第一章 ~深紅の瞳に囚われて~

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 二人は転移魔法を使って、自分達の住むミーティアの街から程近い都市、ローゼンブルグへとやって来た。  魔導士であれば列車など使わずとも、遠く離れた場所まで移動するのは造作もない。  ロザリアとクリスタはよくこうして、現代の街へと遊びに出かけているのである。  だが、過去に魔導士が虐げられてきた歴史から、こうして人間社会に溶け込むのを快く思わない者もいる。  特に名門一族の大半は、魔力を持たない人間を劣等種と蔑んでおり、彼らと交流を持つことすらタブーとしているほどだ。  また、名門家の一つ、ヴィヴァルディ家の生まれでありながら、普通の人間である父と恋に落ちて結婚した母を悪く言う者もおり、ロザリアも彼らから半端者と疎まれている。  以前は悪意を込められた言葉に傷ついたものだが、祖母やクリスタに支えられたおかげで今はもう何とも思わなくなった。 「今日はどこもにぎわっているわね」 「祝日だからじゃないかしら? 催し物のポスターもあちこちに貼ってあるし」  道中でたくさんの屋台や露店を見かけたので、何かの祭りが開催されているのは確かだろう。 「ねえ、ロザリア。あれを見て」  クリスタは一軒の露店を指さすと、ロザリアの手を引いて連れて行った。 「このブローチ、ロザリアにすごく似合いそう」  クリスタが目に止めたのは、薔薇をかたどったブローチである。  薔薇はヴィヴァルディ家の紋章にして、ロザリアが一番好きな花でもある。  クリスタはそのブローチを購入するなり、すぐさまロザリアに手渡した。 「はい、これあげる」 「いいの?」 「もちろん。だって、今日はあなたの誕生日よ」 「ありがとう、クリスタ。大切にするわね」  親友からの思いがけないプレゼントに、ロザリアはひときわ嬉しそうな笑みを浮かべる。  それからいくつか家具屋を巡ってみたものの、なかなかしっくりくる安眠グッズを見つけられなかった。  気付けば時刻は午後の一時を回っており、街を歩く人の数も更に多くなっていた。  少し油断すれば人込みに呑まれて、たちまちはぐれてしまいそうだ。 「う……っ」  人の多い場所が苦手なロザリアは、通りに出た途端に軽い眩暈に襲われる。 「ロザリア、大丈夫? どこか静かな場所へ行って休む?」 「平気よ。これぐらい、大したことないわ」  クリスタに心配かけさせまいと、ロザリアはどうにか歩き出してみせるも、すぐにふらついてしまう。 「駄目よ、ちゃんと休まないと。ほら、私の手を取って」  言われるままにクリスタの手を取ると、転移魔法で町外れにある公園まで移動した。  それから空いているベンチに座り、近くの露店でコーンドッグを買って食べた。  ケチャップの酸味とマスタードの辛さが何とも絶妙で、油で揚げたトウモロコシ粉の衣とソーセージの旨味を一段と引き立たせている。  数十年前から出始めたファストフードと呼ばれる食べ物は、揚げ物や高カロリーのものが多く、脂っこいものが苦手なロザリアはあまり好きではない。  エヴァンジェリンもあれは健康を害する食べ物だと言って、自身はもちろんロザリアにも一切食べさせようとしなかった。  だが、コーンドッグだけはなぜか平気で、クリスタと出かけた時は祖母に内緒でたまに食べているのだ。 「ごめんね、何だか無理矢理連れ出しちゃって」  クリスタは心底申し訳なさげに眉尻を下げる。 「謝るのは私のほうよ。いつもあなたに迷惑をかけてばかりで……」  今日に限らず幼い頃からずっと、クリスタはこうしてロザリアを気にかけてくれた。  両親を殺されて心に深い傷を負った時も、彼女の優しさに救われたものである。 (私もクリスタの心の支えになりたいのに……)  慈愛に満ちた親友の笑顔を見るたびに、自分ばかりがこんなに良くしてもらっていいのだろうかと思ってしまう。  ロザリアの心情に気付いたのか、クリスタはそっと手を握って微笑みかけてくる。 「あなたは大切な親友なんだから、気にかけるのは当然よ。