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6の乱
仕事を終えた文哉は、敦人の提案で彼の自宅へ招き入れられていた。
玄関を開けた瞬間から、充満している敦人の匂い。くらりと酔いしれることができれば、どれだけ心地よかっただろう。
名残惜しさを抱きながら、短い廊下を抜けて少々ゴチャついた部屋へ足を踏み入れた。床に散らばった服や雑誌を恥ずかしそうに拾う敦人が、座布団を置く。
「すみません、あんま片づいてなくて……ここ、どうぞ。えっと、何か淹れてくるんで」
「気にしないで。すぐお暇するから……」
「そ……う、です、よね」
好きな男の部屋に上がる興奮や期待を味わってみたかったけれど、それは図々しいというものだ。長居はするものじゃない。
示された場所へ腰を下ろすと、テーブルの角を挟んだ隣へ敦人も正座した。表情が緊張しきっているせいで、こちらも肩に力が入る。
「あの……先に俺から話してもいいですか」
「どうぞ」
十二分に、何を言われても受け止める覚悟はしてきた。これまで敦人にしてきた悪事を思えば、文哉には傷つく資格もない。
しかし敦人は悪態を連ねるでもなく、操作した自身の携帯画面を見せてきた。
「これ、見てください」
「……? ……え?」
恐る恐る画面をのぞきこみ、文哉は思わず敦人の顔を見る。
「……え?」
「よかった。覚えててくれたんですね」
彼は胸をなで下ろしているが、つながりかけている事実が信じられず、瞬くことしかできない。
「いやいやいや……え、どういうこと?」
画面には、大学の食堂らしき場所で肩を組む、数人の男子学生が笑顔を浮かべている写真が表示されている。その中心には二年前、文哉が失恋した夜に相手をしてくれた、心優しきヤンキー店員がいた。
「これ、俺です。学生時代に撮った、ヤンキースタイルの俺。学生の間しか、こういう羽目の外し方できないなって思ったんで……」
「ちょ、ちょっと待って、頭が追いつかない」
彼が以前から文哉を知っていたのかも、という考察はしていたが、まさかヤンキー店員と同一人物だとは夢にも思わない。
しかし何度も敦人と画面を見比べると、愛嬌のある二重の目元は全く同じだった。
「や……やっぱり僕のこと知ってたんだね、入社する前から」
「はい……気づいてましたか」
「今日……ふと、もしかしたらって思ったんだ。と、いうことは……」
丁寧に、相手を傷つけない言葉を選び、笑顔で。そうやって徹底してきた王子のふりも、敦人には意味がない。槙の店ではいつも、文哉のままで過ごしていたから。
「……王子っぽいふりしてんのも、ゲイなことも、知っててそばにいたのかよ。お前……なんでそんなこと……」
仮説は正しかったわけだが、知らないふりで付き合っていた彼の真意がわからない。
頭を抱える文哉の手に、敦人がさりげなく触れる。すぐに離れていった指は、怖がらせまいと気遣っていた。
「あの夜、槙兄は友だちのスナックの周年祝いで、お客さんと出かけたんです。俺は片づけが終わったら戸締りして帰る予定でした」
「……そこに、俺が客として入ってきたのか」
「はい。俺は滅多に表に出ないので、話したことはありませんでしたけど……文さんがズケズケものを言う人だってことは、見かけて知ってました。けど、あの夜は」
言葉を切った敦人が、不安そうに上目遣いで文哉をうかがっている。その視線が「思い出したくない話題かも」という心配を含んでいるのは想像に容易い。
「いい、言えよ」
「はい……文さん、可哀想なくらい泣いてました」
「そうだな。槙さんに愚痴りに行ったのに、いなくて踏んだり蹴ったりだって思った」
そうしたら、ヤンキー店員はカウンターの荷物を避けてくれた。「ここへどうぞ、何にしましょうか」と、優しく目尻にしわを寄せて。
