うわさのあの子

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うわさのあの子

「それじゃあなんだい。料金も決めずに仕事を引き受けたのかい」  不機嫌そうな涼生を前に衛は身体を縮こまらせていた。 「は、はい……」 「ったく、どこの世界に金を貰わずに仕事するヤツがいるんだい」 「申し訳ないです……」  涼生の小言にますます小さくなる衛を見て、藍も頭を下げた。 「あの、私も翡翠の事で頭が一杯で……」 「あんたはどう支払うつもりだったんだい」 「その時は自分を売って貰おうと……」 「それじゃ赤字だよ! あの金継ぎのキットいくらしたと思うんだい」  涼生はレシートを藍の目の前に突きつけた。 「そ、そうだうちで店番して貰えばいいんじゃないかな」 「こんな寂れた店に店番なんかいらないだろ」 「た、確かに……」  涼生の言う通り、涼生と衛がいるだけで十分である。それ以上妙案が浮かばなそうな衛を見て、涼生はため息混じりにこう提案した。 「仕方ないね、知り合いの店で働かせて貰えないかどうか頼んでみるよ」 「本当ですか?」 「付喪神にマイナンバーはないだろうしね……融通が利くところを探してやるからそこで働くんだよ」  その提案に藍と翡翠は大きく頷いた。 「はい!」 「姉様が働くなら僕も!」 「あのー、あんまり変なとこはやめて下さいね……」  衛は不安そうに口を挟んだ。実年齢は百を超えていたとしても、見た目は儚げな美少女と美少年なのだ。 「考慮しておくよ」  そう言った涼生が探して来たのは、屋台の店番の仕事だった。二回程、二人がソースせんべいの屋台を手伝って、今回の依頼は完了した。 「いい客寄せになったみたいじゃないか」  二人の働きぶりを店主から電話で聞いた涼生は二人にねぎらいの言葉をかけた。 『客商売って大変なんですね……』 『疲れました』  一方、人にあてられて疲れた二人は皿の形に戻ってぐったりとしていた。そこにまたも涼生が冷や水を浴びせる。 「で、あんたたちこれからどうするつもりだい」 「え……」  そう、この二人には行き場所が無い。下手に元の骨董屋に戻れば、またバラバラになるかも知れない。翡翠に至ってはもしかしたら捨てられてしまうかもしれない。 「涼生さん、どうかここに置いてもらえませんでしょうか」  藍は三つ指をついてお願いをした。続いて翡翠も懇願する。 「お掃除や洗濯物を手伝います! どうかお願いします」  二人の必死な様子に、衛も同情して加勢した。 「涼生さん、ほらお皿ですし……食費もいらないし場所も取らないじゃないですか」 「うちはあやかしの養護施設でも保養所でもねぇんだが……まったく……」  涼生は文句を言いながらも、ようやく二人を受け入れてくれた。こうして『たつ屋』は二人のあやかしとともに生活する事になったのである。 「俺も甘っちょろくなったねぇ……」  瑞葉と洗濯物を畳む二人のあやかしの姿を見て、涼生は薄く笑いながら階下へと降りていった。  そして土曜日。衛は付喪神達が瑞葉とトランプで遊んでいるのを良いことにマンガ雑誌を読んでくつろいでいた。そこに瑞葉がやって来た。 「衛くん、今度こそプリン作って!」 「ん、ああこの間は悪かったな。でもあとでコンビニで買ってきたじゃないか」 「衛くんの作ったのがいいの!」  衛がそう言うと、瑞葉はかんしゃくを起こして地団駄を踏んだ。 「なんだ、どうした」 「梨花ちゃんが食べたいって言うから……」 「それならそう言えばいいのに、いいよ作ってあげるよ」  この家でお菓子を作った事がないので、衛は留守番をあやかしと瑞葉に任せて財布を手に買い物に出かけた。 「卵と、牛乳とレモンにバニラエッセンス……」  衛のプリンとはイタリアのデザート、クレームカラメルの事だった。オーブンで湯煎蒸しにしたどっしりとした固めプリンである。 