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 どうもみなさん、こんばんは。今日は10月18日。引っ越してきて2日目です。事故物件ユーチューバーのカイです。  まだ片づけが終わってなくて、昨日はパソコンと布団だけを引っ張り出して寝たんですが、特に異常は何にもなかったですね。  普通に風呂に入って、メシは近所の牛丼屋で食べたんですけど。  ちょっとだけ金縛りに遭うとか、何かラップ音がするとか、期待してたんですけど、本当に何にもなかったんです。  ただ、部屋のなかにまだぜんぜんモノが無いせいか、やたら寒いんだよね、この部屋。まあそれは近いうちにどうにかなるでしょう。  そういえば僕、ストーブとか暖房器具もってないから、そのうち電器屋に買いに行こうかな。  僕はこれからバイトに行くんで、取り急ぎ事故物件二日目の動画でした。  ご視聴ありがとうございました。事故物件ユーチューバーのカイでした。チャンネル登録お願いします。 ***  そこまで言うと、貝塚はスマホで撮った動画を保存して、玄関で靴を履いて事故物件の部屋を出た。  バイト先のカラオケボックスは歩いて通える距離にあるが、前に住んでいた美雪の部屋よりは1キロほど遠くなっているため、30分ほど早く家を出た。  貝塚はオバケのたぐいを信じていないのだが、事故物件から足を踏み出すと少しだけホッとした気分になって、自分でも不思議だった。ふつうの部屋で生活している人なら、自室に戻ったときにこそ安心感を得られるはずなのだが。もしかしたら、自分も心のどこかにこの部屋に対して恐怖心のようなものを感じているのかもしれない。そんな考えが頭をかすめた。  昨日アップロードした動画は、半日で72の再生数があった。グッド評価とバッド評価はそれぞれ3で同数だった。  この72という数字は、貝塚にとって意外といっていいほど大きなものだった。レオとのユニットK&Lが路上でゲリラ的にライブをやったとしても、立ち止まって聞いてくれる客はせいぜい10人といったところが関の山だ。インターネット上の、ほぼ初投稿の動画など、5アクセスもあればいいほうだと予想していた。  72という再生数を見て、手ごたえを感じたというわけではない。72という数字は客観的な評価としては、ゼロとなんら変わらないものだろう。  しかし貝塚は、出どころのよくわからない興奮を感じて、本来は撮影する予定のなかった2日目の動画を取り急ぎバイト出勤前に簡単に撮影することにしたのだった。  このとき感じた高揚感と緊張感は、初めてライブハウスのステージ立ったときのものと非常に似ていると貝塚は思った。  バイト先のカラオケボックスには、午後7時30分ちょうどに到着した。いつもよりも15分ほど早い。 「おはようございます」  軽く頭を下げてカウンター横を通り過ぎようとしたら、 「おはよう、カイちゃん。今日は少し早いじゃないか」と店長の野田が声を掛けてきた。  野田は40代の男。メタボ体型をしていて、頭頂部はすでに薄くなっているが襟足の髪の毛は長く伸ばしていて、まるで河童のような髪型になっている。女子高生が見れば、おそらくその見た目をキモオヤジと評するに何のためらいも持たないだろう。決して内面は悪い人ではないのだが。 「ええ。今日は引っ越し後の初出勤ですから、少し早めに家を出たんです」と貝塚が言った。 「ああ、そっか。そういえば、そんな話してたよね。引っ越しって、もう終わったの?」 「とりあえず、荷物運ぶだけはやりました。片づけは終わってませんけどね」 「新しい住所、どこだっけ?」  貝塚はそう問われて、一瞬ためらった。具体的な住所を知られると、事故物件ということがバレるかもしれない。バレたところで何も問題ないはずなのだが、やはり何か後ろめたいものがあった。  ただ、バイトとはいえ勤務先に現住所を知らせないという方法は取り得ないだろう。 「えっと……。前住んでたところとけっこう近いんですけど、具体的な住所は、メモに書いて店長のデスクに貼っておきます」 「うん。よろしく」  カウンター横の細い通路を通って、従業員用のロッカールーム兼物置となっている狭い部屋に入った。クリスマスシーズンだけ階段の踊り場に展示される高さ40センチほどのクリスマスツリーがロッカーの上に置かれていた。今年もあと1か月ほどで、このツリーの出番がやって来る。  平日ということもあって、壁から漏れ伝わってくる歌声はあまり多くはないようで、客入りはあまり多くないようだった。  貝塚は店員用の黄色と青のストライプのシャツに着替えると、壁に掛けられた鏡の前に立って自分の姿を見た。黒い髪の毛を短く切ったその姿は、どこにでもありふれた20代のひとりの男だった。  出勤時間である午後8時にはまだ早いので、スマホを取り出してもう一度、ユーチューブのアカウントにログインしてみた。  最初に投稿した動画の再生数が、81に増えている。さらに、動画にはこんなコメントが付けられていた。 ”DEF1220 事故物件ユーチューバーとは、ずいぶんと罰当たりなことするなあ。こういう体の張り方をする人はめずらしい。とても応援できるような内容ではないけど、いちおう見させてもらうことにするよ。幽霊の動画撮れるといいね”  最初の「DEF1220」というのはコメントを書いた人のアカウントまたはハンドルネームだろう。  コメントの内容は、貝塚の行動を肯定しているのか否定しているのか微妙なところだったが、貝塚は単純にコメントを貰えたことがうれしかった。  何度も何度も、そのコメントを繰り返し読んだ。チャンネル登録数もゼロから1になっていたので、おそらくこの「DEF1220」さんが登録してくれたのだろう。 「あ、おはよ、ございます」  ロッカールームの扉が急に開いたので、貝塚は背筋がビクッとなるくらいに驚いた。そっちの方向を見ると、本日夜勤を朝まで一緒にやる趙が立っていた。 「あ、趙さん。おはようございます」  貝塚は返事をして、スマホのブラウザを閉じた。いつの間にか、午後7時55分になっていた。  趙は近くの語学学校に通ってる留学生で、中国吉林省の出身。背が高く、色白の顔をしているため、かなりイケメンの部類に入るのだが、本人はカネ以外のことにはあまり興味がないらしく、学校と睡眠以外の時間はほぼすべてをバイトに当てている。留学ビザで来日しているため、就労可能時間は本来厳しく制限されているらしいが、そんなのをきちんと守っている留学生は金持ちの子息令嬢以外はまずいないらしい。 「貝塚さんは、何を見ていましたか?」趙が貝塚が手に持っているスマホを見て、たずねた。  子供のころから親族を除いて、友人連中には「カイ」と呼ばれることが多かった貝塚を、きちんとしたファミリーネームで呼ぶのは、今の身の回りでは趙が唯一だった。 「ちょっと、ユーチューブ見てたんだよ」 「おもしろいものが、有りましたか?」 「いや、別に……」 「貝塚さんは、とても笑っている顔をしていましたよ」  どうやら趙は、貝塚が自分の投稿したものを見ていたとはこれっぽっちも想像もしていないらしい。  いったい、外国育ちの人間からしてみれば自分のやっていることがどのように映るのか少し興味はあったのだが、伏せておくことにした。  趙の日本語能力は、接客業をするに支障のない程度に訓練されたものだったが、ときどき、抽象的な概念や感情の起伏などを表現する場合には、話す方も聞く方もストレスを感じることがあった。  貝塚と趙のなかは、それほど悪いというわけではないのだが、良いわけでもなかった。プライベートで何度か一緒に遊びに出かけたこともあったのだが、趙は貝塚の最大の関心事である音楽はまったく興味ないらしく、共通の話題があまりなかった。  ちなみに趙の唯一の趣味らしきものは、スマホで日本のアダルトビデオを見ること。中国では裏モノを除いてはポルノは解禁されていないため、高画質でスタイルよくて若くて可愛い女優さんが出演しているAVはパラダイスらしかった。 「さあ、行こう」午後8時になったので、貝塚と趙の勤務時間となった。  カウンターに入り、パソコンのモニターに表示されているカラオケルームの空室状況を確認した。大きめの雑居ビルの2階と3階を利用しているこのカラオケ店は、10人以上収容できる大部屋が2部屋で、あとは2人から5人が入ることを想定した小部屋が10室となっている。  小部屋のうちの4部屋が埋まっているだけで、残りは空室となっていた。午後8時からのシフトでは、厨房と給仕、カウンターの受付をふたりでこなさなければならないのだが、飲食物持ち込み可能となっているため、厨房の仕事は最初のワンドリンクのみの場合が多く、週末の夜や日曜の昼間を除いてはふたりでもかなり暇を持て余すような日が多かった。 「それじゃ、よろしく」服を着替えた店長の野田がふたりに軽く手を振りながら帰宅の途に就いた。 「お疲れ様でした」貝塚と趙が、野田の背中に向かって同時に言葉を発した。  その直後に、カウンターの内線の電話が鳴り始めた。電話のディスプレイには、「3号室」と表示されている。  貝塚が電話を取った。趙と仕事に入るときには、内線電話を受話器を取るのは、暗黙のうちに貝塚の役割となっていた。 「はい。カウンターでございます。……はい、はい。コーラふたつ、ウーロン茶ひとつでございますね。かしこまりました。少々お待ちください」  話しながら貝塚は客の注文をマウスを使ってパソコンに入力していく。入力が終わると、小型プリンターから「3号室」と大きく印刷された注文票が素早くプリントアウトされた。 「僕が行きますよ」趙がその注文票を取り上げて厨房へ向かった。  夜12時を回った。  この時間以降に来る客と言えば、終電を逃してホテル替わりにカラオケボックスを利用するサラリーマンや、一人でこっそりやってきて好きな歌を歌いまくるという、いわゆるヒトカラ、あとはいかがわしいことを目的にやってくる若いカップルなど。