止まない雨がきっとある

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 ある朝、ある学校、ある教室での事だった。  時計は午前9時を指した頃。ざわつく生徒たち。  教壇の横に、担任教師と女生徒が一人。  野暮と人畜無害との子が中肉中背を着て歩いているような教師が、生徒達の私語に注意を挟む素振りもなく、モゴモゴと話を続けている。 「えー、つまり、こちらの『早坂 美恵子(ハヤサカ・ミエコ)』さんはですね……」  えらく他人行儀に、隣に立つ受け持ちの生徒に視線を向ける担任教師。  明らかに今朝か昨夜あたりに洗面所でバッサリやっただろう短く揃った後ろ髪。  そのくせ前髪は目元がすっかり隠れるほど伸ばしっぱなし。  予定時間を超過したHRの原因は、この逆姫カット女であり、つまり彼女は主人公だった。 「えー……早坂さんは、『時限性破裂症候群』の末期患者である事が発覚し、先日の検査から差し引いて、えー……今日で、余命1日である事を宣告されました」  大した声が上がるような事は無い。最初から聞いていないかのようにざわめきが続く。  ──じげんせ~……なんて?  ──なんか、去年か一昨年くらいにニュースやってた。なんか死ぬらしい。  ──いやそれさっきセンセが言ったのとマンマじゃん。  ──てゆーか、あのコだれ? あんなんウチのクラスに居たっけ?  ──アレじゃない? いつも暗いの。今日来てないし。  ──でもアレ、井戸から出てくるみたいに髪長かったじゃん、失恋?  担任の話が適当に終わるのを待ちながら好きずきに語らう生徒達。  流石に注意すべきかと思いながら担任が早坂を見ると、彼女は背筋を伸ばし、顎を引き、何やら勇ましい姿勢で深呼吸していた。  何度目かの息を吐き終えた早川は、一拍置いてから音が立つほど素早く腹式呼吸で空気を取り込み、吠えた。 「失礼しまあす!!!」  衆目が早坂一点に集まる。一喝と同時に、早坂はシャツの裾からボタン2つ3つ程飛ばして、腹をあらわにしていた。   必然、視線は腹へ移動し、雰囲気に反して端正なウエストより、そこに現れた異変に気づく。  血管がまるごと浮き出たように青黒いアザが隆起し、ベルトのように腰を一周していた。  そしてアザの両端は、臍の両脇で途切れている。 「不肖、早坂美恵子! 先生のご紹介通り、時限性破裂症候群により余命1日を告げられました!」 「このアザが完全に一周した時、私は骨一欠片も残さない程の力で爆発し、あたり一面真っ赤に染め上げて即死するそうです!」 「そういう病気だそうです。原因不明、治療法不明。発覚が遅れた私は、過去の症例から計算して、今の状態から死亡まで、長くて今から24時間以内、早ければ10時間!」 「急遽私には『週末期医療』が適用されました。公共の福祉が許容する限り、最期の時まで望むままの生活が認められています!」  生徒達からのリアクションは無い。  反応に困っていた。どうやら早坂がもうじき死ぬらしいと、本人がそう訴えた事はわかった。  だが生徒の大半は、変に格式張った言葉遣いの意味を殆ど聞き取れていない。  人が死ぬという時なのだから真剣に接するべきか、それとも時代劇みたいなトークをおっ始めた早坂に、素直に吹き出してしまってもよいのか。反応に困っていた。  早坂はそんな空気などお構いなく、なおも腹の底から声を張る。 「本日、私の人生最期の日を有意義にすべく、ある方に協力をお願いしに参りました!」  深呼吸を一つ。早坂の顔は既に真っ赤だ。 「沢良宜 緑音(サワラギ・ミドリネ)さん!」 「……むへ?」  廊下側の席、後方で突っ伏していた女生徒がノソリと起き上がった。  生徒も担任教師も、名指しされた昼寝女こと沢良宜に目を向けた。  まだ半分ほどしか開いてない猫目を擦りながら周囲を見回す沢良宜。 「なんか、今誰か呼ばなかった?」 「私です!!」  すかさず答える早坂。再び教室中の視線が早坂に戻る。  沢良宜の目が、早坂の頭から足先までボンヤリと流れていく。 「あー……ごめん、誰だっけ?」  沢良宜が先程までの話を全く聞いていない事を了解して、惜しみなく再度、自己紹介する早坂。 「クラスメイトの早坂です!」 「私は奇病により、こう見えて明日も知れない身です。厚かましくも、その命をダシにして、沢良宜さんにお願いしたい事があります!」 「あー……へえ。で、何?」  寝ぼけた頭で気さくに応じる沢良宜。話は大半聞き流している。  沢良宜の態度に気後れもせず、一際大きな深呼吸を挟む早坂。  更に決心する間も挟んでから、一段大きな声量で続けた。 「ず……ずっと、お近づきになりたいと思っていました!」 「きっ、今日明日の間、あなたの時間を私のために使わせてください!」 「私が死ぬまでの間だけ、私との生活に付き合ってください!!!」  ……。  …………。  5秒ほど沈黙。それからようやくヒソヒソ話が復活した。  当の沢良宜はボケーっと口を開けているばかり。  沢良宜と同じように、あるいは輪をかけて呆けた顔をしていた担任教師が我に返った。 「……あ、あーえっと、早坂さん?」 「つまり、沢良宜を学校から連れ出して、あなたと一緒に遊び歩かせようって事?」 「そりゃあ、友達が一緒の方が良いとかってあなたの気持ちはわかりますよ。でもね、学校側としてそういうのをハイそうですかと認めるのは何というかちょっと、ねえ?」 「それに、そもそもそんな突拍子もない病気で、本当にそんな……大変な事になるって決まりきった訳じゃ無いと思うんだよ、私は」 「そんな『死ぬ』だの『最期』だの捨て鉢な事言ったらご家族だって……」  ダアンと教室の扉が開いた。  樹木を思わせる苦み走った壮年の教師が立っていた。  扉を開いた主を一瞥した生徒達が、特に気にもせず雑談に戻った。  担任教師だけが困惑した声を上げる。 「こ、校長!?」  その校長がバカでかい咳払いを一つ放った。  自分達の私語を余りの雑音に妨げられ、生徒達も渋々と口を閉ざした。  