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 貝塚高志はそこまで言うと、スマホ画面の録画停止ボタンを押した。  初めての一人での動画撮影は想像していたよりも緊張したが、それなりにうまく話せたような気がした。  しかし、画面に向かって独り言を言うというのは、なんともみじめな作業だ。もちろん誰かが見てくれるということを前提に話しかけるのだが、撮影してる最中には誰が見るのか、そもそもこの動画を見る人が一人でもいるのか、まったく確証がない。  それがあまりに虚しかったので、貝塚は撮ったばかりの動画を見返すことはせず、スマホをまだ片付いていない段ボールの上に置くと、冷たいフローリングの上に大の字になって寝ころがった。  この六畳にも満たない狭い部屋で殺された女もこんな感じて倒れているところを発見されたんだろうな。貝塚はそんなことを考えた。  貝塚はここに住みたくて住むことにしたのではない。ほかに選択肢がなかったのだ。  7年前に大学進学と同時に上京。田舎の高校では誰も仲間がおらず一人でエレキギターを弾いていたのだが、大学に入ってようやく、念願のバンドを結成することができた。ツインギターの5人編成で、全員同い年の男だった。  バンド名は「ブラックバス」という多少ふざけたものだったが、ハーモニックマイナーを用いたヘヴィメタルを基調としながらも、スローテンポのバラードの楽曲を演奏することが多く、そのほとんどが貝塚が作詞作曲したものだった。  ブラックバスは小さなライブハウスを根城に地道に活動を繰り返し、徐々に女子高校生や大学生を中心に人気を得るようになった。活動を始めて2年経ったころには、ライブハウスの看板バンドのような地位になった。  バンドには専属のおっかけとも言うべき固定ファンが付いて、その数はおおよそ80人ほどだった。しかしその80人の内訳は、ほぼ半分がベース担当トシミツのファンで、カイこと貝塚の人気は2番手と言ったところだった。トシミツが特別顔がいいとか演奏がうまいということはなかったのだが、何せ身長が190センチ近くあるために、存在感はメンバーのなかで際立っていた。  貝塚は別に人気者になりたかったわけではない。ただ一緒に音楽を演奏する仲間が欲しかっただけだった。しかし、自分の演奏に歓喜の声を上げる観客の姿を見ていると、いつの間にかもっと人気になりたい、もっと有名になりたいという欲求を抑えきれなくなった。  おぼろげながらも大学卒業後もプロミュージシャンとして活動して音楽でメシを食っていきたいと考えたのは大学3回生の梅雨のころで、そのころちょうど某大手レコード会社が主催するコンテストの出場者受け付けが始まっていた。  貝塚はバンドメンバーと相談したうえで、これに参加することを決めた。自信はあった。夢が手を伸ばせばすぐ届く場所にあると確信した。いつかは日本武道館でライブができるんじゃないか。そんな妄想さえ抑えきれなかった。  しかしコンテスト1次予選を1週間後に控えた7月下旬、いきなりメンバーが相次いで不幸に見舞われた。サブギター担当のヒロが交通事故で腕を骨折して入院。やむなく曲のアレンジをギター1本でどうにかなるものに変更して4人編成のバンドとして出場することしたのだが、今度は1番人気でベースのトシミツが、結核などというやや懐かしいが物騒な響きのする感染症に罹患し、強制的に施設に隔離されてしまった。  貝塚はなんとかほかのベーシストへ代役で出演してもらえないかと知り合いを駆けずり回ったが、人気バンドの有名メンバーの代わりを引き受けたがる人材はとうとう見つからなかった。  優勝候補の大本命だったブラックバスは、大会から棄権することになった。  ヒロの骨折が回復し、トシミツが退院してからバンドは活動を再開したが、不可抗力ではあるが大きな目標を失ってしまったことで、ヒロやトシミツとほかのメンバーとの間にすきま風が吹くようになった。誰も口には出さなかったが、練習中も防音設備の整ったスタジオのなかは、「お前たちのせいで大会に出られなかった」という空気で満ちることになった。  やがてふたりはブラックバスを脱退することになった。  インターネット掲示板を通じて新たなメンバーを募集し、間もなく新たなベースとギターが加入したのだが、この二人は技術的に劣るものがあり、また新加入のふたりとは、初期メンバー同士にのみに持ち得る独特の連帯感はとうとう感じらなかった。  ライブを重ねるごとに増えていっていたはずのファンは、今度はライブを重ねるごとに目に見えて減っていった。  大学3年の2月、ブラックバスは正式に解散した。  それでも音楽活動を諦めきれなかった貝塚は、非常に高音域の伸びがいい新たな歌い手を相方として、今度は二人組のデュオとして音楽活動を再開した。しかし、今度はヘヴィメタルではなく、エレキギターからハミングバードに持ち替えて、しっとりとしたアコースティックデュオとして再出発したのだった。  4人から6人の頭数が必要なメタルバンドでは、どうしても長く活動をするとメンバーのなかにそれぞれ思うところが生じてくるようになると、貝塚はブラックバスの活動を通じて実感した。ヒロとトシミツとの関係がうまくいかなくなったのも、コンテストに出場できなかったというのは単なるきっかけに過ぎず、それ以前より何かしっくり来ない感情を抱いていた。  新たな相方であるレオとは、偶然に道端で知り合った。