だから迷惑だなんて思わないで」 「クリスタ……」  ロザリアはそれ以上何も言わず、ただ黙ってクリスタの手を握り返すのだった。  しばらく休んでいるうちに体調も良くなり、二人はのんびり公園を散歩することにした。  噴水のそばで親子連れとすれ違った際、ロザリアはたまらず足を止めて振り返ってしまう。 (他人の家族を羨んでも仕方がないのに……)  そんなことをしても余計に胸が痛むだけだとわかっている。それでもやはり仲睦まじい家族の姿を目にすると、どうしても両親との思い出を求めてしまうのだ。  悲しみを振り払うように急いで視線を前に戻すと、クリスタが少し先で立ち止まって芝生をじっと見つめていた。 「どうしたの?」 「今、そこの茂みが微かに動いたの」  そう言うとクリスタは芝生に足を踏み入れて、茂みを掻き分けていく。  するとそこにいたのは、怪我を負った一羽の雛鳥だった。 「かわいそう、野良猫にでも襲われたのね」  クリスタは屈んで雛鳥を手に乗せると、回復魔法を使って怪我を治してやる。  癒しの光に包まれた小鳥は、すぐに元気を取り戻してピィと鳴いた。  光と太陽の力を源とする白の魔女であれば、どんな傷でも瞬時に治すことができる。 「まだ近くに親鳥がいるかもしれないから、ちょっと探しに行こうと思うんだけど、ロザリアはどうする?」 「私はこの辺で待っているわ」 「わかった、なるべく早く戻るわね」  林の中に入っていく親友を見送ったのち、ロザリアは近くの空いているベンチに座る。  医者の娘だからか、クリスタは幼い頃から負傷した野生動物の手当てをしては、こうして世話を焼くのだった。  ――それに引換え自分は、いつもそばで見ているだけである。  闇と月の力を源とする黒の魔女は、相手に傷を負わせるのを得意としている。どんなに助けたいと願っても、ロザリア自身の力ではどうすることもできない。  だから相手に癒しを与えるクリスタが、彼女には時折まぶしく感じられた。 (嫌だわ、私ったら。何でクリスタにまでこんな感情を――)  大切な親友も羨んでしまう自分に、ロザリアは嫌気が差してため息をつく。  ――悪魔と通じているから、こんな醜い感情が芽生えてしまうのだろうか。  だが、黒の魔女や魔導士のほとんどが、魔界に棲む者達と契約し彼らの力を借りている。祖母や亡き母も同じだ。  悪魔と契約を交わしているからといって、誰もが歪んだ思考になってしまうとは限らないだろう。  反対に、天界の者の力を借りている白の魔女や魔導士が皆、善人であるというわけでもない。 (きっと悪夢の影響で、ろくに眠れていないせいね)  本当にどうにかならないものだろうかと、ロザリアがもう一度ため息をついた時である。 「隣、座ってもいいか?」  不意に横から声をかけられて顔を上げると、いつの間にかそこに長身の男が立っていた。  年齢は二十代半ばといったところだろうか。  後ろに流したやや長めの髪は、夜の闇よりも深い漆黒。息を吞むほど美しい顔立ちには不敵な笑みを浮かべている。  黒のロングコートは前を一切留めておらず、中に着ているシャツも胸板が見えるほどはだけていた。  あまりにもラフな着こなしだが、それが彼の野性的な色気や魅力を引き立たせているように感じられた。  そして何よりも惹きつけられたのは、切れ長の深紅の瞳である。  鋭い眼光に魅入られたかのように、ロザリアはしばしの間目の前に立つ男に釘付けになっていた。  いつまでも黙っている彼女に痺れを切らしたのか、男は少し苛立った様子で「なあ、聞いてるか?」と問いかけてくる。 「え? あ、はい。どうぞ」  ロザリアは慌てて返事をすると、人一人座れるスペースを空けた。  男が隣に座ってからも、なぜか気分が落ち着かなかった。  別に異性が苦手というわけでもないのに、心臓がやたらドクドクと激しい鼓動を立てている。 (私、一体どうしちゃったの……?)  こちらの心情を悟られたくなくて、ロザリアは男と目を合わせないように俯いた。  しかし彼はそんなことなどお構いなしに、ロザリアの顔を覗き込んで話しかけてくる。 