校長が、見た目と年甲斐に似合わない威勢のいい調子で告げた。 「学校側に異議なし! 沢良宜さんの早退を認めます」  担任教師がすかさず異議をねじ込む。 「で、ですが校長。決まりってものがありますから、認めるにしても早退届けに正当な理由を……」 「近親者の危篤、命に関わる事案の補助。どちらも校則において欠席、早退の正当な事由となり、もちろんこれを理由に生徒の素行に不当な評価を下す事もありません」 「手続きももちろん、私が早坂さんを教室にエスコートする前から、医療機関並びに役所と相談の上でカンペキに済ませてあります」 「じゃ、じゃあ、まさかつまり……」 「ええそうです」 「沢良宜さんが了承するならば、今すぐにでも早坂さんは『望むままの生活』を開始する事が可能です」 「もちろん、沢良宜さんも早坂さんに同行する限り、一両日中の生活は全く自由となります。いかがですか、沢良宜さん?」  水を向けられた沢良宜はまだブレーカーが落ちたような顔をしていたが、一応なんだか話が見えてきたかもしれなかった。  ちょっと顎に指を当てて考えるような仕草をしてみせた後、すかさずフフンとニヤケ顔になり、椅子から立ち上がった。 「そんじゃー、アタシ今日は早引けしまーす」  すかさず数人ほど、羨望のブーイングを沢良宜に飛ばした。 「あ、あ、あぁぁ……」  自分から願い出ておきながら、早坂は信じられないかのように、喉から音を漏らしながら固まっていた。  ヒョイヒョイ歩み寄ってくる沢良宜を前髪の下で、目玉が抜け落ちそうなほど凝視していた。  しかし担任教師が間に割り込んだ。 「い、いやいやいや待ちなさい沢良宜。そうは言っても学生の本分ってものがあるだろ!?」 「それに病院からの話ではその……『早くても10時間』なんだぞ?」 「放課後からだって十分時間はあるし、そもそも沢良宜、お前さっき早坂さんが誰か全然分からなかったじゃないか」 「校長先生も早退欠席の理由に『親しい人』である事と言ってたろう。どう見ても普段から仲が良い同士の反応じゃなかったぞ?」 「いやー、それはホラあれ、えーと……イメチェンしてたから一瞬わかんなかったって事で。アタシも寝起きでしたし」 「取って付けたような言い訳するんじゃない! だったら、早坂さんにお前が付いてなきゃいけない理由を言ってみろ。どうせ赤の他人だろうが」 「ぅえー。んじゃあ……」  ヘラヘラ笑いながら、沢良宜は担任教師の脇をすり抜け、早坂の首に腕を回して引き寄せた。  並んでみると、印象の割に早坂の背は沢良宜より10cm近く高い。  沢良宜は、やや背伸び気味に早坂と顔を近づけると、わざと大きな音を立てて頬に口付けした。 「このコ、私の命より大切だからって事で♪」  早坂、担任、そして教室全体が反応を示すよりも早く、沢良宜は早坂の背を押して流れるように教室を去っていった。  後から、膨れ上がるような教室中のどよめきに混じって、立ち上がった拍子に椅子をひっくり返す音や、女物の意味深げな低い低い悲鳴が数人分ほど駆け抜けた。  少なくとも、黄色いものや歓声の類は全く無かった。  喧騒を背に、校長がいかめしい顔つきで2人を見送っていた。  鋭い瞳をギラリと光らせて、静かに呟いた。 「Good Luck…!」  ……。  …………。 「うぅっし! やっぱタッパある分、こういうのガチで似合ってるよぉ!」 「あ、あぁぁあありがとうございます(アルルガッザアス)!!」  学校を飛び出した二人はそのまま街に繰り出し、今は些か喧しく、服屋で洒落込んでいた。  流石に朝っぱらから制服でうろつくと悪目立ちするからと、早坂が提案した。  早坂が「自分はファッションに疎い」と言うので、沢良宜が早坂のコーディネートを買って出た。 「もうバリバリ真剣に考えちゃうから期待しててよ。アタシの服まで立て替えてくれるってんなら、これくらいはやらなくっちゃだしね」 「い、いえ、ですから立て替えじゃなくて『奢り』です! もう、今日のために持てるだけ持ち出して来たんで!」  ……。  …………。  言葉通りの沢良宜の熱意に早坂も健気に応え続け、満足の行く買い物を終えた頃には既に昼頃になっていた。 「そういや美恵子、お昼のアテとか考えてあった?」 「み、みっ!? あ、い、いやあの、それはえっと……!」  表通りを一回りし終えた頃、沢良宜からランチの話題を切り出した。  何の前置きもなく下の名で呼ばれて、挙動不審になる早坂。 「無いなら、カフェで良けりゃアタシ良いトコ知ってるよ。今の美恵子ホント最高だしさ、シナジーパーフェクトなトコ」 「そそ、そんなことは……あぃえ、沢良宜さんが選んでくれた服だから良い物なのは疑ってませんけど、いやえっとじゃなくて……!」  教室で見せた大仰な深呼吸を一回挟む早坂。 「あの……沢良宜さん、普段は食べる方……ですか?」 「アタシ? 食べるよー、部活もやってるしもう遠慮なくモリモリ」 「で、でしたらあの……」 「お嫌でなければ、是非、ご一緒して欲しい所があるのですが……!」 「おお?」  ただでさえ目元が見えない顔を伏せて告げる早坂。  言い出しづらい希望なのを察して沢良宜が耳を貸す。  希望を聞いた沢良宜は……目を輝かせた。  ……。  …………。  早坂の希望の店に訪れた2人。この手の料理を出す店にしては間取りが広く、テーブル席が用意されていた。  卓を囲った2人の間には、一杯の丼。  丼の中身……もとい、中身を飛び出したもやしとキャベツの山。調味料なのか調理中に出た何かの残り滓なのかもわからないような大量のペースト状の物体。分厚い肉の脂身がそれらの隙間から辛うじて見えている。 「確かに……こんなん一生に一度食べるかもわかんないしねぇ……!」 「一度だけでも……挑戦してみたかったので……!」  大盛りの上、足せる物は足せるだけ追加した、丼の下のトレーにまで溢れたもはや料理と言って良いのかもわからない物体。これを女二人で平らげる。  少なくとも、スタート時点では二人とも闘志に燃えていた。  ……。  …………。 「いやー……やれるもんだねー……」 「はは……今更でナンですけど、『時間』までにはこなれて欲しいですね……」  通りのベンチに腰掛けて休憩する2人。どうにかこうにか完食してみせたが、流石に苦しいので食休み中だった。 「美恵子も見かけによらず結構やるじゃん。普段からイケるクチ?」 「いえ、普段は節約というか、なるべく普通の生活を心がけてるつもりです」 「えー、損だよそんなんー。アタシ、同じクラスなのに美恵子が居た事さえ知らなかったんだよ?」 「もっと今みたいにビシバシ言いたいこと言っちゃってさ、好きに生きてた方が絶対良かったって」 「い、いえいえいえ、き、今日は頑張って一念発起したってだけであの、普段はもっと控えめにしてる方が、私もそれで良いと思えるとい、う、か……ふわ~ぁ」  大あくびで言葉が途切れる早坂。 「あわわわ! す、すいません、決して退屈とかそういう……!」 「大丈夫だって、アタシもぶっちゃけちょっと眠いもん。あんだけ食べりゃ当たり前だよ」 「ほら、肩でも膝でも貸したげるから、いっそ寝ちゃいなって」 「ふぬ!? い、いえ、そんな極上……じゃない! 私にはもったいないです!」 「そ、それに……い、今は一分一秒だって惜しいくらいで……!」 「そ~お~? せっかくご指名した相手マクラにして眠るのってもったいないかな~?」 「ぐっすり寝るのも生きてる楽しみじゃん。アタシなんて睡眠のために生きてるってとこあるし」 「はは……そういえば、今朝も確かに……」 「じゃ、じゃあ、お……お嫌でなければ、ちょっとだけ……」 「おー、どんと来ーい。一生一度の現役JKだぞー♪」 「なんかおじさんじみてますよ……」  沢良宜の肩に遠慮がちにもたれかかると、早坂は1分も経たずに脱力しきって静かになった。 「お? 美恵子、じつは結構疲れてた?」  返事がない。既に寝入っているようだ。 「おー……」 「やっぱ、明日死ぬかもとか考えてて眠れなかったりしたんかな」 「フフ……」  何故だか微笑ましくなる沢良宜。慎重に動いて座高の差を調整し、眠っている早坂の主に首に負担がかからないようにする。  そのままぼんやり人通りを眺めていると、ひと目で職業がわかる格好の女性がこちらに歩み寄ってきた。  紺の帽子とボトムス、水色のシャツの上に物々しく、明らかにファッション目的でないベスト。紋章も管轄地の印字もよく見える。  沢良宜が女性に気づくと、女性がお辞儀してきた。小さく会釈を返す沢良宜。  女性は2人の間近までやってくると、早坂を一瞥した。早坂が眠っているのを確認すると、屈んで沢良宜に顔を近づけ、小さな声で語りかけた。 「沢良宜 緑音さんですね。私、地元警察の者です。職務質問とかそういうアレじゃないので、どうか楽にしていてください」 「え? ああ、はい」  とりあえず返事を返す沢良宜に、静かな動作で警察手帳を開いて見せる女性。  手帳の写真と本人の顔を確かめたついでに軽く周囲を見渡すと、他にも何人かの警官がさり気なく周囲を巡回している。 「あの、良けりゃ隣どうぞ? それくらいじゃこのコも起きなそうですし」 「お気持ちだけいただきます。2,3お伝えしたらすぐに職務に戻るので」 「はあ。えっとぉ、ご苦労さんです」 「ありがとうございます。では、本題に入ります」 「まず、早川さんの『事情』について、沢良宜さんもご存知の上でこうしていらっしゃる点、お間違いないですね?」 「あー、まあ、何か病気とかで明日には死んじゃうらしくて、それでアタシとデートして欲しい……って事までは」 「……っていうか、長話とか苦手だし、お巡りさん中腰にさせっぱなしも悪いんで、手短に話してもらって良いっすか?」 「お巡りさん達がここに居るの、このコのためって事で良いんですよね?」 「その通りです。一応、公的な仕事なので、お話は段階を踏まないといけないんですが……努力します」 「早坂さんは時限性破裂症候群により、『時間』になると粉々さえ通り越して、跡形も無く爆死してしまいます」 「えっ!? ば、爆発すんのこのコ!」 「シーッ! 早坂さん起きちゃう!」 「っていうか、そこは知らなかったんですか?」 「ああっと、危ない危ない……いやー、多分、そのへんの話してた時、アタシ寝てたから……」 「朝一番から居眠りって……まあ、とにかく」 「過去の症例から見ても、早坂さんがそのような形で『最期』を迎えてしまう事は間違いないそうです」 「『破裂』の時期は、担当医師の予測では今夜7時から明日の午前8時までの間との事ですが、何分、珍しい病気ですので、必ずしも正確とは言えないとの事です」 「えーっと……それで、何でお巡りさんがこのコをつけ回すみたいな事に?」 「つまり、『破裂』が起きる時間は早まる恐れもあるのです。病院側は『極めて可能性は低い』としてはいますが、それでも今、次の瞬間には……という事が無いとは断言できないとの事です」 「あー……」 「えっと、本人寝てるからぶっちゃけちゃうけど……あの、『お片付け』のためって事?」 「……何と表現したら良いか……言ってしまえば、そういう事です」 「『破裂』の規模は、常人の想像を遥かに超えるものです。私達、担当の者も仕事の前に、破裂の瞬間を記録した映像を共有しましたが……」 「本当に『跡形も無い』ほど、細かく、しかも広範囲に、その……『飛散』するんです。当たり一面、赤のスプレーで塗りたくったみたいに……」 「うわ……」 「あの、もしかして、今『そうなった』ら、アタシやお巡りさんも?」 「いえ。不思議と周囲の人々に大きな影響はありません」 「原理は研究中だそうですが何でも、血液さえも霧より細かく吹き飛んでしまうので、人体を傷つけるほどの質量にならないのでは無いか、とか」 「とにかく、私達くらいの距離でも、服や体が汚れる他は、飛散した『一部』が目などに入って、多少痛みや炎症を起こす程度だそうです」 「そっか……まあ、それなら別にいっか」 「す、すんなりと飲み込みましたね……」 「そんな目に遭っちゃうこのコに比べたら、このくらい何てこと無いですよー」 「そ……それもそうですね」 「とにかく、我々は万一『破裂』が早まった場合、周囲の人々のパニックを宥めて誘導し、医師や叱るべき業者に連絡を取るためにこうしています」 「他にも、こういった珍しい事件は今の時代、すぐに広まってしまうので。