レオはストリートミュージシャンとして路上でギターを弾いて歌を歌っていた。  道端を歩いていて見つけたその姿は、短髪の黒髪で細めの体型をしたレオは、音楽よりもマラソンなどの持久力を要するスポーツに向いていそうだった。何気なく耳に入ってきた、地味なストリートミュージシャンの歌声、貝塚はそれ一目ぼれした。一昔前に流行った邦楽の某ユニットの曲を歌っていたのだが、やや丸みはあるが突き抜ける感じのある声は、誰にでも出せるものではない。  ただレオはギターがひどく下手だった。FやB♭などのコードはうまくフレットを押さえられず、だらしなく鈍い音を立てていた。 「ちょっと、貸してみな」  そう言って、レオが抱えているギターをやや強引に奪い取り、誰もが知ってるジョン・レノンの名曲を貝塚が弾くと、まだ名も知らないその男はその演奏に合わせて見事な声で歌い上げた。  ふたりはすぐに意気投合して、その日のうちに居酒屋で泥酔するまでともに呑んだ。まるで昔からの親友であるかのように感じた。  レオという名前は、驚いたことに本名ということだった。歳は貝塚のふたつ下。レオは学校には通っておらず、形式的に父が経営している会社の役員ということになってはいるが、実質的には無職の、典型的な金持ちのせがれだった。 「K&L」という安易なユニット名で新たに活動を再開したが、ブラックバスとはぜんぜん違う曲を演奏することになったため、かつてのファンは一部を除きほぼすべて去っていった。  結局、自分の人気はブラックバスという入れ物があったからこそだとカイは思い知ったのだが、しかし一度手に入れて満たされたはずの名誉欲あるいは自己顕示欲を抑えきることはできずに、ずるずるといまいちパッとしないK&Lの活動をだらだらと継続した。  そうするうちに貝塚はしぜんと就職活動もおろそかになった。同じ学部の学生たちが次々と内定を獲得するなか、なぜか焦りを感じなかった。自分はいったい何をしたいのだろう。生まれてから初めて、自分は何者なのかということを真剣に考え始めた。  大学卒業後は、ブラックバス時代からの熱心なファンだった女の家に転がり込むことになった。この女は佐藤美雪という名前で、カイよりも6つ年上の会社員だった。  貝塚は近所の24時間営業のカラオケボックスで夜勤のアルバイトをしながら音楽活動を続けていたが、その収入だけではとても自らの生計を立てることは不可能だったため、美雪をうまく言いくるめて彼女の部屋に出入りするうちに、同棲しようと持ち掛けたのだった。  女に養ってもらって、音楽活動を続ける。  貝塚はいつの間にか絵に描いたような売れないアマチュアミュージシャンの典型例に収まってしまった。  美雪は最初は、熱心な貝塚の支持者であった。むしろ、あのあこがれていたカイがいつも家にいるということに幸せを感じて、夜の8時前から夜勤のアルバイトに出るカイに弁当を持たせ、身体を求められれば惜しみなく与え、ときには小遣いさえも渡して、彼氏の音楽活動を支える甲斐甲斐しい内縁の妻の役割を果たしていた。  しかし、ほかのことはともかく、貝塚の度重なる浮気癖だけはどうにも我慢することができなかった。バンド時代は曲のあいだのMCを担当するのは貝塚で、それなりに人を楽しませる話術を身に着けていたせいか、貝塚はそれなりに女にモテた。また貝塚も、好みの女を見つければ積極的に自分から動くことにほぼためらいはなかった。  浮気が発覚するたびにふたりはケンカをする、というよりも貝塚が一方的に謝って美雪の許しを請うたのだが、同棲を始めて約2年半後にとうとう、 「出て行って」と言われてしまった。  貝塚は涙を流しながら土下座をしてこの部屋に留めてもらうよう頼み込んだが、美雪の決心はもはや揺るがないものになっていた。 「田舎に帰って、お見合いをするのよ。だからもちろんこの部屋の賃貸契約も解約するから、謝られてどうにかできることじゃないのよ。来月末までに荷物まとめて、出て行って。出て行かないなら、家賃はあなたが全額払って」  お見合いうんぬんの話は出まかせだろうが、取りつく島もなかった。  収入はほぼカラオケ店のバイトだけで、アマチュアミュージシャンとしての貝塚の収入は、ゼロではないものの限りなくゼロに近いもので、むしろ交通費を支払えばマイナスになることさえあった。そんな貝塚にとって、新たに住む部屋探しは極めて難航した。月々のカネを勘定してみたら、どう考えても家賃4万円以上の部屋に住むのも無理だった。たとえどんなに古い物件であっても、都内にそんな安い部屋があるわけはない。  不動産屋を何軒か梯子して、「もっと安い部屋ないですか」と繰り返し問ううちに紹介されたのが、この事故物件だった。貝塚は多少ためらいはしたものの、内見させてもらうことにした。  その建物は、6階建てでワンフロアに4つ部屋が配置されていた。窓から出っ張ったベランダが黄色く塗装されている。  家賃2万円。共益費3000円。  部屋のなかはいちおう六畳間ということになっているらしいが、部屋の角に建物の柱が出っ張っているため、実際はそれよりも少し狭そうだ。美雪の部屋から近く、引っ越し作業も楽に済ませられる。二階の角部屋で、隣室は事件があってすぐに住人が別のところへ引っ越しして以来、空き室になっているらしい。ギターの大きな音を立てても、隣人がいないなら怒られることもない。  貝塚はここに住むことを決断した。
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