「放っておけなかったんです。強がれなくてボロボロ泣いてる文さんを……すごく、可愛いって思ったから。覚えてますか? 俺、あの日……」
「覚えてる。俺にしときませんかって、言ったな」
「フラれちゃいましたけどね。黒髪眼鏡になったら考えてやる……って」
自分の髪を一房つまむ敦人は、照れくさそうだ。ピンときた文哉は目を見張り、首を横に振ってくれることを願った。
「まさか、俺がそう言ったからそのスタイルに落ち着いた……とかじゃ、ねえよな?」
「あ、すいません……ええと、……はい」
「馬鹿かお前……こんなやつの言うこと、真に受けて」
「こんなやつじゃありませんよっ!」
力強く卑下を否定されてしまう。敦人はその勢いのまま、身を乗り出して力説し始めた。
「言いましたよね。『俺みたいな嘘つき野郎より、愛する価値のある子と幸せになれよ』って。わかったんです、文さんは自分に愛される価値がないって思ってること」
自信のなさを的確に指摘され、言葉に詰まった。敦人はぎゅうっと拳を作る。
「さみしそうに俺の頭撫でてくれました。弱ってる顔は俺にだけ見せてくれたらいいのになって、甘やかしてあげたいなって……そのとき、本気で思ったんです。男だとか、そんなんどうでもいいって思っちゃったんです」
「なっ、う」
「だから文さんから聞いた社名を頼りに就活しました。内定もらえなかったら、それまでだって決めて……だけど入社できて、配属先に文さんがいてっ」
ずいずいと近づいてくる敦人は興奮しているのか、頬を紅潮させている。語ることに必死で、押し倒す寸前のような体勢には気づいていないようだ。
「俺、運命だって思った……ッ!」
文哉は床へ後ろ手をつき、どうにかバランスを保ちながら男の肩を押し返す。するとその手をぎゅっと両手で包まれ、そろそろ左胸の内側で爆弾が弾けてしまいそうだった。
「敦人、お、落ち着けって……っ」
「ちょっとずつ距離を縮めるつもりでした。でも飲み会の日、嬉しすぎてカッコ悪いとこ見せちゃって……けど朝、なんでか文さんが事後っぽい演出してくれたから……これを理由に恋人になれる! って思ったんです」
「……え?」
引っかかりを覚え、首を傾げる。
敦人はそれに気づかず、包んだ文哉の左手へ祈るようにキスをした。
「付き合えさえすれば、じっくり時間かけて好きになってもらおうって。実際、一緒にいるうちに文さんは俺のこと好きなんじゃ? って思うようになったのに……昨日、槙兄と付き合うって」
「は!?」
「え? っあ、すいません!」
大きな声に驚いた敦人が、手をパッと放して後ずさる。怖がらせないように配慮してくれているのはわかるが、今は正直、そんなことどうでもよかった。
「ちょっと待てお前……昨日怒ったのは、俺が嘘ついてたって知ったからじゃねえの?」
「え、いえ、それは最初からわかってたので別に」
「わかってた!?」
「俺、お酒めっちゃ弱いですけど記憶はなくさないので。そんなことより、俺と付き合ってるのに槙兄に口説かれて、うなずいてたことがショックで……!」
「あ、りえねえ……ッ! あんなん冗談だし、つーか槙さん、めっちゃ可愛がってる彼氏いんじゃん!?」
「え、そうなんですか? 槙兄そういう話してくんないから……」
「そうだよ馬鹿! うわ、え、マジか……」
つまり二人は昨夜、全く話が噛み合っていない口論をした、ということになる。
すう……と魂が抜けていきそうな気分で口を開ける文哉は、痛むこめかみを押さえた。
「ってことは? お前は二年前から俺のこと知ってて、ヤッてないのも、ぶりっ子やってんのも承知の上で、……今も好きだって?」
「はい! それで……俺、別れるって言われて頭真っ白になっちゃって、昨日はあんな酷いことを……」