「何でそんなに緊張しているんだ? 俺は別に取って食おうとなんて思ってない」 「いえ、別に緊張してなんか――」  ロザリアはとっさに否定してみせるが、声が上擦っていて緊張しているのが明らかだった。  男はからかうように笑うと、こちらに手を伸ばしてためらいもなく髪に触れてくる。  初対面の相手に馴れ馴れしい行為だが、なぜかその手を払いのけようとは思わなかった。 「相変わらず綺麗な銀髪だな。おまけに、見違えるほどいい女になって」  まるで昔からロザリアを知っているような口調だ。  しかし彼女には、隣に座る男に全く心当たりがない。 「あの、私達……初対面だと思いますが」  ロザリアがそう言葉を返すと、彼はなぜか表情を曇らせる。  その時、茂みから金色のうさぎが勢いよく飛び出してきて、ロザリアの膝の上に着地した。魔法で変身したクリスタである。 「何者だ」  男は素早く立ち上がり、うさぎに変身したクリスタをキッと睨みつける。 「えっと、この子は私のペットで――」  ロザリアはどうにかごまかそうとするも、厳しい口調で「お前には訊いてない」と切り捨てられてしまう。 「お前、今すぐ正体を現せ。さもないと――」  男が皆まで言う前に、クリスタは地面に降り立って変身を解いた。  彼女の姿を目にするなり、男は安心したようにため息をつく。 「何だ。てっきり奴らかと思ったが、魔女だったか。全く、紛らわしいな……」 「え? 奴らって?」  クリスタは首を傾げるも、男はその問いに答えない。  それから彼はロザリアに視線を戻し、先程の不敵な笑みを向けた。  獰猛さを含んだその微笑を見た瞬間、ロザリアの心臓が大きく跳ね上がる。 「今日のところはこれで帰るとするよ。満月の夜にまた迎えに来る」  意味深な言葉を残して、男は踵を返して去って行く。  ――会ったばかりだというのに、なぜこんなにも惹かれてしまうのだろうか?  ロザリアは初めて抱く感情に動揺を隠せなかった。 「あの人、私達が魔女だって見抜いていたわね」 「ええ、そうね……」  クリスタの話をろくに訊かないまま、ロザリアはぼんやりと生返事をする。  するとクリスタは、なぜか可笑しそうにクスッと笑う。 「……何なの?」 「ロザリアって、ああいう男の人が好みなの?」 「ちょっと、いきなり何を言い出すの」  唐突な問いかけに困惑するロザリアだが、クリスタは構わず話を続けた。 「だって、彼を見ている時のあなたの目、すごく輝いていたわよ。それってつまり、彼に恋をしている証拠よね」 「じょ、冗談はやめてよ!」  恋という単語を耳にした瞬間、急に恥ずかしさが込み上げてきて、ロザリアは顔を赤らめて全面的に否定した。  しかしクリスタは、ロザリアの言葉を聞き入れようとしない。 「私は好みじゃないけど、それなりにかっこいい人だったし良いと思うよ」 「だから違うってば! お願いだから、私をからかうのはやめて」 「ああ、ついにロザリアも恋の相手を見つけたのね。私も負けていられないわ」  芝居がかった言い回しをしながら、クリスタは祈るように胸の前で手を組んだ。  大人しいクリスタらしかぬ言動に、ロザリアは若干引いてしまう。 「ねえ、クリスタ。急にどうしたの? あなた、何か変よ……」  すると彼女はよくぞ訊いてくれたとばかりに、満面の笑顔で語り始めるのだった。 「雛を無事に親鳥の元へ届けた後、私も素敵な人に出会ったの。優美で穏やかで王子様みたいな人よ。彼こそまさに私の理想の相手だわ」 「そう。あなたの恋、叶うといいわね」  親友が理想の相手を見つけたのなら、もっと気の利いた言葉をかけてやるべきなのだろう。  しかし色恋沙汰に疎いロザリアは、ぎこちない笑みで一言そう告げることしかできなかった。  そんなロザリアに対しクリスタは、茶目っ気たっぷりに「ロザリアもね」と返してくる。 「だから違うって言っているでしょう」  その後もロザリアは、クリスタに散々からかわれる羽目になった。
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