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 どうもみなさん、こんにちは。今日は10月19日、お昼の2時くらいです。事故物件ユーチューバーのカイです。  事故物件に住み始めて3日目です。最初の動画、けっこうたくさんの人に見ていただいて、本当にありがとうございました。  特に歌ったり踊ったりしてるわけでもないし、おもしろいことを言ってるわけでもないのに、自分でも本当にこんな動画でいいのかなって思ってるんですが、見てくれる人がいる限り、続けようと思ってます。  昨日ちょっと、バイト先で……。僕は今カラオケボックスでバイトしてるんだけど、昨日一緒のシフトに入ってるのが中国人の留学生だったんですけど、ちょっとおもしろい話を聞きました。  別に事故物件に住み始めたってわけじゃないんだけど、どの中国人の人と「幽霊を信じるかどうか」って話になったんだけど……。知ってる人もいると思うけど、日本語の「幽霊」ってのは、中国語で「鬼」って書くらしくて。  まあ中国にも幽霊みたいな存在はいちおういるらしいのよ。でも、僕たち日本人がイメージする、ぼやーっとした足のないのが出てきて「うらめしや」というのじゃなくて、どうやら日本で言うところの「妖怪」みたいなのが中国人の想像する幽霊らしいんです。僕は中国語わからないし、彼のほうもまだ日本語がじゅうぶんじゃないから、ちゃんと正確に彼が伝えようとしたものを受け止められたかどうかは、自信ないんだけど。  で、僕が彼に「幽霊を信じるか?」ってことを聞いてみたら、なんと彼は「信じる」って言ってね。いや、見たことはないらしいんだけど。  彼が言うには、幽霊はいるけど、人間と同じような姿をして町をうろうろしているらしくて、人間のほうがそれを幽霊と気付いていないだけなのかもしれない、みたいなことを言ってた。つまり、人間社会にあたかも人間のような顔をして普段は生活してるんじゃないか、と。  ほかにも、……これ言っちゃうとちょっと炎上するかもしれないけど、第二次大戦中の日本兵は、中国人のあいだで、にほんおにこ、日本に鬼の子供って漢字で書くんだけど、……日本兵はそういうふうに呼ばれてたらしい。  だから中国人の思うところの幽霊っていうのは、意外と僕たちが想像する「殺人鬼」みたいなのが近いのかもしれないですね。  文化的な背景もいろいろと影響してるのかもしれないけど、国によって幽霊の形が違うってことは、やっぱり幽霊なんてものは存在しないっていう状況証拠になるんじゃないかな、なんて考えてます。  それで、中国では幽霊をどうやってやっつけるのかと聞いてみたんだけど、それはけっこう日本と似ていて、お寺のお札を使ったり、お経を唱えたり、そんな感じらしい。  でも彼が言うには、中国人の寺の和尚というのはカネに汚い人が多くて、あんまり尊敬されてないみたい。そのあたりも日本と似てるなと思って笑ってしまいましたよ。  ……あ、もし現役のお寺の住職さんがご覧になってたら、ごめんなさい。  で、事故物件3日目ですけど、もちろん心霊現象や金縛りはまったくナシです。そろそろ何か出てくれないと、ネタ切れになってこっちも困ってしまうんだけどなあ、なんて罰当たりなことを思ってます。  それでは今日はこのへんで。ご視聴ありごとうございました。事故物件ユーチューバーのカイでした。チャンネル登録お願いします ***  起床すると昼の1時50分だった。  夜勤から部屋に帰ると朝7時で、出勤前に撮影した動画をパソコンに取り込んでユーチューブにアップロードした後に眠気を抑えきれなくなって寝た。だいたい、5時間半くらい寝たことになるだろうか。  起床後に顔を洗って、夜に趙と話したことなどを動画にしてみようと撮影をしたのだが、眠気が抜けきらないわりには意外にはっきりした声でしゃべることができた。  いちばん最初にアップロードした動画の再生数が120を超えていて、新たなコメントが3つ付いていた。 ”RTYKF1979 事故物件ユーチューバー、斬新すぎる。応援するわ。呪い殺されないように気をつけてください” ”YUYUYU88 都内のどのへんの物件ですか? 大島てるで検索したら出てきますか?” ”TOFUDAISUKI 不謹慎すぎる。死んだ人を利用して売名行為しようなんて、お前最悪。今すぐこのチャンネル削除しろよ。削除しないなら、ようつべの運営に不適切動画ってことで通報するわ”  2つめのコメントにある「大島てる」とは、知る人ぞ知る日本全国の事故物件をデータベース化したホームページだ。場所を指定すると、地図が表示されて、どこの物件にいつどんな事故があったかを検索することができる。  貝塚はあえて自分が今住んでいる物件については検索したことがなかった。