「おかえりなさいっ」 「ああ、でも一時間半くらいかかるからな」  衛ははしゃぐ瑞葉に釘をさした。買ってきた物をテーブルに広げていると、藍がやって来てじーっと見ている。 「今回は君たちの出番はないよ。プリン型に入れるんだから……あ、プリン型って持って来たっけ……」 「どうやら無いようですよ?」  藍は付喪神の力で分かるのか、あたりを見渡してそう言った。 「仕方ない、グラタン用の耐熱皿で作るか……」 「そしたら、大きいお皿も要りますよね?」 「……その時は頼む」 「はい」  藍は、鼻歌でも歌い出しそうな様子で頷いた。それを羨ましそうに見ているのは翡翠である。 「……いいなぁ。僕は欠けてるから……」 「ああ、もう。お前に乗せる分も作るからじっと待ってろ!」  恨めしげな翡翠の様子を見て、衛はデザートプレートを作る事にした。瑞葉のパンケーキ用の粉糖とチョコソースは幸いある。 「ちょっと、君たちついでのお使い頼む。ミントと冷凍のベリーミックスを買って来てくれ」 「ミント……?」 「冷凍ベリー……ミックス?」  骨董屋で過ごしていた姉弟にはどうやら通じなかったらしい。 「ほら、このメモ持ってスーパー行けば分かるから!」  衛はようやくお皿達を台所から追い出す事に成功した。 「さて、と」  衛は片手鍋に牛乳とレモンの皮を剥いて入れ火にかける。ふつふつした所で火を止めて、今度はカラメルを作る。砂糖水が色づくまで煮立てて、それを耐熱ガラスのグラタン皿に移す。  さらにボールに卵。砂糖、バニラエッセンスを入れて泡立て器でさっと混ぜ、こし器を通しながらグラタン皿に移した。そして温めたオーブンで湯煎蒸しにして一時間、ようやくプリンの完成だ。 「藍、翡翠。皿の形になってくれ」 「はーい」  どっしりした固いプリンに冷蔵庫にあったアイスを添え、ミントとベリーを散らす。粉糖をかけ回したあとに藍に「RINKA」、翡翠に「MIZUHA」とチョコソースで書いた。 「ふう……出来た」 「ただいまー! 梨花ちゃんつれてきたよー!」  ちょうどタイミング良く瑞葉が帰ってきた。 「やあやあ、いらっしゃい。おやつ出来てるよ。あがって」  そこに居たのは白いブラウスに赤いスカートの地味な印象の女の子だった。 「おじゃまします……」  梨花は衛に頭を下げると、瑞葉に連れられて居間へと向かった。 「……ん? なんかどこかで会った気がするな……」  衛は梨花の後ろ姿を見ながら、違和感を感じて呟いた。 「うわーっ、キレイ!」 「ふふん、お嬢様方、ドルチェ二種盛り、ベリーとチョコソースを添えてです」  衛が椅子を引いてやり、少女達は席についた。 「プリンが丸くない……」 「ああごめんな、プリン型がなくてな」 「しかたないね。梨花ちゃん、これが丸くないけどプリンだよ」 「へぇ……」  梨花はじっと皿の上を見つめて、衛に聞いた。 「この字はなあに?」 「ああそうか、まだローマ字読めないのか。いい? こっちが『りんか』、でこっちが『みずは』」 「わぁ、お名前を書いてくれたの?」  梨花と瑞葉はプリンにスプーンを入れてさっそく口に運んだ。子供向けにカラメルはあまり苦くないように調整してある。 「うーん、衛くんのプリン美味しい」 「プルプルしてて卵焼きみたい」 「そうだな、ゼラチンを使ってないから市販のプリンと違って卵の味が濃いと思うよ」  続いて二人は、アイスクリームとプリンを一緒に食べた。瑞葉がじたばたと足をばたつかせる。 「はー、苦いのと甘いのを一緒に食べると美味しい!」  瑞葉の舌は子供の割に肥えている。 「アイスクリームまで……贅沢ですねぇ」  梨花はしみじみとそう言った。さっきのプリンの時といい、リアクションが一々新鮮だ。 「もしかして、プリン食べた事なかったとか」 「あ、そうなんです。