第一章 ~深紅の瞳に囚われて~

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 翌日、クリスタの父親の診察を受けて睡眠薬をもらったが、幸いにも悪夢を見ることはなかった。  ルーネスからもらったドリームキャッチャーのおかげか、はたまた例の深紅の目の男のことで頭がいっぱいだったせいか――どちらにせよ、ロザリアにとって平穏な一晩だったことに変わりはない。  だが、そんな平穏な日がいつまでも続くとは限らないので、ロザリアは予定通り満月の夜に三日月草を探しに出かけた。  その際、夜間の女の子の一人歩きは危険だからと、ルーネスも一緒に来ることになった。 「別に無理して来なくても良かったのに。この森にはもう行き慣れているのよ」 「何を言っているんだ、夜の森には魔物も潜んでいるんだぞ」 「私なら魔法があるから大丈夫よ。それに、いざとなったら魔獣を呼んで対処するから」  成長して魔力も安定した今では、召喚魔法を暴走させることもなくなった。  事実、ロザリアはその方法で何度も対処してきたのだ。  しかしルーネスは彼女の言葉に納得してくれない。 「君の身に何かあってからじゃ遅いんだよ。もしそうなったら俺だけじゃなく、君のお祖母さんやクリスタだって悲しむだろう」  ルーネスの口調が弟妹をたしなめる時のものだったので、ロザリアはまるで自分が子供扱いされているような気持ちになる。 (私ももう十八なのに……)  それから森の奥深くまで行き、月明かりが差し込む場所でようやく目当ての三日月草を見つける。 「良かった……」  ロザリアは安心したようにつぶやくと、淡い光を放つその花をいくつか摘んで瓶に入れた。 「咲いていて良かったな。それじゃあ、帰ろうか」 「ええ、そうね……」  まだ来たばかりなので、もう少し月光浴を楽しんでから帰りたい。  だが、心配性なルーネスのことだから、いつまでも森にいては危ないと言って承諾してくれないだろう。  ロザリアは不満を抱きつつも、とりあえず素直にうなずいておく。  ところが歩き始めてすぐにルーネスが、「なあ、ロザリア」と呼び止めてきた。  だが、彼はそれっきり視線を逸らして黙りこくってしまう。 「どうしたの?」  ロザリアが怪訝に思って尋ねても、ルーネスは何も答えない。そればかりか、小声で呪文のように何かをつぶやくばかりだ。 「ルーネス」  もう一度呼びかけてみると、ルーネスは慌てた様子で我に返った。 「ああ、ごめんよ! えっと、ちょっと待ってて」  それから何度か深呼吸したのち、彼は硬い表情でロザリアに向き直る。 「……ロザリア、聞いてほしいことがあるんだ。実は俺――」  ルーネスが言葉を発したところで、赤色の魔方陣が出現して悪魔が数体姿を見せる。 「君は先に逃げろ!」  ルーネスはロザリアを庇うように、一歩前に出て魔法の詠唱を始めた。  しかし魔族達は、そんな彼を嘲笑うように奇声を上げたのち、あっさり打ち負かしてしまうのだった。 「え? ちょっと、ルーネス!? しっかりして!」  ロザリアは慌てて声をかけるが、体ごと吹き飛ばされたルーネスは気を失っていた。  正義感は強いルーネスだが、肝心なところでドジを踏むことが多い。 「結局、私がやるしかないじゃないの……」  見たところ相手は下級の魔族だ。ルーネスに頼らずとも、一人で何とかなりそうである。  ロザリアはため息をつくと、魔族が次の行動に出るよりも先に魔法を放つ。  通常、魔法を使用するには詠唱が必要なのだが、幼い頃から高い魔力を持つロザリアとクリスタは詠唱を破棄して発動することが可能なのだ。  予想通り、ロザリアは魔族達を難なく退けた。  ホッとしたのも束の間、今度はマンイーターという魔物が暗がりから姿を現す。  その名の通り奴らは人の魂を喰らう存在で、見境なく相手を襲う凶暴な性質を持っている。熟練した魔導士や魔女でさえ、瀕死の重傷を負うほど恐ろしい相手である。  ロザリアは魔法で対処するも、先程倒した悪魔のように一筋縄ではいかなかった。  ――奴らを退けるには、より強大な力を持つ魔獣で対抗するしかないだろう。  今ある魔力を以って召喚を行おうとしたその時だった。 「え……?」  ロザリアは目の前の光景に呆然となる。  