「なんだよそれぇ……おま、ふざっけんなよぉ……」
「ふ、ふざけてませんよ! 本気ですよ!」
取り繕えず、テーブルへと突っ伏す。腕で作った囲いに顔を埋めると、敦人がオロオロしている気配がした。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねえよ……なんも知らねえお前を騙してることが、ずっと、申し訳なくて」
「文さん……」
肘の辺りへ、遠慮がちな指先が触れる。
文哉は目を閉じたまま、すかさずそれを捕まえた。
「本当のこと言えなくて、後悔してた」
「それは……俺が最初に文さんの主張をわざと流したから……」
「んなもん言い訳だろ。言うタイミングなんかいくらでもあった。……言いたくなかっただけだ。ちょっとでも長く、お前と付き合ってたかったから」
遠回しな告白をつぶやいて、敦人の指先を離す。すると今度は文哉の指先が囚われた。
「文さん、顔上げて。顔見せて」
「ぜってー嫌」
「お願い、文さん……顔見て言いたいんです、大事なことは」
さみしげな声で言うからズルい。そんなふうに可愛い敦人にねだられたら、恋愛経験ほぼ皆無の胸キュン耐性ゼロな文哉は太刀打ちできないというのに。
「……んだよ」
身体を起こすと、目尻を赤らめた敦人が顔をのぞきこんでくる。朝の泣き腫らした目元は随分マシになっていたが、下まぶたの縁になみなみと水気を溜めた男は、一層可愛くて切なさが増していた。
「俺、二年も片想いして、会社まで追いかけてくる気色悪いやつです。でも文さんが好きです。口が悪くて素直じゃない文さんも、会社でニコニコしてる優しい文さんも……俺が甘えたとき、嬉しそうに頭撫でてくれる文さんも、全部好き。初めて会った夜からどんどん好きになってるんです。どんな文さんだって、大好きです」
「わ、わかった、もういい……!」
「よくないです。この二年、言いたかったこと全部伝えたいです。だからずっとそばにいてください。……近くにいないと、大好きって言えないですもん」
敦人は照れる文哉の腕を引き、満足げに抱きしめる。
頼むから、もう勘弁してくれ。そう言って発熱したように火照った顔を隠したいのに、息苦しいほど胸に押しつけられて叶わない。
勘違いとすれ違いの末に想いを通わせたばかりなのに、このままでは死んでしまいそうだ。ドキドキする、という意味で。
「いいのかよ……こんな、外面ばっかいいようなやつに、そこまで言って。撤回させてやんねえぞ」
「はい喜んで!」
まるで居酒屋の元気な店員みたいだと思ったら、噴き出して笑っていた。
敦人はその間も文哉の頭を撫で続け、こめかみへ口づける。
「外では優しくて真面目で素敵な文さんでいいんです。でも俺と二人のときは、家に一人でいるときみたいにくつろいでほしい。頼って、甘えて、楽な言葉で馬鹿にして……そうやって特別扱い、してください」
「……変なやつ」
「俺……嘘に気づかないふりしましたけど、あなたに贈った言葉は全部、本当です」
「……ん」
身体を離し、顔を見合わせると笑いが込み上げてくる。目尻に少しにじんだ余計なものは、敦人の唇が愛おしげに拭っていった。
「もう、文さんは俺の?」
「ああ、まあ、そうだな」
「じゃあ……一個お願い聞いてほしいです」
殊勝な態度でうかがってくるくせに、敦人は文哉の返事を待たず続ける。
「ああいうのは……ちょっと、つらいから、今度からは俺に任せてもらえませんか?」
「ああいうの?」
なんのことかと首を傾げる。
敦人は上目遣いに文哉をうかがい、小さな声で「エッチのとき」と囁いた。
「触られるの、まだ怖いですか? 俺、本当は全部やってあげたいほうで……だから、文さんが嫌じゃないなら、俺にさせてください。今までの男より、一番気持ちよくしてあげたいです。嫌な記憶は俺で上書きしたいです」