興味本位で早川さんに近づくような人達を遠ざけるためにも」 「なるほどー……そりゃどうもありがとうございます」 「このコ、教室でも皆に自分の事説明してたっぽいんで、多分SNSとかもうスゴイことなってそうですし」 「いえ、仕事ですので」 「一部始終については、私達も確認しています。もう拡散されている事も……」 「最大限、目を光らせておくつもりですが、正直、完璧とまでは……」 「あー良いって良いって。今日一日はアタシが一緒だから、そん時は任せてって」 「あ、違った……任せて、ください」 「恐れ入ります」 「それと、私達が警護できるのは、屋外や店舗など公共の場に限られます」 「どちらかのご自宅に招く際などはプライバシーについて心配いりませんが、私達は敷地周辺での待機が限界となるので、万一の時はお気をつけて」 「うっわ、何か同じ病気の人が前に何かあったみたいな言い方ー……」 「とりあえず、わかりました。あ、でも、ついでにちょっとお願いしても良いですか?」 「? はい。仕事として行える範疇であれば」 「んじゃ、アタシちょっとこのコと一緒に昼寝するんで、その間にスリとか痴漢とか来ないように見張っといてくれます?」 「そういう事でしたら、当然。ごゆっくりどうぞ」 「それでは、お話は以上です。私はこれで」 「はーい。ありがとございましたー♪」  腰を起こして改めてお辞儀して去る婦警を見送る。  婦警が雑踏に紛れたのを確認した後、フィーと一息ついて沢良宜も目を閉じた。  ……。  …………。 「……む?」  沢良宜が目を覚ました。  何だか視界の焦点が合わないなぁとボンヤリしていると、原因は目と鼻の先に早坂の顔があったせいだとわかった。 「あぶぁっ!?」  沢良宜がリアクションするより早く、早坂がけったいな声をあげて飛び退いた。  勢いで捲れ上がった前髪の下で、早坂の顔が、人殺しの現場を見られたかのように強張っていたのを沢良宜の目は捉えていた。 「……」 「……プッ、クヒヒヒ……」  早坂の慌てようを知ってか知らずか、吹き出してなおも溢れる笑い声を堪えておかしな音を漏らす沢良宜。 「フヒ、ウヘヘヘヘ……『アバー』ってちょっと、漫画かよ」 「あ、いや、あの、いや、ちが、えっと、わた、あの、おお、起きたら、ね、寝てて、その、それ、そ、それだけで……!」 「テンパリすぎだってもー、まじウケる」  沢良宜が早坂をイジっていると、聞こえよがしにスマホのシャッター音が聞こえた。  振り向く2人。クラスの男女数名のグループだった。  時計を見ると既に午後五時。帰宅部か部活をフケた手合だろう。  撮影の目的を察した沢良宜の表情が曇る。 「うっへ。感じわるー」  沢良宜がボヤきながら非難の目を向けるが、クラスメイト達は気づく様子もなくスマホの画面を見て小声で何か語らっている。  男子の一人が何か呟いた様子の後、一気に話の輪が賑やかになった。 「ねーってオマエ、まじふざけんなって」 「うっわサイッテー」 「えーでも、ちょっとアリじゃない? 何か見た目ソレっぽいじゃん?」  件の男子を周囲が小突きながら朗らかに笑い合うクラスメイト。  早坂は地面に尻もちついたまま、彼らをジッと見つめている。髪に隠れた表情からでは、彼女の内心を察しきれそうにない。  人生を謳歌する若者たちの間に、男性の警官が一人割り込んだ。  昼寝前の会話を思い出した沢良宜が、早坂の手を取った。 「ほらほら、平日な皆がジェラシーしちゃうから、一旦退散しよ」 「……えっ、あ、あ、はい!」    振り向かせた早川の背後では、警察に絡まれ困惑する生徒達。  ニヘラとだらしなく顔を緩ませて沢良宜に手を引かれる早川。その背中に、女生徒から声が飛ぶ。 「ちょっと早川ー! このお巡りさん何とかしてよー!」 「ネクラのあんたに先生の連絡届けたりしたっしょ、私ら友達じゃんよー!」  不意に友達呼ばわりされて振り向く早川。  先程の撮影について物言いをつけられ、スマホを渡す渡さないで拗れているらしい。  非協力的な素振りに、周囲の警官がもう数人、生徒達の元に駆けつけて来ていた。  物々しい様子に浮足立ったか、あるいは後ろめたい事でもあるのか、男子生徒も女生徒の抗議に乗っかった。 「おい助け合えよ! 聞いてんのかよ!」 「そんなだから友達いねえんだよ、そんなんで楽しいわけねえだろ少しは陰キャって自覚わきまえ……って待てって、何すんすか!?」  警官が近くの交番に一同を連れて行こうとし、叫んでいた男子が過剰に抵抗した。  沢良宜が早川の手をより強く握った。 「ついでに目覚ましのジョギングでもかまそうかー」 「うあ、ちょっと待っ!?」  急なスピードアップに、クラスメイト達への意識を引き剥がされる早川。  注目を向ける雑踏達の中へと潜り込んでいく2人。 「早川が前のガッコで何してたか、私知ってんだからねーっ!!」  女生徒の捨て台詞が降りかかる。  その瞬間、早川の頭頂からつま先まで、明らかに硬直した事を、手に触れているだけの沢良宜にも感じ取れた。  力ずくで引きずるつもりで、沢良宜は帰宅ラッシュの始まった通りを駆け抜けた。  ……。  …………。 「ったく、ヤんなっちゃうよねー」 「……」  現場から距離を置き、しばらくアテもなく歩き回る2人。  いまだに手は繋ぎっぱなし。ヘラヘラしながら話し続ける沢良宜は早川の顔を全く見ていない。 「タスケテーとか言ってるクセして、人をネクラだのなんだの……」 「大体友達だったらアタシだってロクに居やしないっての。アイツらいつもニコニコしてるクセにアタシをそんな風に見てたって事かねー」 「……」 「アタシがネクラだとかソコは別に良いけどさ? だったら世界一格好いいネクラやったるし。