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体を洗ってやると言って、浴室まで入ってこようとしたヘルムートを閉め出したのち、ロザリアは熱いシャワーを浴びた。
体を洗ってさっぱりしたところで、湯をたっぷり湛えたバスタブに入る。
ここが自宅の浴槽ならば、薔薇の花びらを浮かべてその香りを楽しみたいところだ。
そんなことを考えたからか、ロザリアの脳裏に大切な二人の姿が浮かび上がった。
――祖母やクリスタは今頃どうしているのだろうか?
魔界に連れて来られたのはつい昨日のことだが、なぜかものすごく時が過ぎたように感じられる。
自分がいなくなったことで、二人に心配をかけている気がしてならない。
呑気に湯浴みをしている場合ではないと、ロザリアはすぐに浴室から出た。
だが、用意された真新しい衣類と下着に袖を通したところで、帰ることにためらいを覚えた。
どちらもサイズは合っているのだが、問題はドレスのデザインである。
肩や胸元が大胆に露出しており、今にも乳房がこぼれてしまいそうだ。そのせいで、昨夜ヘルムートに刻まれた口づけの痕が見えており、隠そうにも隠すことができない。
また、スカートも普段着ているワンピースよりも短く、太腿まで露わになっている。
こんなふしだらな格好を、祖母や親友にはもちろん、他の誰にも見られたくなどない。
恥辱に耐えながら部屋へ戻ると、すでに着替えていたヘルムートが満面の笑みをこちらに向けた。
「そのドレス、よく似合っているじゃないか。色っぽくて最高だ」
どうやら彼の好みが思い切り反映されているらしい。露わになった胸元や脚をじっくり眺めながら、賛美の言葉をかけてくる。
だが、その言葉を聞いても微塵も嬉しくない。
(こんなドレスを好むなんて、本当に趣味の悪い男だわ……)
ロザリアはヘルムートを睨みつけて、ドレスについてすかさず文句をつけた。
「何が最高よ。こんないやらしい格好、私は嫌よ。他にまともなものはないの?」
「せっかく良い体してるんだから、それぐらい見せつけないともったいないだろう。それに、俺がお前のためにわざわざ作らせたんだから、もっと感謝してくれたっていいと思うが?」
「あら、それはわざわざどうも」
ロザリアは皮肉を込めて礼を言う。
ヘルムートは苦笑交じりに肩をすくめるが、すぐに気を取り直してロザリアを抱き寄せてくる。
「な、何……?」
急に鼓動が早まり体温も上昇してきて、彼女は動揺から声が上擦ってしまう。
「朝飯を食いに行くぞ」
言うが早いかヘルムートは、ロザリアの手を引いてダイニングへと連れて行く。
魔界へ来て初めての食事なので、一体どんなおぞましい料理が出てくるのかと身構えた。
ところが、振舞われたのは焼き立てのパンをはじめ、オムレツに粗挽きソーセージ、コーンポタージュなど普段から口にするものばかりだった。
しかもどの料理も美味で、どちらかというと少食のロザリアも完食したほどである。
「よく食うんだな。たくさん作らせておいて正解だったぜ」
「普段はそうでもないんだけど、とても美味しかったからつい食べてしまって……」
ロザリアがわずかに微笑みながら答えると、ヘルムートは嬉しそうに彼女の顔を覗き込んできた。
「少しずつ笑顔を見せる回数が増えてきたな」
「や、やめてよ……」
何だか急に決まりが悪くなって、ロザリアは頬を赤らめて視線を逸らす。
「お前のそういうところ、あの頃とちっとも変わらねぇな」
ヘルムートは感慨深げにつぶやくと、ロザリアのそばまで来て頬にそっと口づけする。
「あ……」
情交時の濃厚な口づけではないのに、なぜか胸が高鳴ってしまって体の芯がジンと熱くなった。
(どうして今……こんな気持ちになるの……?)