もちろん、ラブホテル代わりの利用は規約違反になるのだが、このカラオケボックスでは客室には防犯カメラは設置していないため、不適切な行為があったかどうかは、退出後にティッシュやゴム製品を発見してようやく事後的に確認できるという杜撰な管理体制だった。  グレーのスーツを着た、疲れた表情のサラリーマンが入店してきた。貝塚が対応したが、会員証は持っていないということなので、まずは身分証明書を提示してもらい、入会手続きをしてからその後、いちおうマイクの入ったバスケットを持って部屋へ案内した。  歌うためではなく眠るために来店したのは明らかだった。最近はビジネスホテルは外国人観光客が増えたせいで平日でも空き室を取るのがむずかしいらしく、こういう客が増えている。寝るには決してよい環境とは言えないが、夜12時から朝7時までをカラオケボックスで過ごしたとしても、料金はせいぜい3000円に満たないので、野宿をするよりはいくぶんマシなのだろう。店員としてもこういう客は部屋を汚さないし食べ物もほとんど注文しないので大歓迎だった。  客室に冷たいウーロン茶を運んで、またカウンターのなかに収まった。  何もやることがないので貝塚はポケットからスマホを取り出しのだが、画面右上のバッテリー表示がもうわずかしか残っていなかった。まだ十分バッテリーは残っていると思っていたのだが、出勤する前の動画撮影とロッカールームでいじったブラウザでだいぶ消費してしまったらしい。暇つぶしに誰かにLINEでも送ってみようかとも思っていたのだが、途中でバッテリー切れを起こす可能性が高い。貝塚はポケットに再びスマホを突っ込んだ。 「なあ、趙さん」と貝塚はすぐ横に立っている趙に声を掛けた。 「なんですか?」 「オニ、って見たことある?」 「お、に?」  貝塚は手もとのメモ用紙にボールペンで、「鬼」と書いた。  どこで聞いたのかは忘れてしまったが、日本でいう「幽霊」とは中国語では「鬼」というらしい。  趙はその漢字を見て、 「グイ」と発音した。  なぜそんなことを趙に聞いたのかというと、特に意味があったわけではない。退屈しのぎにでもなればいい。 「見たこと、ある?」ともう一度たずねる。 「ないです。でも、とても怖いモノです」  貝塚は邦画洋画問わず、ホラー映画はあまり見たことがない。ただ、邦画の幽霊と洋画の幽霊とではずいぶんと違いがありそうだということは感じていた。日本でいうところの幽霊とは、強い怨みを持って亡くなった人間が死後も成仏できずに生きている人間を恐怖させるものだが、洋画で描かれる幽霊は、チェーンソーを持って暴れたりゾンビが地面から湧いてうろうろしたりと、ずいぶんと即物的なものが多い。  いちおう似たような仏教を宗教の地盤とする中国では、どうなのだろう。大昔、貝塚が生まれる前に「キョンシー」というテレビドラマシリーズが流行ったらしく、貝塚も少しだけ見たことがあるのだが、あれを中華圏での幽霊つまり「鬼」の代表だとするならば、「鬼」は日本のものよりも西欧の幽霊の部類に属するのではないだろうか。 「でも、私のおじいさんは、よくその話をしていました。夜に山に行くと、女のオニが出て来て襲われるというような話です」  ありがちな怪談だと思った。趙はさらに話を続けた。 「昔の戦争だったころ、日本の兵隊は、リーベングイズーと呼ばれてとても怖かったと言われていました」  趙はもう一度、リーベングイズーと発音しながら、「日本鬼子」とメモ用紙に書いた。  貝塚はネット上でさかんに活動しているネット右翼という人達の言説にはまったく興味ないし、日本と中国の過去に何があったかもどうでもいいと思っているのだが、むかし大陸で暴れまわった日本兵が「鬼」だとすると、やはり中国人にとっての幽霊とは、チェーンソーを持って人を殺しまくる西洋風のそれに近いのだろうと思った。 「日本は現在、鬼がいますか?」今度は趙がたずねてきた。  貝塚は額に軽く手を当てて、何かを考えるようなしぐさを作った。 「さて、ね。見たという人はたくさんいるけど、どっちかというと否定する人のほうが多いかもね」 「貝塚さんは、見たことがありますか?」 「ないよ。もちろん俺もそういうのは信じていない。一度くらい見てれば、信じるのかもしれないけど、一度もないから」  そう言ってから、貝塚はバンドメンバーだったベース担当のトシミツが、たまにそういうオカルト系の話を練習後にしていたのを思い出した。長身で金髪、女子から人気ナンバーワンだったベーシストは、そういう非現実的なものとは最も遠い存在のように見えたのだが、彼がオカルト雑誌や実話怪談の文庫本を常に持ち歩いて、暇なときにニヤニヤしながら読んでいる姿は滑稽だった。  ただ、トシミツも実際に心霊現象は一度も体験したことないらしかった。 「趙さんは、鬼を信じてる?」  お愛想のようにそう訊いてみると、答えは貝塚の予想外のものだった。 「信じています。私はまだ見ていないだけで、居ると思います」
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