検索しなくても掲載されていることは疑いないし、削除できるわけでもないので、最初から努めて見ないことにしていた。  もちろん、匿名の相手に住所を教えるわけにはいかない。  3つ目のコメントについては、貝塚はあまり深く考えたことはなかった。たしかにアカウントを作るときに、細かい規約で不適切な動画をアップロードしてはならないみたいなことを書いていたような気がするが、そもそもほとんど読まずに「同意する」ボタンを押してしまったため、あまり記憶にない。  一般的に「不適切な動画」とは、エロかグロか、あるいは爆弾の作り方のような反社会的なものだとばかり思っていたのだが、自分の動画が果たして不適切なのか、否か。  まだ3日目だが少ないとはいえ視聴者を獲得できたこのチャンネルに、貝塚はすでに我が子のような愛着を感じつつあった。通報されたら、削除されるのだろうか。自分の投稿する動画は、それほど人道に悖る行為なのだろうか。  しかし、死んだ人に対して負い目を感じなければ不適切とされるということは、やはり今の日本の社会は死後の世界を前提として動いているのではないだろうか。  漠然とそんなことを考えていたのだが、自分が主体的にユーチューブの運営に対してどうこうできるわけでもないし、貝塚は動画撮影を続行することにした。 ***  こんにちは。事故物件ユーチューバーのカイです。今日は10月28日です。事故物件に住み始めて、10日目です。  ……実は、少しのあいだ、動画投稿をする頻度を減らそうかなって思ってます。  というのも、あまりにネタがなさ過ぎて、動画を撮っても何にも新しい情報をみなさんに提供できないからです。  今まで一応、毎日投稿してきたんですけど、自己紹介ももう一通りしたし、視聴者のみなさんが期待してるような心霊現象は一切起こらないし、ただダラダラと僕がしゃべってる映像を流したところで、まったくつまらない動画しか作れないので……。  もし何かあったら、そのときは動画撮影してみなさんに見てもらおうと思ってます。  あ、でも一週間に1回くらいは何か動画出そうかなって思ってます。  それでは、ご視聴ありがとうございました。カイでした。チャンネル登録お願いします。 ***  最初はずいぶん興奮して動画を撮っていたものの、10日目にして貝塚はすでにネタ切れという深刻な事態に直面していた。  事故物件ユーチューバーチャンネルの視聴者は、もちろん心霊現象や怪奇現象が発生することを期待して見ている人がほとんどなのだが、一向に何事も発生せずにただふつうのナリをした男がカメラに向かってしゃべってるだけの映像は、視聴者の求めるものとかけ離れたものになってしまっていた。  再生数は動画をアップロードするたびに減り、最新のものはついに一桁まで落ち込んだ。コメント欄も、「お前は退屈だ」とか「もうやめろよ」という罵倒すらなくなっていた。  これには貝塚も心が折れて、もう動画を削除してしまおうかと考えていたのだが、踏ん切りがつかずに「撮影の頻度を減らす」という中途半端なことになった。  ほかの人気ユーチューバーの動画を、初めてしっかりと視聴してみると、みんな一生懸命いろんなネタを次から次へと見つけてきて、身体を張っていろいろと試している。世界一臭いと言われるシュールストレンミングという食べ物をわざわざ買ってきて食レポしてみたり、街角に出て街頭インタビューのようなものをやったり、日に日に新しいネタを提供できなければ、一瞬で飽きられてしまう。何せ動画は、インターネット上に山のようにあるのだ。  貝塚の印象にも強く残り、ただただ感服したのは、「ヒミコ」という名で活躍している、30歳前後の超有名ユーチューバーだった。ヒミコという名を名乗ってはいるが男性で、本名は不詳。毎日、2本か3本の動画をアップロードして、その内容はというと、それなりに有名な地下アイドルに出演してもらって普段ライブでは見せないような一面をインタビューで引き出したり、ヘルメットにゴープロのカメラを装着してバンジージャンプに挑戦したり、単純だがとても貝塚には真似できそうにないものばかりだった。  次の動画をいつ撮影するか、貝塚は自分でもわかっていない。ひょっとしたらもう撮影しないかもしれない。  この日は午後から、昼間の公園でストリートミュージシャンみたいなことをやる予定になっていた。少しでも多くの人に知ってもらう機会になればと、相方のレオが提案してきた。厳密には勝手に公園で演奏するのは違法行為になるらしいのだが、わざわざ警察に通報する物好きは少ないらしく、けっこう快適に演奏することができる。  アコースティックギターのソフトケースを肩に抱えて、貝塚は電車に乗った。