戸惑うロザリアをよそに、ヘルムートは恭しくそっと手を差し伸べてくる。
「飯も食い終わったし行こうか。実はお前に見せたい場所があるんだ」
あまりにも優しい声音で告げられ、何か裏でもあるのではないかと疑ってしまう。
「ほら、早くしろ」
ヘルムートにそう急かされ、ロザリアはためらいながらも彼の手を取り立ち上がる。
「それで、私をどこへ連れて行くの?」
試しに行き先を尋ねてみたが、「そいつは着いてからのお楽しみだ」と返されただけで、結局教えてもらえなかった。
広い城内を歩くこと数分――連れて来られたのは中庭だった。
一応、花壇には植物が植えられているが、どれも蕾すらつけていない。
ここへ連れて来られた目的がわからず、ロザリアが首を傾げているとヘルムートはようやく口を開いた。
「ここ、お前の自由に使っていいぜ。この広さなら、薔薇や他の植物を育てるのにちょうどいいだろう?」
「なぜ私が、植物の世話が好きだと知っているの?」
「好きな女の趣味を知るのも、男として当然のことだからだよ」
警戒を露わにして訊き返すロザリアに、ヘルムートは得意げな様子でそう答えた。
彼の言葉は意味不明だが、自分の好きなことをさせてもらえるのはありがたい。
しかしそこで、ロザリアの中にある疑問が生じる。
「だけど、魔界でも普通の花は咲くの?」
妖花アルラウネをはじめ、魔界で自生している植物はいくつかあるが、人間界の草花も同じように育てられると思えない。
仮に育ったとしても、空が常に暗雲に覆われているような場所では、すぐに枯れてしまうだろう。
「お前の魔力と月の力があれば、この魔界でも普通に咲かせられる筈だ。せっかくだから試してみたらどうだ?」
半信半疑になりながらも、ロザリアはヘルムートに促されるまま苗に自身の魔力を与える。
次の瞬間、苗が紫色の淡い光に包まれたかと思うと、次々と蕾をつけていった。
「嘘……。本当に……私の魔力で咲いたの……?」
目の前で起きたことが信じられず、ロザリアはもう一度魔力を与えてみる。
すると今度は蕾が開花し、美しい薔薇を咲かせたのだった。
「すごい……」
闇の魔力でこのようなことができるとは思わず、ロザリアは嬉しさのあまり自然と表情を綻ばせた。
ヘルムートもまた、ロザリアを見て満足げに微笑んでいる。
「やっぱりお前の手で咲かせた薔薇は綺麗だな」
「え……?」
ヘルムートの言葉にロザリアは目を丸くする。
まるで今まで彼女が育てた花を、その目で見たことがあるような口ぶりだ。
――本当に、ヘルムートとは一体どこで会ったのだろうか?
ロザリアは改めて記憶の糸をたどってみるが、やはりどう頑張っても思い出せない。
そんな中、ヘルムートは何かを思い出した様子で、「そうだ」と切り出した。
「他の花の苗も手に入れてやるから、何か育てたいのがあれば言ってくれよ」
「いいの……?」
「当たり前だろう」
「ありがとう。でも、どうしてそこまで……私に尽くそうとするの?」
魔族でありながら、ヘルムートの言葉からは下心や目論見のようなものが感じられない。それなのに、彼がなぜそこまで自分に固執するのか、ロザリアにはわからなかった。
その直後、ヘルムートは意味深な笑みを浮かべて、体ごと彼女を抱き寄せてくる。
「えっ、何――!?」
突然のことに驚いていると、彼は耳元でそっとささやいてきた。
「そりゃあ、お前のことが好きだからだよ、ロザリア。他に理由はねぇ」
それから真正面を向かされ、獰猛な光を孕んだ瞳で見つめられたかと思うと、間髪を入れずに唇を重ねられた。
「ん……ぅ……」
情熱的に口づけられ、体の奥から官能の疼きが込み上げてくる。
(たった一晩抱かれただけで、ここまで感じるようになるなんて……)
自身の変化が信じられず、ロザリアはただ呆然と口づけを受け入れるばかりだった。
それから唐突に、背中から腰にかけて淫らな手つきで撫で回され、快感に似た痺れが駆け抜けていく。
(そんな……駄目……!)
このまま口づけを続けていれば、感情に流されて淫らな行為に耽ってしまいそうだ。
わずかに残った理性を働かせて、ロザリアはせめてもの抵抗に身を捩らせる。
するとヘルムートは名残惜しげに唇を離し、愛撫もすぐにやめてくれた。
ホッと胸を撫で下ろす一方で、なぜか寂しさに似た感情も込み上げてきて、それがますますロザリアを混乱させた。
(私はこの続きを望んでいるってこと……?)
ロザリアが呆然となっていると、ヘルムートは艶のある笑みを向けてきた。
その笑顔を見ただけで、胸が高鳴ると共に体もますます熱くなる。
「……部屋に戻って、この続きをしようか」
「ッ――!?」
ヘルムートの口から出た言葉を聞くなり、ロザリアの心臓が一際大きく早鐘を打った。
「私、今はそんな気分じゃあ――」
動揺を悟られないようにしながら首を横に振ると、彼は何かを企むように口の端を吊り上げた。
「へぇ。それはつまり、夜だったら抱かれたいってことだよな?」
「ちょっと! どうしてそういう解釈になるのよ!」
ロザリアはすかさず反論するが、ヘルムートは意地悪く笑うばかりである。
「しょうがない。ここはロザリアに免じて、夜まで待ってやるよ」
「何が私に免じてよ! あなたに抱かれたいなんて、一言も言ってないわ!」
こうして手玉に取られるのが悔しくて、ロザリアは不満をぶつけるように胸板を叩く。しかし、女の力ではヘルムートにはびくともしない。
それがますます腹立たしくて、ロザリアはつい彼に向けて魔法を放ってしまう。
一人前の魔女として、大人げない真似だとわかっていたが、どうしてもやらずにはいられなかったのだ。
だが、ヘルムートは魔法が当たる前に、防壁を張ってロザリアの攻撃から身を守る。
反撃されるかと身構えるが、彼は意外にもやんわりとした口調でたしなめるだけだった。
「そういうかわいげのないことはするもんじゃないぜ」
「かわいげがなくて結構よ」
ロザリアは冷たく告げると、ヘルムートの方を一切振り向きもせず城の中へ戻った。
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