの言っていたような酷いことを言ったんだと思うと、胸が苦しくてたまらなかった。
少なくとも僕は友達だと思っていたのに……。
つらい気持ちを聞いて欲しかったルームメイトは、僕と目を合わせてくれなくなって、避けられるようになった。
彼は同じ時期に他の部屋に移されて、僕は一人部屋になった。
それ以来、三年間口もきいていない。
いなくなった先輩たちはすごく人気があったから、他の部員も僕への態度がよそよそしくなって、居づらくなった僕は水泳部を辞めた。
噂はすぐに学園内に広まって、僕はこそこそと後ろ指を差されるようになった。
頼れる友達もいなくて誰も信じられなくて。
それでも挫けそうになる度に千家先輩に言われた事を何度も思い出した。
強くならなきゃ、強くなりたい。
だけど弱い僕はひとりぼっちじゃどうしても頑張れなかった。
いつだって噂は次々と新たなターゲットに変わって行く。
僕の場合も同じようにみんなはすぐに忘れて行った。
だけど僕は誰のことも信用出来なくなって、それ以来親しい友達も出来なかった。
結局、僕は千家先輩が言った通り、中等部での3年間を目立たないよう、ひっそりと過ごすことになった。
2年生になってから急激に身長が伸びて、先輩の言う狙われる対象、なんていうのからも外れたし、誰ももう僕のことなんて気にしてないんだから、堂々としていればいい。
そう気が付いた頃には、もう友達の作り方すらも忘れてしまっていたし、ひとりの気楽さも気に入っていた。
お祖父様やお父様には社交性の無さについてお小言を言われたりもするけど。
僕は今の状況を変えるつもりはない。
だけど、今確実に状況が変わろうとしている。
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