「あ、……あー……えっと」
どうやら敦人の中で、文哉は経験済みのカテゴリーに入っていたらしい。
そこの誤解をどう解くべきか悩んだものの、結局、簡潔に真実を告げた。
「誰ともしたことねえよ」
「……はい? え、でも怖いって……いや、……経験ないのに俺に乗ったんですか? 冗談ですよね?」
「悪い。その……既成事実作れば、お前と長く付き合えるかと思ったし、罪滅ぼしがてら、楽に気持ちよくしてやろう、か、と……」
改めて思えば、敦人を手離したくないがための浅慮な考えだ。恋愛スキルの低さが如実に現れてしまっていて恥ずかしい。
内心もだえていると、額を押さえた敦人が文哉の肩へ顔を伏せた。
「……俺、文さんのはじめてを、マグロで散らしたってこと……?」
「いや、そんな大層なもんじゃ」
「自分が許せません……!」
「っうあ」
がっちりと文哉の両手を握った敦人は、黒々とした瞳に決意を秘めている。まるでこれから敵地へ乗りこむ戦士かのようだ。
「今日は絶対、全部します」
「えっ、いや、いいから。え、今日?」
「よくないです、抱かせてください、気持ちよくさせてください、うなずいてください、文さん……っ!」
愛しの後輩は、想いを通わせても押しが強い。遠ざけたいとは思わないが、勢いが怖いのは変わらず、文哉は反射的に頭を後ろへ引いた。
「わ、わかった……」
それでも、断る理由はなかった。
グヌゥッ、と穴を拡げる指が、とうとう三本まで増えた。腹の底から声が押し出されそうになり、文哉はとっさに口を両手で押さえる。
四つん這いになった文哉の後孔を解す敦人が、不満そうに小ぶりな尻を甘噛みした。
「声、出していいんですよ? っていうか聞きたいです」
「ん、……ぅ、やだ、恥ずかし、ぃ」
「んもー、照れ屋な文さん超可愛い。……でも出させちゃいます」
「はぅっ、う、……ッ、……!」
グッチャグッチャと聞くに堪えないほど、はしたない水音がする。指の動きと連動したそれから耳を塞ぎたいのに、口を押さえていないとみっともない声が出てしまいそうだ。
第一、服を脱ぐ段階で文哉の羞恥は限界を超えている。しかし脱がすなと言っても、性器に触るなと怒っても、自分で準備させてくれと懇願しても、敦人は笑顔のくせに絶対首を縦に振らなかった。
今はかろうじて声を殺しているが、あとどれくらい強がれるかは文哉にもわからない。これ以上情けない姿をさらす前に、どうにか挿入させて終わらせてしまいたかった。
「ぁ、もう、も、入んだろっ、挿れ、挿れろって……!」
「ダーメです。いっつも痛かったでしょ? 言いたくないけど俺のデカいから……ちっちゃい入口が切れちゃわないようにしないと」
「平気だって、ばぁ……ッ」
焦りがにじむ。たっぷりのローションを使って指を挿入されてから、少しずつおかしな感覚が生まれ始めていたからだ。
指が陰茎の裏側をねっとりと擦りながら抜けていくときが、一番怖い。押しこんではいけないボタンを弄ばれるような不安が寄せてきて、身体が勝手に指を締めつけてしまう。
「ぁ、あ、敦人……っ」
「そろそろ……変な感じになってきた?」
「ふぅっ、う、え?」
「わかります? まだ、文さんの気持ちいいとこ避けてるの」
背後に座っていた敦人が、ベッドをきしませて背中へ覆いかぶさってくる。頭のそばには左肘を置かれ、うなじに何度もキスが落ちた。
「でもね、今度はいっぱい触りますよ。最初はちょっとビックリするかもしれないですけど……怖がらないでくださいね」
「な、何? あ、やだ、何する……っ?」
「気持ちいいこと、ですよ」
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