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絶える星
下のほうから機械的な音が聞こえる。少年は声を低く落とし「行くぞ」と短く囁いた。それでも星が瞬くのを、少女はじっと見つめている。
ずんずん大きくなる。
ぐんぐん近づいてくる。
「何やってんだ、早く」
「…降ってくる」
「いいから、早く…!」
彼女はなけなしの力を全て込め、その袖を離さない。
「…!」
不意に足音は鳴りやんだ。腕が空を叩く音、暗く澱んだ呼吸音。
「ち…」
えらく大仰な人員が寄越されたものだ。この幼い灯を、莫大な光に換えるために。
そうまでして、光が欲しいか。
ザラついたドブ色の思惑がにじり寄ってくるのを察知して、彼は氷が砕けるくらいに、強く強く彼女を抱き締める。
「星飼一。貴様にも接収命令が出た。そいつと共に、燃えて光れ」
そして光が迸る、金属質の、産声が。
「真千っ…!」
ひとつが降れば、我も我もと皆が降る。
青いと言われたその星を、一心不乱にただ目指す。
一望は、絶え絶えの炎を通わせた。そこに広がるものを、閉じゆく瞳にしかと映した。
「何、これ…」
なぜだろうか。囲まれてみるとその光たちは、全身に纏わり付いて剥がれない。思い描いたような心地よさなどどこにも無く、耳障りな音がそこかしこ。
出所を探ればどれも、蜷局を巻いた利己欲だった。
綺麗なのは、上っ面の振りだと知った。その下にあったのは、簡単に様々を略取してきたせせら笑いと、奪われた幾つもの命の嘆き声。これが千景の言っていた、他の命を燃やした輝き。星ではない何かの、真実の姿。
「気持ち悪い…」
ようやく彼の声の、ドロリとしていた意味を理解した。だけど喜びに一笑を呷ることはもうできない。
「…」
感じたことのない吐き気の中で、一望が垣間見たのは、口を血で汚した一人の少女。
じっと自分を見つめている。その瑠璃色に吸い込まれていく。その中に瞬くものは、今、何を燃やして、そして何を燃やそうとしているのか。
逃れられない。
「…真千…」
星に願いを掛けるだなんて、やっぱり馬鹿げた世迷言だ。
一瞬前、一は、光の失せた彼の世界に唯一の光明を見つけたのだった。真闇をつんざくのを確かに見たのだった。だから願った。彼女がなりたいと言った星に、彼女の命を乞うた。
だが、それがもたらしたものは、どうだ。
「…ッ」
はかない希望の光をも打ち砕く、酷い戯れ。
うねりうごめく輝きと、生が流れ出ていく中で、彼は鉄の味を刷り込んだ。光という光を、呪った。
守りたい。生きて欲しい。それがそんなに、過ぎた願いだったのか。
「真千…っ」
どうして光は全てを奪う。
「…俺は、」
どうして光は命を燃やす。
「…お前にだけは…」
そしてとうとう、千景も有らん限りの炎を纏う。
それが他者を省みないことだと、解っていた。
混ざり合う紅に塗れた手と手。重ねれば、焼けるように冷たくて、融けるくらいに熱かった。
「そんな顔しないでよ」
真千はふふ、と笑おうとした。そうすれば、彼には綺麗な笑顔に見えると、頑なに信じていた。
片瞳に映る彼の、涙がその真っ赤な頬に落ちる。それを彼女が知ることはなかった。ぶつ切りになった感覚は、もうほとんど生きてはいない。それでも真千は研ぎ澄ました。
近くで、遠くで、何かが、聞こえる。
「…一つじゃなかった」
一千から一を引いた数だけ、音がする。真千には歓喜の足音に聞こえた。祝福の息吹を与えてくれる、彼らが千の天使に思えた。
「『見て』、」
彼女の上擦った声に導かれ、空へと、一は虚ろな瞳を向けた。瞬間、見開いた。動かないはずの瞳孔が、縮こまっていた心臓が、切なく激しく揺さぶられる。全てを失ったはずのそこへ、幾つも幾つも降ってきたから。
初めてそこを、綺麗と思った。声なんて、それどころか息すらも。
「…」
光がやってくる。永遠の夜を引っ掻いて、漆黒を千切って、欲深い空を塗り潰していく。
その星々の軌跡は、命は、極彩色。
「…これで私たち、星になれる」
たとえ全てを滅ぼしても、君の隣に。
ネオンは砕け、地表は捲れる。淀みは全て耕されていく。でもきっと、還る土も海も残らない。
千個目の星は、今にも此所に降り立つから。命を振り撒く、一番大きな千景星。一つ目の、小さな彼をもう見つけている。折り重なる二人をめがけて、あと何秒かで訪れる。
星の中に星があると、邪気無くわらう彼の好奇。
他の命の上に生きることを、嫌悪していた彼の選択。
ひとつの希望を見つめ続けた少年の嘆き。
星になりたいと言った少女の歓喜。
その願いが、もたらしたものは。
燃えていく、星も人も、命が全て燃えていく。
彼らの見せた、千の色は絶景で、絶望で、この地球上のどれよりも燦然と、明るく美しく輝いた。
二人は笑って瞼を閉じた。
絶世の光に包まれた。
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