12(終)

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12(終)

 トシミツは朝の混雑する電車から降りて自動改札を抜けると、ややいらだたし気に歩を進めた。  元のバンドメンバーである貝塚が、音信不通になってしまったのだ。事故物件ユーチューバーチャンネルの動画はある日、まるで最初から存在しなかったかのように消去された。LINEを送っても既読にもならないし、何度電話をしても留守電に切り替わる。留守電にメッセージを残しても、折り返しの電話はいっさいなかった。  別にユーチューブをやろうがやめようがそれは貝塚の自由だが、貸しているハンディカメラは明日のライブで自分たちの演奏を撮影するために必要だ。返してもらわければならない。  もともと音楽以外のことに関してはかなりいいかげんな性格で、特に女関係がだらしないのはメンバーのなかでも有名だった。  そういえば、人気絶頂のころに貝塚が付き合っていた女の名前は何だったか。一度だけ紹介された、というか駅でふたりでいるところにばったりと出会って、簡単に自己紹介されたことがあった。小柄で髪の長いの女で、医療系の専門学校生。たしか吉川リオとか、そんな感じの名前だった記憶がある。  その吉川某の顔もライブの客のなかにちらっと見たような感じがしたので、きっとあの娘も貝塚のファンだったのだろう。ずいぶんとだらしない男に捕まった彼女はその後、どうしてるのやら。  トシミツは貝塚が一人暮らしをしている部屋の扉の前に立った。いくら家賃が安いとはいえ、事故物件に住むとはずいぶんと大胆なことをしたもんだといまだに感心する。  インターホンのボタンを押す。ピンポーンという音が金属製の扉を抜けてこちらまで聞こえてくる。だが部屋のなかで誰かが動くような様子はまったく見られなかった。  もう一度、ボタンを押す。  誰も出て来ない。 「おい、カイ。いないのか? 俺だけど」  扉をこぶしの背中でノックしてみたが、やはり何も反応はなかった。  ドアノブを握って軽く回し引っ張ると、ドアが動いた。鍵はかかっていないらしい。勝手に入るのは悪いな、などと思う間もなく、開いたわずかな隙間からこちらに流れてくる異臭に、思わず「おえっ」という声が漏れた。ドブ川の水で腐った魚を煮たようなにおいだ。  いったい、カイは部屋のなかで何をやってるんだ。  鼻と口を左手で覆い、右手でドアを開け、中をのぞいた。  褐色に染まった、何かの塊が部屋の中央にあった。 (終)
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