エピローグ

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エピローグ

「穂乃香」 「なんですか」 「穂―乃―香―」 「うふふふ」 「……」  衛は、『たつ屋』の店先でやっと自分の所に帰ってきた彼女、穂乃香の名前を呼んだ。呼ぶ度に返事をしてくれる穂乃香にでれでれである。それを涼生は冷たい目で見ていた。 「やれやれ……店番が多すぎるね……」 「あ、涼生さん。俺、そろそろ引っ越ししますよ」 「え?」 「もう穂乃香も帰ってきたし、もう大学も始まるし」  穂乃香が龍神の元に帰ってきてから涼生たち一家と衛は同居している。行方不明になっていた穂乃香にはしばらく瑞葉とゆっくり過ごして欲しいと思っていたがそろそろいいだろう、と二人で話し合った結果である。 「おや、じゃあ俺の手伝いはどうするんだい?」 「それはお兄ちゃん、私がやるわよ。十分すぎるでしょ」 「そりゃ……まあ……」 「力仕事の時はお手伝いしますんで」 「……そうかい」  涼生はそれだけ言うと、二階に上がってしまった。 「まったく……お兄ちゃんは衛さんがお気に入りなんだから」 「そ、そうなのか……?」  衛は邪険に扱われ続けた数ヶ月を振り返った。お気に入り、とは。 「なんかね、衛さんにはそういう力があるのよ。近くにいると安心するの。お兄ちゃんもそうなんじゃないかしら」  波長が合う、という事だろうか。そういえば穂乃香との出会いも彼女が引き寄せられるようにやってきたのであった。 「そっか……近くでアパートとバイトが決まればいいんだけどな」 「なら、この店改装しちゃえばいいんじゃないかしら。そうねぇ……おしゃれなカフェとかに」 「えっ……昔からあるんだろ。この店に思い入れとか……」  衛がそう言うと、穂乃香は声をあげて笑った。 「無いわよ。私が小さい頃からやってんだかやってないんだか分かんない喫茶店だったもの」 「そうなのか……」 「いいじゃない、路地裏のひっそりとしたカフェ。」 「そりゃそうだが……先立つものと、涼生さんの許可がないと」 「じゃあ聞いてみましょうよ。うん、いい考えよ、うん。」  穂乃香はあっさりとそう言ったが、衛はあの涼生が承知するとは思えなかった。 「嫌だね」 「お兄ちゃん!」  やっぱり、と衛は下を向いた。穂乃香はテーブルをバンと叩いて抗議した。 「『たつ屋』に衛さんが居て欲しいのはお兄ちゃんでしょ!?」 「おや、そんな事言ったかねぇ……」 「言ったわよ! 素直じゃ無いんだから!」  二人の口喧嘩がはじまった。そう言えば、穂乃香は家出に近い形で出て行っていたんだっけ、と衛は思い出した。 「まあまあ……」 「衛さんはどっちの味方なの!?」 「あんたはそうやっていっつも日和って!?」  ああ、こういうところはまさに兄妹だ。衛は二人に板挟みにされながらそう考えた。 「カフェをやっても……お客さん……入らないだろうしさ……」 「なんで? 衛さんのクッキーは絶品よ!?」 「それは……」 「ふん。無駄さ、『たつ屋』には貧乏神がついてるからね」 「はあ?」  穂乃香は目をむいて兄を見た。 「あやかしのよろず屋なんて因果な商売には災難がつきものさ。それを貧乏神様が避けてくださってるのさ。代わりに『たつ屋』は繁昌しないけどね」 「な……」 「まぁ、福の神でも憑けば別かもしれないけどね」 「……福の神……」  もしそんなものが居たら大歓迎なのだが。穂乃香は俯いて考えこんでいる。 「分かった。もし福の神が来たら、お兄ちゃん認めてよ」 「おや、やる気かい? いいよ。もし出来たら改装の着手金も出してやるよ」  涼生はそんな事できるはずないとでもいうように鼻をならした。衛はそんな二人の横で、ひたすら小さくなっていた。 「さーて福の神を探すわよ!」 「お姉ちゃん、福の神って?」  瑞葉が学校から帰ってきた後、急遽二階の部屋で『福の神対策チーム』が結成された。メンバーは衛、穂乃香、瑞葉に藍と翡翠の付喪神たち。 「そんなカブトムシみたいにいるものかね」 「それはそうだけど、居ないわけはないと思うのよね。お兄ちゃんの口ぶりだと」 「じゃあ瑞葉は学校の周りを梨花ちゃんと探してみる!」 「では私達は骨董市と骨董屋を」 「私は寺社仏閣を回ってみるわ」  瑞葉、付喪神、穂乃香がそれぞれ探すエリアを決めた。 「俺……俺は近所を回ってみる……」  三人の視線が衛に集まったので衛はしぶしぶそう答えた。 「じゃあ、各自探索!」  それから各自、福の神を探して近所を回る事になった。    ――三日後。衛たちの部屋にあつまった対策チームはそれぞれの成果を報告に集まった。 「では瑞葉……」 「はい、パパ。梨花ちゃんには福の神のお友達はいませんでした。梨花ちゃんは学校のみんなを守らないといけないからうちにはこれないって」  梨花とは瑞葉の学校のトイレの花子さん。つまり厠神だ。不浄を払うという意味では福の神の一種とも言えるかもしれない存在である。 「俺もだ。モダン館の鞠さんに聞いたけど、あそこをいままで戦災や震災から守ってきたから動けないってさ。……穂乃香は?」 「龍神様にに問いかけても変になんの反応もないの……」 「そっか……藍と翡翠は?」 