でもなんつーか、わかってないよねーみんな。」 「なんつーのかなー。難しい事わかんないけど、動物じゃないんだから人付き合いだけが人生じゃないと思うんだよねー」 「……」 「それともアレか? むしろ人と顔合わせたり出かけてワイワイやってないと幸せ感じらんないとか?」 「だったらマズイっしょー。そんな生き方しか出来ないって自分の事まず考えるべきっしょー。伝染病でも流行って静かに過ごしましょうとかなったら自分が迷惑モノになっちゃうじゃんそんな……」 「……あの……」 「おっ!? ああゴメンゴメン、何か悪口ばっかみたいになっちゃった。こういうの好きじゃないのに何かつい……」  期待を込めた表情で早坂を見上げる沢良宜。  前髪に隠れて、まだ早坂の顔色はわからない。多分、僅かに顔を沢良宜から逸らしている。 「い、いえ……く、暗いとかは、別に気にして無くて……実際そうですし……」 「そう? いやーよかったー。いっそ2人で根暗ロード制覇とかどう? 今朝の美恵子とか堂々としてて格好良かったし、これで暗いとか言われんならもう褒め言葉みたいなもん……」 「……そ、そっちじゃなくて……」 「別の話? あとは……」 「あ、寝起きドッキリの方? さっきの昼寝の、こーんな感じの」  早坂の肩に手をかけ背伸びして、覗き込むように顔を近づける沢良宜。 「おぉわあ!? ち、ち、近いです!」 「なーにさもー、先攻しかけたクセしてー♪」 「あぅ……いえ、あれはその、えっと……とりあえず……あの……」 「ってあの、ほんとにちょっと、一旦離れてくださ……ぃぃ色々当たっ……!」 「やー、背高いコって羨ましくってさー」  沢良宜がふざけている内に、さっきまでの話はうやむやになっていった。  ……。  …………。  駅前のスーパーに訪れた2人。 「へー、いつもここで晩ごはん買ってる感じ?」 「はい。家の食材も先に全部使っちゃったので、今夜の分だけでも……」 「えっ、もしかして料理できんの!?」 「は、はい、まあ」 「うわマジかー、マジで憧れる」 「ど、どうも……」 「じゃ、じゃ、じゃあ、あの……その……」 「こ、今夜のお食事、ご、ご、いっ……!」 「いやもう最初からそのつもりだし。ゴチになりまーす♪」  つっかえる早坂の言葉が終わらない内に答えて、水飲み鳥のように頭を下げて見せる沢良宜。 「い、い、いい良いんですか!? あ、あの、実は、家がちょっと散らかってたりしてて……」 「いいじゃんいいじゃん、アタシだって掃除とか全然だし、別に何が散らかってたって気にしないし」 「ご、ご家族に断ったりとか……」 「ウチの親ならスマホで連絡一本出しときゃダイジョブ。そのへんユルいから」 「お……おぉ~……!」  とりあえずよくわからない感嘆を漏らす早坂。  ……。  …………。  買い物する早坂の後をブラブラついていく沢良宜。何となく買い物かごの中を覗き込んで見た。 「おー、見るからにヘルシーそうな食べ物」 「お、お昼がアレでしたし、流石に控えた方がと」 「あっ、沢良宜さんが食べたい物とかあれば、そっちに……」 「いやいや、アタシより美恵子の方だって」 「明日まで好きにしまくるつもりなんしょ? それより美恵子が食べたいモノ選んじゃおうよ」 「す、好きにしたいからこそ、沢良宜さんも気にせず美味しく食べれる物を作りたいんです! その方が、その……た、楽しいので!」 「あー、アタシのカロリー気にしてくれてたのね」 「はーん、なるほどなるほどー……」  ニヤニヤしている沢良宜。 「アタシの食べたいもん、優先してくれるんだよね?」 「は、はい!」 「んじゃさ……アタシ、バスケやってんだよね」 「バスケ……はあ」 「イチバン筋肉に効きそうなヤツを頼む」 「きんにく……?」  ……。  …………。  早坂の自宅への帰り道。現在、18時30分近く。すっかり日が暮れている。 「んー、何か急に雲出てきてるねー。こりゃもうすぐにでも降るかも」 「まーでも、もう今からワクワクしっぱなしだけどね。こんだけガチの肉パとか初めてだし」  2人の買い物袋の殆どに肉と2Lペットボトルが詰まっている。 「私も、一度にこんなに買い込んだのは……」 「あの、それより沢良宜さん……何か、変な感じしません?」 「ん? 流石に指にフクロ食い込んで痛いとか? だったら美恵子の方が荷物多いし……」 「そうじゃなくて……何か、お店からずっと、同じ人が後ろに居るような……」 「後ろ?」  沢良宜が躊躇なく背後を見る。  暗がりの人影が、ちょうど街灯の下を通りがかっていた。  沢良宜には見覚えのある姿だった。食休み中に出会った例の婦警と目が合い、向こうから軽く会釈してきた。 「あー。アハハハ」  首だけで軽く応じて前に向き直る沢良宜。 「あれダイジョブ。お巡りさんだし」 「おまわ……け、け、警察!?」  買い物袋を落としかけるほど驚く早坂。 「ほら、美恵子そろそろ十時間じゃん? もしもの時に後の事手伝ってくれるとかで……」 「あ、そ、そうですよね! わた、私が何かシたとか、今更無いですもんね!」 「ん?」 「ま、万一何かあったって、良くてもう明日っきりですもんね! も、もっと堂々としちゃっても……!」 「ちょいちょい、美恵子……?」  沢良宜の鼻を水滴が叩いた。 「お……」  気づいた頃には、頭にもう幾つかの大粒が畳み掛けてきた。   「あでもホラ、私、わた、小さい頃はこう見えて、空手とかやって、ましたし!? ちょ、ちょっとくらいは……!」 「あ、雨……?」  早坂が気づいたのは、もう路面や木々が雨音を届けに来た頃だった。 「あ、そ、そうだ走りましょう! すぐに本降りになりそうですし、もう全力で!」 「……ん~」  思う所あるように夜空を見上げる沢良宜。 「天気悪いとさー、別に体調とか普通でも、なーんか余計な事ばっか考えて、やめらんないよね」 「へ? あ、そ、そうかもし、しれませんね! えと……だだ、だからあの、早く……!」 