昼過ぎの、某所にある大きな公園は、小さな子供を遊ばせている母親や、弁当を食べているサラリーマン風の男、5人ほど集まって日向ぼっこをしている老人など、老若男女がまばらに存在していた。  レオはまだ来ていないらしかった。貝塚はベンチに座り、ギターをケースから取り出して、ペグをいったん緩めて弦のチューニングを始めた。  うまくチューニングできて、Aマイナー、次いでG7のコードを弾いていると、 「カイちゃん」という声が聞こえてきた。  顔を上げると、レオがすぐ目の前に立っていた。  レオはジーパンに長袖のYシャツという、いかにも普通の恰好をしている。こういうさっぱりした服装をしていると実年齢より若く見られることが多く、いまだに高校生にまちがわれることも多い。派手な見た目ではなく、きちんと歌声で注目されたいとの気持ちから、レオは努めて普通の服を着ることが多かった。  貝塚はギターのネックを握っている左手を離して、 「よお、やっと来たか」と言った。  立ち上がって、レオのほうに近付こうとすると、レオはなぜかまるで怯えた犬のように後ずさった。その顔は、眉間にしわを寄せて何か得体の知れないものを見るような目つきをしていた。  こんな表情をした相方は今までみたことはなかった。まるで汚物を見るような顔をしている。自分の顔になにか付着しているのだろうか。 「どうしたんだ?」  レオはまた一歩下がった。  こんな態度を取られたのでは、あまりよい気分はしない。貝塚が一歩進むたびに、レオは一歩後ずさっていった。 「ちょっと待って、カイちゃん。動かないで。もしかして最近、身の回りに何か変わったことあった?」 「え? 何言ってんの、お前」  貝塚が少しイライラしながらもまたレオに近寄ろうとすると、 「来るな!」とレオが叫ぶように言った。  その大きな声には貝塚もさすがにたじろいだ。 「ごめん。答えて、カイちゃん。最近何か、身の回りに変わったことはあった?」レオはやはり、怯えるような真剣な表情をしている。  にわかに唇が振るえていた。 「えっと……。特に何も。強いて挙げるならば、先々週引っ越したけど、それは前々からお前にも伝えていたはずだけど、それがどうかしたのか?」 「その引っ越し先の部屋、どこにあるんだ。そこ、何かあったんじゃないの?」 「え……?」  事故物件に引っ越すことなど、もちろんレオには知らせていない。それどころか、レオ以外の誰にも知らせていない。  レオは俺の姿を見て何かを感じ取ったのだろうか。そういうえば、レオとはオカルトやオバケうんぬんの話は今まで一度もしたことはなかった。レオには今の俺の姿が、これまでとは別物のように見えているのだろうか。 「実はね、カイちゃんには言ってなかったけど、俺はいわゆる霊感ってやつがめっちゃ強いんだよ。カイちゃんはそういう話はあんまり好きそうじゃないから、ずっと黙ってたんだけど」貝塚の疑問に答えるようにレオが言った。  レオはさらに言葉を続ける。 「実はカイちゃんと初めて会ったときから、背後になんかよくわからないけど、怪しげな黒い影みたいなのが憑いてるなって思ってたんだ。脅かすことになるから言わなかったけど、それよりもその影みたいなものが、はたして良い霊なのか悪い霊なのかはっきりしなかったから、今まで黙ってたんだ。ごめん」  貝塚は思わず背後を振り向いた。当然誰もいない。 「何もいねーじゃん。俺の後ろに、誰がいるっていうんだよ」 「若い女の人。髪の毛の長い。」  貝塚はそれを聞いて、ギクッとした。 「女、……だと?」しらを切るかのように貝塚が言った。 「ねえ、カイちゃん。その部屋、何かあったんじゃないの? もし何も聞かされてないんだったら、部屋の大家か不動産屋に問い合わせたほうがいいよ」  ただの偶然なのか、それとも本当にレオに特殊能力があるのか。とにかくはっきり言えることはレオの懸念していることはまったくでたらめとは言い切れないということだ。  さすがに気味が悪くなってきた。あたりを見回すと、貝塚の感じているネガティブな感情などよそにして、小さな子供が公園のなかは走り回っている。 「その女について、ちょっと詳しく聞かせてくれ。いったい、そいつは何なんだ?」 「俺に聞かれてもよくわからないよ。……ただ、カイちゃんに対してすごく強い感情を抱いているみたいだ。それが憎しみなのか愛情なのか、よくわからないんだけど」 「なんだ、そりゃ。そいつはいったい誰なんだ?」 「俺にはわからない。とにかく、その部屋は早く引っ越したほうがいいと思う」  まさかこれほど近くに、こんなに強い霊感とやらを持った人間がいるとは想像してさえいなかった。レオはおおらかな性格をしてはいるが、こんな質の悪い冗談を言うようなやつではない。実際に何かに憑かれているのかどうかは確認する術もないが、少なくともレオがそう思い込んでいるということだけは間違いないのだろう。  