「うーん、これ幸運のブレスレットだって」  翡翠は半信半疑、という感じで妖しげな水晶のブレスレットを出した。結局みんな大した成果はなかったみたいだ。 「なぁ穂乃香。俺がほかでバイトすればすむ話なんだから、これくらいにしよう」 「衛さん。ごめんね……私、急に離ればなれになったし……お兄ちゃんとも喧嘩別れみたいになったから……みんなで仲良く暮らせたらって急ぎすぎたかもね」 「いいよ。それにみんな仲良く暮らすのはもうできてるじゃないか」 「そっか、そうだよね」  穂乃香に笑顔が戻った。衛はそれだけで十分だと思った。その時である。閉めてあった『たつ屋』のシャッターを叩く音がする。 「すみませーん」 「あ、お客さんかしら」 「どうせあやかしだろう。ちょっと行ってくる」  衛は下に降りてシャッターを開いた。すると……。 「どうも」  そこには三つ揃えのスーツを着た二十代中頃の美青年が立っていた。涼生とためを張るくらい……いやそれ以上に華々しい青年だ。 「今、ちょっといいですかね」  衛は同性のくせに一瞬ぽーっとその男に見惚れてしまった。男の問いかけにようやく我に帰って返事をする。 「は、はい……」 「ちょっとこちらにお邪魔したいんですが」  それを聞いて衛はもしやこの男は俳優かなにかか? と思った。最近よくあるアポ無し取材の番組とか……。カ、カメラはどこだ。衛はあたりをキョロキョロと見渡したが誰もいない。 「あ、あの……?」 「え……?」  ――二人は変な空気のまま見つめ合った。 「……という事で……こちらが『福の神』様です……」 「どーも、福の神でーす」  元気に福の神……先程の俳優のようなイケメンが手をあげた。 「は、はぁ……」  みんなその様にきょとんとしている。 「サンタさんみたいなおひげのお爺さんだと思ってた」  瑞葉がそう言うと福の神は笑った。 「うんうん、よく言われる」 「確かに人の気配ではないですね」  藍はよーく福の神を観察してそう言った。 「え、えーっと福の神さん。うちに来てくれたという事でいいんでしょうか」  穂乃香も戸惑いながらその男に聞いた。 「うん。福の神だからね。扱いが悪ければ他に行くけど」  それを聞いた穂乃香はばっと立ち上がった。 「おもてなしします! 藍さん、お茶を。あ、お腹すいてます?」 「はい、少し」 「じゃあ、衛さん。ほらオリジナルレシピの和風カルボナーラを……あれすごく美味しかったから……」  穂乃香の指示で皆わたわたと福の神のおもてなしに走った。 「お姉ちゃんー、瑞葉は何したらいい?」 「え、じゃあアニメのキュープリのダンス見せてあげなさい」 「うん! 福の神様、見てて~」  福の神は瑞葉のダンスを見て、藍のお茶を啜り、翡翠に盛り付けたカルボナーラを平らげた。 「どうです……?」 「うん……」  福の神は俯いた。持てなしが足りなかったのだろうか、それともどこか気に障ったのだろうか。みんなが不安そうにその顔を覗き混んだ。 「ふっ……」 「……?」 「ふふふふふふっ」  福の神は肩を揺らして笑いはじめた。衛と穂乃香は顔を見合わせた。 「あはははははっ……。いや、すまなんだ」  そしてもくもくと煙がたったかと思うとそこにはボロをまとったしわしわの老人がいた。 「ワシじゃよ」 「……貧乏神」  衛は呟いた。それはいつだったか家にきたあの小さな貧乏神と同じ姿だった。 「あの時手厚くもてなしてくれたからの。戻ってきたよ」 「いや、あの貧乏神……? え……?」  衛の頭のなかは大混乱だ。福の神が貧乏神になった。これはいっぱいくわされたという事なんだろうか。 「はっはっは。福の神と貧乏神は表裏一体。手厚くもてなされた貧乏神は福の神となるのよ」  貧乏神はそう言って穂乃香に向き合った。 「龍神の愛し子よ。お勤めご苦労であったな。褒美として龍神からここで災厄を払えと言われて来たよ」 「ほ、本当ですか」 「ああ……だから……商いでもなんでも安心してはじめるといい……」  そうして貧乏神改め、福の神はすうっとその姿を霧のように消した。 「これって……」 「カフェがオープン出来るね、着手金付きで」 「お兄ちゃん!」  振り返るといつの間にか涼生が居間の入り口に立っていた。 「ただし店名は『たつ屋』だよ。あやかしが迷ったらいけないからね」  それだけ言って去ってった涼生の後ろ姿を見ながら、衛はもしかして涼生は全部承知の上だったんじゃないかな、と思ったが問い正しはしなかった。涼生が認めるとは思えなかったからだ。    それから、嘘みたいに順調に銀行の融資も降りて、内装工事もはじまりしょぼくれた喫茶店『たつ屋』はおしゃれなCafe『たつ屋』に変貌を遂げた。  色白美人の淹れるお茶やコーヒー、それからランチには美味しいパスタ。もちろんスイーツも美味しい。とくに手作りのクッキーは大人気だ。そんな木目調の落ち着いたカフェは、今日も深川の路地裏で営業中だ。 「あの……ここが『たつ屋』さんですか」  だけど……その看板の横には何故か、雨風に晒され続けた『よろずごと請け負います』という木の板がぶら下がっているのだった。  完
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