第一章 ~深紅の瞳に囚われて~

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「――ッ!!」  ロザリアは声にならない悲鳴を上げてベッドから飛び起きた。  アメジストのような紫色の瞳には、深い悲しみが湛えられている。  ――また両親が殺された日の夢を見てしまった。  よりによって、自身の誕生日に悪夢にうなされるとは、何とも皮肉な話である。  十三年前のあの日、襲いくる魔獣からどうやって助かったのか思い出せない。  気付いた時には家のベッドにいて、目を覚ますなり祖母エヴァンジェリンに抱きしめられた。  どんなに優れた魔女や魔導士でも、召喚に失敗して無事だった者はいない。ましてや当時まだ五歳のロザリアであれば、命を落とす危険性は格段に高い筈だ。  そんな彼女が自力で魔獣を退けるなど不可能に近い。  だが、思い出そうとすると頭がそれを拒むように、ズキンと鈍い痛みを発するのである。  ロザリアは気だるい体でベッドを出て、豊かな長い銀色の髪を櫛で丁寧に梳かす。  それから黒のサテンドレスに着替え、一階へ下りてダイニングルームへ向かう。  朝食の準備をしていたエヴァンジェリンが、顔を上げてロザリアに微笑みかけてきた。 「おはよう、ロザリア。お誕生日おめでとう」 「おはよう、お祖母様」  両親を失って以来、女手一つで孫の自分を育ててきたエヴァンジェリンは、いつも優しく温かい眼差しで見守ってくれた。  そんな祖母に心配かけさせまいと、ロザリアは平静を装っていつも通り朝の挨拶を返した。  だが、エヴァンジェリンは全て見透かしていたようで、ロザリアを一目見るなり浮かない顔をする。 「朝からひどい顔ね。また悪夢にうなされたの?」 「ええ、そうだけど……。どうしてわかったの?」 「この十八年間、誰よりも近くであなたを見てきたのよ」  そう言うとエヴァンジェリンは、ロザリアを優しく抱きしめてくれる。  年老いた今も祖母の美貌と聡明さは健在で、そんな彼女のことをロザリアは誰よりも尊敬している。 「朝食ができたところだから、ひとまず座りなさい。今、お茶を淹れるわ」  エヴァンジェリンに促され、ロザリアはいつも座っている窓辺の席につく。  向かいの空いた椅子をじっと見つめながら、亡くなった両親の姿を頭の中で思い描いていた。 (もし二人が生きていれば、私の誕生日を祝ってくれた筈……)  どんな時も両親は、ロザリアにたくさんの愛情を注いでくれた。ロザリアが生まれた時は、二人揃って泣いて喜んでいたという。  きっとあの日も、恐怖と戦いながら娘である自分を守ろうと必死だったに違いない。  考えると胸が締めつけられ、目頭がジンと熱くなってくる。 「また二人のことを思い出していたの?」 「ええ。毎年、誕生日を迎えるたびに祝ってほしかったって思うの。あと、魔女としての成長も見てほしかったって……」  ロザリアが胸の内を吐露すると、エヴァンジェリンは悲しげに微笑んで手を握ってくる。 「きっと今も、あなたを見守っているわよ」  最愛の娘と義理の息子を失って悲しい筈なのに、エヴァンジェリンは一切表に出すことなくロザリアを元気づけようと、こうして温かい言葉をかけてくれるのだ。  そんな祖母の気遣いに感謝すると同時に、心に負担をかけてしまって申し訳ないという罪悪感が込み上げてくる。 「はいどうぞ。今年のプレゼントよ」  朝食を終えて食器を片付けたところで、エヴァンジェリンから長方形の箱を手渡された。  包みを解いて蓋を開けると、誕生石のガーネットが嵌められたペンダントが入っていた。チェーンの色は、ロザリアの髪色をイメージした銀である。 「素敵……。ありがとう、お祖母様」  ロザリアは嬉しそうに微笑みながら、さっそくペンダントを着けてみた。  孫娘が喜ぶ顔を見て、エヴァンジェリンは満面に笑みを浮かべる。 「とても似合っているわ。それに、今のあなたの笑顔も素敵よ」  褒めそやされるのはどうも慣れなくて、ロザリアは頬を赤らめて元の無表情に戻ってしまう。  それからふとリビングを見回すと、薔薇のリースが置かれていた。  毎年、誕生日になると必ず贈られてくるものである。最初は祖母からの贈り物と思ったがどうも違うらしい。  また、両親の命日にも墓前に薔薇のリースが供えられているので、贈り主はおそらく同一人物だろう。  いつか直接会って礼を言いたいと思っているのだが、その相手は姿を現すどころか名乗り出ることもない。 (本当に誰なのかしら……?)  薔薇のリースをぼんやりと眺めていると、部屋に朗らかな声が響き渡る。 「お邪魔します!」  軽やかな足音と共に邸に上がってきたのは、親友である白の魔女クリスタだった。  月を連想させる優美なロザリアとは対称に、クリスタは太陽のように明るく愛らしい美少女である。 「おはようございます、エヴァンジェリンさん」 「おはよう、クリスタ」  家族ぐるみの付き合いをしているクリスタを、エヴァンジェリンは笑顔で快く出迎える。 「ロザリア、お誕生日おめでとう! 今日は早起きして、あなたの好きな苺をたっぷり乗せたタルトを焼いたの!」  天真爛漫な笑顔で苺のタルトを披露するクリスタに釣られ、ロザリアも自然と表情を綻ばせた。 「ありがとう、クリスタ。それにしても、ずいぶん苺を使ったわね」 「ロザリアの喜ぶ顔が見たくて、張り切って作ったの。そうしたらこんなに苺を使っちゃって」 「ありがとう、嬉しいわ」  再度、親友に礼を言うと祖母を交えた三人で、苺のタルトをいただくことにした。 「ところで、今日はあまり元気ないみたいだけど、大丈夫?」  一口食べたところで、クリスタが心配そうに尋ねてくる。  髪を梳かす際に鏡台に向かった時も、相当ひどい顔をしていたので今もあまり良くないのだろう。  親友にまで心配をかけさせて胸が痛むが、隠すと余計に不安がらせるだけなのでロザリアは正直に答えた。 「また悪夢を見てしまったの。多分、窓辺に置いていた三日月草が枯れたせいだと思う」  三日月草は悪夢を振り払う力を持つ魔法の花で、夜になると花びらが淡く光るのが特徴だ。  しかし、月の光を浴びないとすぐに枯れて、その効力を失ってしまうのである。  その上、三日月草は満月の夜にしか咲かず、天気が悪ければ見つけることすら叶わない。 「また探しに行きたいところだけど、次の満月の夜は五日後だし……。それまで私の体力が持つのかしら?」 「だったら、安眠グッズを探しに出かけない? 私も協力するから」  クリスタは妙案とばかりに屈託のない笑顔を向けるが、ロザリアは半信半疑といった様子である。 「安眠グッズ? そんなもの効くの?」 「安眠グッズじゃなくても、枕を変えるだけでもいいと思うよ。自分に合った枕で寝れば、悪夢を見ないで済むかもしれないし」 「かもしれない、って……」  呆れるロザリアにエヴァンジェリンが、「いいんじゃないの」と一言告げる。 「ずっと家にこもっているのも、健康に良くないわよ。気晴らしに出かけていらっしゃい。でも、まだ日が暮れるのが早いから、暗くなる前に帰ってくるのよ」  こうして祖母にも後押しされる形で、ロザリアはクリスタと共に出かけることになった。
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