しかし、引っ越すと言ってもけっこう大きなカネも要る。それに、あれほど家賃の安い物件がほかに簡単に見つかるはずもない。見つかったとしても、そこもきっと事故物件だろう。 「レオ、お前、今までずっとそういうの見えてたのか、子供のころから?」 「いや、物心ついたときからってわけじゃない。一度、小学校3年のときに交通事故で死にかけてね。いわゆる幽体離脱みたいな経験をしたんだけど、それ以来、いつもってわけじゃないんだけど、よく見るようになったんだ。血まみれのおっさんとか、首のない兵隊とか、ちょっとだけ透けてる人間とかが」 「ふうん」関心なさそうに装って、貝塚はため息まじりにそう言った。  その日のストリートライブの出来は、ひどいものだった。レオがぜんぜん気分が入らないらしく、声が伸びないどころか歌詞さえもちょくちょく間違うような有り様だった。普段なら足を止めてふたりの歌に聞き入る人が数人はいるのだが、この日はゼロだった。  まあ、となりに悪霊に憑かれているらしい人間がいると思い込んでるならば、レオがミスを繰り返してしまう気持ちも貝塚にはわからないではない。しかし、自分の作った曲をこのように杜撰に歌われるのは、あまり気分のいいものでもない。  演奏は4曲ほど演奏した後、貝塚のほうから、 「今日はもうやめにしよう」と提案し、早々と切り上げて帰ることになった。  駅のホームでの別れ際に、レオは繰り返すように、 「早く引っ越したほうがいいよ」 「はいはい」と軽く受け流す貝塚に対して、レオは強い口調で、 「カイちゃんが引っ越しするまで、K&Lの活動はちょっと自粛しよう。悪く思わないで」と言った。  そこでプラットフォームに電車が来たため、貝塚はレオに何も言い返すことができなかった。  霊やらオカルトを理由に活動自粛など、さすがに理不尽だ。病気や事故、あるいは音楽性の違いのほうがまだいくらか誠実というものだ。  貝塚はスマホをギターのソフトケースのポケットから取り出すと、すぐにLINEで、 ”いくらなんでも一方的に自粛はねーだろ。まあ、引っ越しについてはぼちぼち考えておくけどさ。また落ち着いたら連絡くれ”  とメッセージを送っておいた。何時間たってもそれが既読になることはなかった。  しかし、貝塚はどこか安心しているところがあった。レオはギターがあまりうまくないし、まして弾きながら歌うということは難しいだろう。K&Lの曲はほとんど、貝塚が作詞作曲したものだし、ほかの相方を見つけるなどということは有り得ない。  一時の気の迷いだ。そのうちまたレオのほうから連絡をよこして来るに違いない。  事故物件の部屋に戻った貝塚は、あらためて部屋の様子を見回した。どこにでもある、一人暮らし専用のワンルームマンションだ。  ただ、ここで人が殺された。違うのはそれだけ。  そういえば、この部屋に引っ越してから、誰も人を招き入れたことがないことに貝塚は気付いた。レオは貝塚の姿を見ただけで、この部屋が事故物件であることをなぜか見抜いたようだが、霊感がないほかの人間はどのように感じるのだろう。  時刻はまだ午後4時にもなっていない。今晩のバイトに出勤するまではまだ3時間以上ある。  誰か、呼んでみようか。ふとそんなことを思い立って、貝塚はスマホのアドレス帳を開いた。  画面をスライドさせて、「エミ」という名前のところでスライドを止め、通話ボタンを押した。 「あ、もしもし。俺だけど。……うん、うん。いや、ちょっと暇でさ、電話かけてみたんだけど。今日は休み? 俺は今日も夜勤だけど、もし良かったら、俺の部屋に来ない? いや、そうじゃなくて、引っ越しするっていったじゃん。そう、だから俺、今一人暮らししてるんだよね。女? ああ、あの女とはもう別れたよ。連絡先も知らない。本当だって。そう……。いや、すぐ近くだよ。……うん、うん。駅まで迎えにいくから。……歩いて5分くらい。そう。うん。それじゃ」  辻井恵美は、都内の実家から女子大に通いながら貝塚と同じカラオケボックスで週3回夕勤のバイトをしている。小柄の体格で、茶色のロングヘアーをしている。少しぽっちゃりしていて見た目はおとなしい女の子なのだが、けっこうズゲズゲとはっきりものを言う、男勝りな性格をしている。  言うまでもなく貝塚にとっては恵美とはずっと浮気相手という関係だったのだが、今は同棲も解消し本来の恋人だった美雪とは別れてしまったので、何もためらうことはない。  恵美をこの部屋に招き入れる第一号とするのは、まるで人柱にするようで悪い気はしたが、逆に、はたして恵美がここを事故物件と見抜けるのかどうか、楽しみにする思いもあった。
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