「でしょー? で、こうバシャバシャしてるとさ。つい、気になっちゃってさ」 「……沢良宜さん……?」 「こんな状況で、言いづらいんだけどさ……」  早坂の呼吸が不安定になっていた。体は逆に彫像のように固まっている。  肌に貼り付いて、雫を伝わせる前髪も気にせず、少し寂しげな笑顔を向ける沢良宜。 「予感はしてたんだけど、さ……」  早坂が、かねてから目で追ってきた彼女からは思いも寄らない仕草だった。  ほんの一瞬、沢良宜の声以外の音が消え去ったような気がした。 「いま……めっちゃオシッコしたい」 「…………はい?」  アラートを鳴らすように、雨がとうとう本降りとなった。 「やっぱスープまで飲み干したツケは重かったね。主に量が」 「な……なな……何やってんですか!? 買い物の時にでも済ませられたじゃないですか!」 「やーゴメンゴメン、マジで楽しくってついつい……」 「ウンいやホントこれ、一度気になったらヤバいわ。ホント考えちゃうよね……もういっそ、こんだけ振ってりゃあさ──」 「ちょちょちょタンマ! 流石にそれはマズイです!」 「に、荷物! 残りも私が持ちますから! もうすぐソコなんで我慢してください!」 「アハハハ、いやホントもーなんかゴメン、なんか自分でウケてきた。フヘヘヘ」  あたふたしながら率先して沢良宜の荷物を回収し、小走りに案内する早川。  その後をのんびりてれてれついていく沢良宜。  その頃、婦警は同じく警護中の警官から雨具を受け取り、着終えた所だった。  ……。  …………。 「っかはー! 食った食った! 人生最高の日だよもう!」 「はぁ~……フ、フフフフ……」  早川の自宅。住宅街を少し歩けばどこにでもあるようなアパート。  現在20時。最短での「破裂」を引き当てる事無く、無事に焼き肉会を終えた。  たらふく食べた影響か、早川も緩みきって変な笑いを溢している。 「あ、そ、そうだ……」 「お……お粗末様でしたあ!」  正座したまま空手式に十字を切って礼をする早川。半ば宴会ムード。 「おーカッコいい。ごちそうさんでしたー!」 「アハハ……料理というより、もう片っ端から火にかけただけでしたが……」 「素人から見たら十分プロだって絶対。アタシ塊の肉とか切り方全然知らんし」 「てかさ、今のアタシめっちゃかわいくね? パジャマでっかいし。アタシ萌え袖とか初めてやったし」  濡れ鼠で返った2人は、夕食前に沢良宜から順でシャワーを浴びていた。  沢良宜の持ち合わせは服屋で脱いだ制服しかなかったので、早坂のパジャマを借りている。 「は、はい。そうですね……本当に……!」 「でっしょー? もー最高やんホント、アタシ語彙(ボキャ)なさすぎて最高しか出てこないけど」  自分で自分にバカ笑いしながら、買ってきたコーラを自分のコップに注ぐ沢良宜。 「家ん中入っちゃえば大雨も結構良いもんだよね。ほら、美恵子も飲め飲めーぃ」 「フフッ、またおじさんみたいになってます」  雨はその後も勢いを増し続け、部屋中ひっきりなしに水が物を叩く音ばかり鳴り響いている。 「なんか、雨もここまで来れば一周回ってテンション上がるっつーかさ?」 「わかります。外に飛び出してちょっと騒いでも心配なさそうっていうか……フフ」 「いーねー、いっそ道路の真ん中でびしょ濡れで寝転んだりとか!」 「そうですねぇ。パジャマくらいならまだ何着かありますし……」 「……ち、ちょっとだけ……やっちゃいます?」 「おっお~ノって来たねぇ?」  ヌラリと立ち上がった早川。壁際に移動して、部屋の照明のスイッチを切った。外の街灯と家々の明かりだけが部屋を照らしている。 「お~雰囲気あるぅ」 「フ……フフフ……」  焼き肉テンションに任せて、そのまま笑いながら窓際へ向かう早川。  カーテンを全開にして、窓を押し潰さんばかりに力いっぱい開いた。  当然、その瞬間に瀑布の如く室内に飛沫と涼風がなだれ込む。 「あひぁ!? 目……目にっ、髪ごとぉ!」 「ダハハハハ! 決まんねー!」  軽く瞼を擦って、早川は更に前進して、転落防止と洗濯物を引っ掛けるためだけの窓柵に身を乗り出す。  片手のコーラを一気飲みして、腹式呼吸で一杯に空気を吸い込む早川。 「スゥーーー……」 「早川美恵子ぉーーー! 今が人生最高でゲェ~~~ウ」 「ブハハハハハハハ! アッハ! げ、ゲップで潰れてんじゃん! フヒ、アヒハハハ息、できなっ……!」  笑いすぎてフラつきながら沢良宜も窓際に移動し、早川の横からグショグショの街に首を突っ込んだ。  2人揃って大ウケしながら、シャワーの手間を台無しにしていく。 「ハハハハ、は~。よーしアタシも……」 「沢良宜緑音ぇーーー! えー……何かもう楽しくてセリフ出ねぇーーー!」 「ア、アハハハ……ア、アドリブが全然……!」 「もーこうなりゃノリだ! 近所に怒られるまで何か叫んどけー!」 「そ、そうですよね……明日までですもんね……!」 「えっと……じゃあえっと……」 「こ、こんな病気あるんだったら、健康診断とかでちゃんと調べといてくださーい!」 「そー言ったれ言ったれ!」 「学食もっと肉出せ肉ー!」 「ま、真面目に学生やってきたんでーす!」  思いつくまま叫び通せば、余計な慎みを思う余裕も無くなっていく。 「もっと学生に楽しい思いさせろってんだー! アッハハハハ」 「は、早川美恵子はー、ずっと頑張って来たつもりでーす!」  雨に吠える。  吠えて不要なタガを外せば、不要な荷物も吐き出せる。 「小学生の時からー! ずーーっとぉ!」 「ガクレキシャカイはんたーい! おっ、何か頭良さそうな事言えたぞアタシ」 「私はちゃんと、『おかしい人』なのを隠してきたつもりでーす!」 「そーだそ……ん?」  思っていたのと毛色の異なる言葉が聞こえ、早坂の横顔を伺う沢良宜。 「2年生の時ー、クラスの女の子を好きになって、それが良くない『好き』だってちゃんとすぐに解りました!」 「ちゃんと隠して来たんです! 3年生から空手始めたのが下心のせいでも、怪しまれたりなんてしませんでした! 