数日前に会った例の男が、手にした妖刀でマンイーターを一刀両断にしたのだ。  しかも彼は、ロザリアを大きく上回る闇の魔力を有している。  驚くロザリアとは対称に、男は余裕綽々と言った様子で不敵な笑みを浮かべていた。 「よう。約束通り、迎えに来たぜ」  男に声をかけられても、ロザリアはすぐには反応できなかった。まるで彼の魔力に魅入られたように、身動き一つ取れなかったのだ。  それだけではない。早鐘を打つように、心臓がまた激しく鼓動している。  深紅の瞳で見つめられただけで、なぜこんなにも息が詰まるような感覚になるのか、ロザリアにはまるで見当もつかなかった。 「あ、あなた――魔族だったの……?」  本来なら助けてもらった礼を言うべきところだが、ロザリアの口から出たのはその言葉だった。  だが、男は少しも気にしていないようで、普通に彼女の問いに答えてくれる。 「ああ。こっちに来る時は天界の奴らに見つからないよう、一応セーブしてるんだが今はやむを得ない状況だったからな」  だから先日、光の魔力を持つクリスタを見てあんなに警戒していたのだろうと、すぐに納得がいった。 「それで……あなたは何者なの? なぜ私を助けてくれたの?」  ロザリアが率直に疑問を口にすると、男はなぜか困惑したような顔になる。 「ヘルムートだよ、忘れちまったのか? それに、お前を助けるのは俺にとって当然のことだ」 「え?」  今度はロザリアが困惑の表情を浮かべる番だった。 (彼、一体何を言っているの? 会うのはこの間が初めての筈なのに……)  彼女がいつまでも訝んでいると、ヘルムートと名乗った男はため息交じりに「まあいい」とつぶやく。 「それより、少し歩かないか? こんなに良いお月さんが出てるってのに、もう帰るなんてもったいないだろう?」 「え? ええ……」  ――ヘルムートの言う通り、綺麗な満月が出ているのにこのまま帰るのは早すぎる。  ロザリアは彼の提案にうなずきつつも、未だ気を失ったままのルーネスにちらりと視線を向けた。  そんな彼女を見て、ヘルムートはあからさまに不満げな顔をする。 「何だ? そいつを気にしてるのか? 野郎のことなんか放っておけよ。お前だって、内心では邪魔だと思ってたんだろう?」 「別に邪魔だとは……」  ロザリアはヘルムートの言葉を否定するが、一人で行きたかったのは事実である。  すると彼はルーネスに向けて手をかざし、どこかへ転移させてしまったのだ。 「ちょっと! ルーネスをどこへやったの!?」 「心配するな、奴の家の前だ。俺は別に置いてけぼりにしたって構わないが、そんなことしてお前に嫌われるのだけは御免だからな」  ひとまず、ルーネスをこんな危険な場所へ置き去りにされずに済んで安堵するが、その理由が何とも自分勝手なものである。 「ほら、さっさと行くぞ」  ヘルムートは尊大に告げると、間髪入れずにロザリアを自身のそばへ抱き寄せる。 「あっ」  強引な行動ではあるが、なぜか不愉快に感じない。そればかりか、彼に触れられた場所がじんわりと熱を帯びて胸が高鳴るのだった。 (ちょっと触れられただけなのに、どうしてこんな風になるの……?)  ロザリアは自身の動揺を悟られたくなくて離れようとするが、ヘルムートがそれを許してくれない。  その際、彼の左手の中指に髑髏をモチーフにした指輪が嵌められているのに気付く。  そういえばベルトのバックルにも、髑髏のレリーフが用いられていた気がする。  魔族らしいといえば魔族らしいが、かなり悪趣味である。 (私は本当に、こんな男に恋をしているの……?)  五日前のクリスタの言葉を思い出し、ロザリアの頭に無数の疑問符が浮かぶ。  身長はゆうに百九十センチはありそうな上に顔立ちも申し分ない。反面、性格は傲慢で完全に自分本位だ。  大抵の魔界の民は自分本位ではあるが、このヘルムートという男はそれが突出しているように思える。恐らく上級魔族としての矜持が、彼をそうさせているのだろう。  程なくして連れて来られたのは森の湖だった。  日中にランチボックスを持ってクリスタと訪れたことはあるが、こうして夜に足を運ぶのは今回が初めてだ。 「何て綺麗なの……」  湖面に映る満月や星が何とも幻想的で美しい。  ロザリアは感極まってその光景に見入っていた。 