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愛の違い
荷物を整理してから揃ってご飯を食べ、碧がソファに座っているとシアンが足元に寝そべった。つい触りたくなる体を撫でながら、碧はふとコルクボードの上でインテリアになっている幾つかのアクセサリーを見た。
その中で一番太く長い紐のネックレスはトップが六角に加工された黒曜石で、碧が徐に立ち上がるとシアンが顔をあげる。
ボードからネックレスを取って振り返ると、いつの間にかシアンが座っていた。
「こういうの、危ないかなあ…」
チェーンじゃないし留め具もないから、毛に絡まる事はないとは思うけれど首輪ではないし、と碧は独り言を溢しながらもそれをシアンの目の前で揺らすと、シアンは碧の手に頭を押し付けてくる。
「……つけてみる?」
紐を左右に開いて輪を作ってみると、シアンは躊躇いなくそこへ頭を入れた。綺麗に首元で止まったそれは、真っ白な毛の中で黒い模様のようになり、揺れる黒曜石がよく映えている。
「似合うなあ」
シアンは碧の手に軽く舌を這わせ、頭を擦り付けた。
*
───仕事納めの帰りに出会ったシアンは、それから数ヶ月経っても碧と共に暮らしていた。
特に病気もなく、奇妙に大人しく利口な犬はもう随分と碧の生活に馴染んでいて、いる事が当たり前になっている。
リードいらずの散歩は楽しい。犬の散歩というよりは誰かと一緒に歩いているような感覚で、道ゆく犬を連れた人にはその大きさから少し怖がられる事はあるが、大人しさと利口さに褒められる方も多かった。
シアンは普段とても穏やかだ。基本的に碧が何をしても怒らないし嫌がらず、吠えもしないし気遣いすら感じる時もある。
ただ、いつだか街中を歩いている時に声を掛けられた際、威嚇をしたことがあった。相手がシアンの迫力に尻込みして逃げた後、それを見ていた近くの骨董屋の店主が「たちの悪い商売人だ」という話を聞いて、碧は喫驚した。
人を見る目があるな、と少し頑固そうな店主が笑ってシアンを褒めると、シアンは店主と目を合わせて緩慢に尾を揺らした。
それから碧は、稀にシアンが警戒心を見せる相手に関わらないようにしていた。以前に一度、警戒を甘く見て危うく騙されそうになった事があるというのも理由のひとつだったが、信用に値すると認識してからは見逃さないようにしている。その時もシアンが助けてくれたので感謝してもしきれない。
しかし最近、碧はシアンに対してどうにも落ち着かない時がある。まるで懸想しているような、甘える仕草や守ってくれる勇ましさが堪らなく思い、出会う人にシアンがモテると妬いてしまう時もある。
いくらシアンが犬らしくないとはいえ、相手は犬だとその都度思うが、碧は無意識のうちに心のどこかでシアンと同じ生き物になれたらいいのにという気持ちを抱いていた。それが犬でも狼でも人間でもよかった。
「───シアン、お風呂入ろう」
寒さも去って湿った暑さが姿を見せてきた初夏、豊富な毛で覆われたシアンも夏毛に変わる頃だろうか。シアンは毎日のように一緒にお風呂に入りたがり、抜け毛も目立ってブラッシングついでに細かく洗おうと、碧が洗面所にバスタオルを敷いて名前を呼ぶと、爪先が床を打つ音と共にシアンが顔を出した。
「明日はどこに散歩しよっかな」
浴室でブラッシングしながら碧は独り言を呟いた。シアンが来てからというもの、碧は喋る事が多くなり、仕事中も独り言が増えた。
クシを通すたびに綺麗な白い毛が抜ける。毛に覆われた体を洗っているあいだ、シアンはいつも碧の肩に顔を乗せて大人しくしている。洗いやすくしてくれているのかもしれない。そして面白いことに、碧が自分の体を洗っている時は目のやり場に困るような仕草をするのだった。
碧が体を流した後、たまにシアンは背中や首の裏を舐めてくる。驚くことも多いが、碧はそれよりも胸が締め付けられるような感覚が強かった。
風呂上りにはバスタオルを二枚使ってシアンの体を拭き、ドライヤーで乾かす。最初は嫌がると思ってタオルドライのみにしていたが、碧が髪を乾かしていると前足でつつかれ、当ててみたら嫌がらなかった。寧ろやれと言っているような目で見てくるものだから、それ以降碧はドライヤーを使っている。
乾かしてから丁寧にブラシを通した後のシアンの毛並みは、撫で心地が最高である。
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