勝手に変な所見ちゃうから、前髪で隠すようにもしました! 他に変な事もしてません!」 「『ちゃんとした人』として生きてこれたはずなんです! 『実際居たら無理』ってちゃんと言えました!」 「……」  瞳以外、気の抜けた顔で、ただ早坂を眺めるだけの沢良宜。 「中学に上がったら、冗談交じりで女子の体に触ってくるコが居ました! それでも友達が沢山いて、正直すごくタイプでした!」 「中学になれば、もしかしたら『大丈夫』かもってちょっとずつ仲良くなりました! それで告白したら、警察呼ばれました!」  大雨なら、声がくぐもったり震えたように聞こえたっておかしくない。 「見た事ない顔されて、顔をグーで殴られて、逃げられて、次の日の朝に警察が来ました! 私が無理やり襲った事になって、『したかった事』全部した事になって、誰も信じてくれませんでした! 『そうだなんてちっとも知らなかった』けど、『そんな事する人だったなんて』って!」  大雨なら、どこが濡れようが今更わかりはしない。 「もう二度としないって決めて、全部言われた通りにしたんです!」 「遠くの高校受験して家も出ました! 『見境ない事』しないように誰も見ないようにしました! 見つからないようにも頑張りました!」 「『ちゃんとした学生』のために生きてきて……それで余命1日って……! 何だったんですか! コレだけの人生だったんですか!?」 「それだけじゃないぞーぅ!」 「ヒィッ!?」  すぐ真横から今夜一番の大声が聞こえて、さっきまでの発声とかけ離れた情けない悲鳴を漏らす早川。 「美恵子ちゃんはなー、告った初日にデートもぎ取って、その日の内に惚れさせた白雪ひ~じゃなかった、アレだ、シンデレラだぞー!」 「は……はぇ?」 「あともう野暮いの抜きだー!」  丁寧に他所様の家の窓を閉める沢良宜。 「ふぇ~。やーもう床で泳げそうなレベルだねこりゃ」 「は、はあ……あの、い、今……」 「って……ちょ、あの、沢良宜さん近っ……!?」  実際、沢良宜が早坂を押し倒した勢いで床がパシャリと水滴を散らした。 「あ、う……あの……」 「あ、明日にはちゃんと、消えてなくなりますんで、せめて顔だけは……」 「いやいやいやあんなセリフで締めたのにそうはならんでしょ……」  苦笑しながら自分のパジャマのボタンを外していく沢良宜。 「つーわけで、シよっか?」 「は……?」 「だからほら、『したかった事』全部、今夜中にさ。『見境なし』でむしろ上等!」 「……アでも、もしかしてシたいのってもっとジュンジョーな感じだった?」 「し……うぇ……ゔぁぅっ!?!?!?」 「ブッフ……! う、うちのワンコみてえな声……!」  腹を抱えて笑い出し、一時中断。 「ワっ!? や、え!? ちょ、えと!?」 「フッヘクヒヒヒヒ……はーもうタマんないな美恵子は」 「ほらほらテンパってないでさ。良いじゃん、別にそこまでして天国とかそーゆーの信じてる訳でもないっしょ?」 「う……それは、まあ……」 「あ、えとあの……こんな時に訊くのもナンですけど……」 「ん?」 「沢良宜さんのお家、犬、飼ってらしたんですね」 「うん。ブルドッグ」 「ブ、ル……」 「フ、フヒヒヒ……」  妙にツボにはまったらしく、培った陰キャ丸出しで惜しみなく笑う早坂。 「でさ、アタシぶっちゃけ女同士どころかカレシも居なくて、続きよくわかんないんだよね」 「い、居なかったんですか!?」 「うん。いやソレっぽいモーションもらう事はよくあるよ? けど付き合うまで行く前に向こうから距離置かれちゃってさ」 「何か『フリーダムすぎる』とか『アド交換から先ナンもイベント起きなそう』とか言われてるっぽい」 「あー……」 「おいおーい、どーいう意味の返事だーい?」 「い、いえ何というか……ア、アハハハ……」  暫しマウントポジションでじゃれ合う2人。 「あーで、それで……こういう時、とりあえず脱いで脱がして~でオケなん? つかもう、着たままの方が風邪ひきそうだし」 「そ……えと……じゃ、じゃあ……おおおお願い、します!」 「わ、私も実戦でどうしたら良いかまでは知らなくて……」 「『実戦』って何かウケるし♪」  脱ぎかけの自分の衣服をそのままにして早坂のパジャマに手をかける沢良宜。 「……先に……断っとくけどさ」 「今は、マジだよアタシ? もちろん。ただまあ、アタシこんなんだから、今後も保証はできないっていうか……」 「……?」 「あの……ほら、世の中、元カレありでもバツイチでもそのへんは自由っつーか……嘘つきにはなりたくないし、だからその……」 「あっ……」 「い、いえ大丈夫です。あの、生っぽい話ですけど、私、そういうの全然気にしないんで! 思いっきり、謳歌しちゃってください!」 「ククッ……生っぽいって……でもそっか、『そういう意味』でもアリって事にしてくれるかあ」 「まあ、そのさ。甘えてばっかもヤだし、せめてその気で居られる間は、美恵子が『最初のオンナ』って胸張れるくらいは目指してみるって事で」 「は……はい!」 「ところで……考えてみたらアタシ現役JKのハダカとかガッツリ見た事ないんだよね。何かドキドキしてきた」  ボタンを下から外していきながら、最近まで鍛錬を続けていたのか綺麗に割れた早坂の腹筋だけを、ひたすら凝視する沢良宜。 「フフ……またおじさんっぽくなって──」  最後のボタンを外し終え、襟から開帳したその手の向こうには、何もなかった。  手の中の生地だけ残して、沢良宜一人だけが見慣れぬ部屋に居た。  一段と暗い。窓が一面色を変えて光が入りにくくなっている。  そういえば、水たまりも急に生ぬるい。  胸元がジンジンと痒い。掻いてみると、胸骨の辺りで硬いものに触れ、ポロリと落ちた。多分、律儀に襟元まで閉じてたボタンだろう。 「……」 「あー……」 「…………寸止め?」  ……。  …………。  ……やー美恵子の生チチだけでも拝んどきたかったなあ。デカかったし、なのにライン完璧だったし。いやあれブラのお陰かな。