「なかなかいい眺めだろう?」  傍らに立つヘルムートが満足げに話しかけてくる。 「ええ、とても素敵だわ」  嬉しそうな彼に釣られるように、ロザリアも微笑みながらうなずく。 「この眺めをお前だけと共有したかったんだ」 「私と……?」  ヘルムートの言葉にロザリアは目を丸くする。  なぜ彼が自身を特別扱いするのか、ロザリアには理解しかねた。  現在、契約を交わしている悪魔や魔獣のほとんどが、こちらの魔力目当てで近づいてきたのだ。しかしヘルムートの言葉の端々からは、そういった下心のようなものが感じられない。  こんなにも人間味のある魔族がいたことに、ロザリアは少なからず驚いていた。  そんな彼女の心情を知ってか知らずしてか、ヘルムートは耳元で甘くささやきかけてくる。 「だが、この場で最も綺麗なのはロザリア、お前だ」 「いきなり……何を言い出すの!?」  まるで愛を伝えるような言葉をさらりと告げられ、ロザリアは動揺と恥ずかしさから激しくうろたえた。  するとヘルムートは可笑しそうにクスッと笑う。 「私をからかっているの?」 「そんなんじゃねぇよ。お前が色々な反応を見せてくれるから、つい嬉しくて笑っちまったんだ」  今までそんな言葉をかけられたことのないロザリアは、どう反応すればいいのかわからず頬を赤らめて黙りこくってしまう。 「本当にお前はかわいいな」  ヘルムートはロザリアの顔を覗き込みながら、月光を思わせる銀色の髪をそっと撫でた。  それから彼は、先程までの飄々とした雰囲気とは打って変わって、真摯な眼差しをロザリアに向けてくる。  深紅の鋭い眼光に射竦められた瞬間、彼女の胸の高鳴りは一段と増した。 「ロザリア・ヴィヴァルディ、お前を俺だけのものにする」  低く官能的な声音で、ヘルムートは静かにそう宣言した。 「それってどういう――」  すぐに言葉の意味を呑み込めず、ロザリアはすかさず訊き返す。  だが、ヘルムートはその問いかけに一切答えなかった。 「言っておくが、お前を連れて行くのに同意を求めるつもりはない」  彼は一方的に告げるなり、ロザリアを再び抱き寄せて腕の中へ閉じ込めた。 (ち、近い!)  異性と体を密着させているという状況に、ロザリアは完全にパニックとなって頭の中が真っ白になる。  強く抱きしめられているため、離れたくても身動きができない。  せめて視線だけでも逸らしてみるが、すぐに顎を掴まれて強引に前を向かされてしまう。 「俺から目を逸らすな」  ヘルムートは有無を言わせない口調で命じた。  端整で美しい顔が目の前にあるものだから、ロザリアの緊張はますます高まっていく。  彼女が目を逸らさないのを確認すると、ヘルムートは満足げに微笑んでそっと唇を重ねてくる。  あまりにも突然のことに、ロザリアは驚きのあまり抵抗できずにいた。 (そういえば、以前も同じようなことをされた気が……)  だが、誰にどこでされたのかが全く思い出せない。まるでその部分に靄でもかかっているみたいだ。  口づけを終えたところで、ヘルムートはじっとロザリアの紫色の瞳を覗き込む。 「怖いか? 心配するな、俺は絶対にお前を傷つけたりはしない」  それから彼は、自分達が立っている場所に魔方陣を出現させる。  ロザリアは嫌な予感がして、今度ばかりは本気で離れようとする。  しかしヘルムートの力は強く、どんなにもがいても振りほどくことができない。 「これも言っておくが、魔獣を召喚しようと考えたって無駄だからな。さあ、行くぞ」 「ちょっと……待ってよ!」  ロザリアが慌てて制止するも、ヘルムートは聞く耳を持たず転移魔法を発動させた。 (私……これから一体どうなってしまうの……? それに……お祖母様やクリスタだって、急に私がいなくなったら心配する筈……)  大切な二人のことを思い浮かべていると、ヘルムートが耳元で不遜に「これからは俺のことだけ考えろ」とささやいてきた。  その刹那、全身がゾクゾクと粟立つと同時に、ロザリアは酩酊したような感覚に襲われる。まるでヘルムートの低い声音に酔わされたようだ。  魔方陣から禍々しい赤い光が発した瞬間、彼らはその中に吸い込まれるように姿を消した。
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