だったらメーカーとか聞いときゃ良かったな。でも待てよ、シャワー上がった後のはホボホボノーブラっしょ。つか寝っ転がってもシルエットガチだったし。うわヤッベーじゃんマジモンだったんじゃんもったいねー。  …………いやそうじゃないっしょ取り敢えず。ほら、あれ、あの……通報! いや通報っておまエヘヘヘヘ……いやでもほら、とにかくしないとでしょほら何かアレ的な。雨だし、締め切っちゃったし暗いし。いやでも窓こんなだからわかるか……あーでもギリカーテンっぽいかも……いやいやいやだから取り敢えず立ってさ、服も着て外のお巡りさんは~ダメだ多分いまスゲエ状態だよアタシ。やっぱ電話……スマホ探すのめんどくせえなっつかアタシお巡りさんの電話番号知らんしってそれ元から無理あるしえっとだからまず……。  ………………。  ……………………。  翌日。何事もなく賑わう朝の教室。  早坂の強い要望により、早坂に関しては最低限の行政的な諸々以外、一切を執り行わず、日常が継続された。  花一輪ほどの変化も無く、ただ、前日の内に机が一つ、教室の隅へ移動されただけだった。今週末にでも備品の一つへと戻っていくのだろう。  始末など必要無いと言えば、確かに無い。当人に対してすら、掃除以上の手の施しようがないのだから。  HR前の生徒達の話題は当然、昨日散々に奇行を見せつけた、欠席同然の早坂だった。  ──爆発した?  ──んにゃ、うちの近所何も聞こえなかったし、ニュースも何も出てない。  ──結局何だったんアイツ?  ──昨日急に出てきて「明日死にまーす」つって、ただ来なくなっただけ?  ──騒がすだけ騒がしてオチ無しとか、バズったのにどうしてくれんのだし。  ──つか先公も知らねーヤツだったじゃん。マジうちの生徒なん?  ──先生が勘違いしてただけで、勝手に入ってきたヒトだったりして……。  ──ブッハ! やめろってバッカ、こえーって。  ──誰かもっかいやってみる? 今度は午後休くらい出るかもよ。  ──俺明日死んじゃいまーす!!  ──(まばらな笑い声)  ──いやマジでやるかよオメー。流石に不謹慎だろ。  ──ジゲンセーも一応、マジにある病気だし、失礼だし。  ──そもそも不審者のネタでしょ? まじサイテー……。  ──なんで!? やってみたらっつったのオマエじゃん!  沢良宜もいつも通りに船を漕いでいる。  廊下の窓から、沢良宜に声がかかった。寝ぼけ眼で見上げると、クラスの女生徒が、友人らしき女生徒を連れて覗き込んでいた。 「ふぁ……むぅ? 呼んだ?」 「呼んだ呼んだ。ちょっと大事な話あってさ」 「そういや、怪我大丈夫? まあ逆に前おっぴろげて見せつけだしたくらいだから心配なさそうだけど」  沢良宜の胸元にテープで留まった分厚いガーゼを指差すクラスメイト。  ボタンの衝突による傷は思いの外に深く、若干、骨が見えているほどだった。  すぐに処置は済んだが、痕が残るし表皮の色も変わるらしい。 「あーだいじょぶだいじょぶ。キスマークみたいなもんだし」 「キッ……!?」  一歩退いていた、クラスメイトの友人が身を乗り出してきた。  のっそり立ち上がり、存分に伸びをしてからクラスメイト達に向き直る沢良宜。 「良いよ、今ヒマだし。どこで話す?」  ……。  …………。 「や? 別にアタシ、女の子に興味あるわけじゃないけど?」 「えぇーっ!?」  案内されるまま、人気のない非常階段まで連れて来られた沢良宜。  話の内容は、他クラスの女子からの交際願いだった。  昨日の騒ぎで「沢良宜は同性愛者」という認識が広まり、クラスメイトの一人が、密かに沢良宜を慕っていた他クラスの友人を思い出し背を押してやったという顛末らしい。  しかしアッケラカンと返ってきた返事に、女子2人揃って困惑と抗議の声をあげる。  秒速で恋を散らされた友人に代わり、クラスメイトが食い下がる。 「で、でも沢良宜、昨日はあの『ナントカ』って人に『命より大切』とかって」 「言ったよ。まあ最初はガッコ休む建前だったけど、今じゃ本気だし」 「でも、アタシ的にはそれと性別はあんま関係ないっていうかなー……」 「いや、てかさ、ヨソのコにもう『命より大切』って言った相手に告るって、それもどうなワケ?」  ヘラヘラ苦笑する沢良宜。 「だって、あの人もう居ないじゃん!」 「いやいやー、居ないからってもアタシ的にはちょっとなー」 「でも……でも……!」  言葉が続かない2人。  クラスメイトはけしかけた手前、苦々しげに拳を握って睨み返してくる。  友人の方はハラハラと涙を落としている。単なる失恋かも知れないし、告白した自分への誠意が感じられない事へのショックかも知れない。  諸々の感情渦巻く女子2人の瞳に、確実に軽蔑の色が滲み始めていた。  それを知ってか知らずか沢良宜は飄々としている。 「んー、取り敢えずさ。友達からって事でどう?」 「アタシだって、当分会えない人にいつまでも……何だっけ、ミサオタテル? とか自分がそんな立派な事できるとも信じきれないしさ。いつかチャンスあるかもじゃん?」 「もう……いいです……」  グズグズの声で吐き捨てて、失恋した女生徒が踵を返した。  クラスメイトはその肩に手を添え、非難の視線を沢良宜に向けながら後に続く。 「……あっ」 「ねえ、悲しませちゃったのは申し訳ないけど、一つだけ教えて欲しい事あってさ。良いかな?」 「……」 「ちょ、ちょっと……!?」  クラスメイトが困惑の顔で友人を見た。沢良宜の呼びかけに歩みを止めたからだ。 「よしなよ、絶対ロクな事じゃないって!」 「まー確かに、好きって言ってくれたコに訊くのはちょっとアレな話なんだけど……」 「女の子が『好き』になる女って、見た目とかどんなタイプ? 『そういう意味』の方で」  どんな結果になったかは、説明するまでもない。  ただ、沢良宜がそれで何か変わるというような事は全く無かった。
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