その話をしたら瑞葉ちゃんがご馳走してくれるって」 「そうなんだ……」  今時プリンを食べた事がないなんて、よっぽど厳しい親なんだろうか。それとも……衛はある考えに行き着いて血の気が引いた。 「も、もしかして卵アレルギーとか!?」 「いいえ」 「そっか、よかったー」  衛は胸をなで下ろした。ご馳走するのはいくらでも構わないけど、今度からは確認しないとなと衛は反省した。その横で、二人の少女はもりもりとおやつを平らげていく。 「ふーっ、おなかいっぱい!」 「ごちそうさまでした」  瑞葉が満足そうに口を拭い、梨花は衛に向かって手を合わせた。なんだろう、さっきから漂うこの違和感は、と衛は思った。梨花の行動がどうも年相応でないというか。 「それではお礼にトイレ掃除をさせて下さい」 「へっ、いやいやお客さんにさせるわけには……」  突然の申し出に衛は面食らった。トイレ掃除? 瑞葉も嫌がってやらないのに、と。 「そう……ですか……。あの、瑞葉ちゃんから何も聞いていませんか」 「いや、梨花ちゃんが来るとだけ……」 「あらやだ。瑞葉ちゃん、衛くんは大丈夫だって言ってたじゃない」 「ん? 大丈夫だよ? 梨花ちゃんが人間でなくても」  そこまで聞いて、衛は眩暈がした。梨花は人間ではない? という事は、瑞葉がずっと親友のように語っていたのは人外のあやかしの類いだったという事だ。別にあやかしの存在を否定する訳ではないが瑞葉の将来がちょっと心配になってしまう。 「では、キチンと自己紹介を、私の本当の名前は『花子』。梨花は瑞葉ちゃんがつけたあだ名です」 「だって、花子って猫とか犬みたいでしょー。今時っぽくないっていうかー」 「そして私の通称は『トイレの花子さん』……厠神の一種です」 「トイレの花子さん!?」  道理でどこかで見た事のある気がしたのだ、と衛は思った。実際、衛が花子さんを見た訳ではないが、赤いスカートにおかっぱ頭というイメージがまさにそれだった。 「ここはあやかしのよろず屋でしょう? ですから私は何かお返しをしなければなりません」 「いやあ……そうだ、梨花ちゃんには翡翠を探すヒントを貰ったし、そのお礼という事で」 「翡翠……?」  梨花が首を傾げると、テーブルの上の藍と翡翠が人型に変化した。 「あなたが翡翠の鳴き声を聞き取ってくれたのですか……!」 「おかげで姉様と再び出会う事が出来ましたっ!!」  二人でまるで食いつくかのごとく、手を握り、頭を下げて感謝を捧げる。 「そんな、たいした事していませんから」  梨花は勢いに飲まれて居心地悪そうにしながらもそう言って頷いた。 「ってな訳で、トイレ掃除は今回はいいので」 「いや、アイスも頂きましたので遠慮なさらず」  梨花が微笑みながら手を振ると、トイレのドアがばんと音を立てて開いた。 「穢れよ、ここから立ち去りなさい」  そういうと、もわっと黒いもやのようなものが膨れあがり、トイレの窓から出て行った。 「ほんのお礼です」 「は、はい……」  衛はあっけにとられて、黒いものが飛び去った方向を眺めていた。 「本当にお礼したかったんです。瑞葉ちゃんは私とお友達になってくれたし……」 「梨花ちゃんが見えるの私だけみたいなのー」 「勘の良い子は声が聞こえたりするみたいなんですが、こうやって一緒に遊んでくれるような子はあまり居なくて……瑞葉ちゃんが入学してきてから退屈しなくなりました」 「そ、そりゃ良かったです」  衛の胸の動悸がようやく治まったのを見届けて、梨花は帰っていった。……学校の方向へ。 「あら、トイレの電灯取り替えたのか?」 「ああ、いや掃除しただけです」 「ふーん……まぁいいさね。これくらい気合い入れて掃除するときっと良いことがあるよ。なんせトイレには神様がいるからね」  外から帰ってきた涼生にそう言われて、それなら穂乃香が帰ってきますようにと衛はトイレに向かって拝んだ。  今日も、喫茶店『たつ屋』の客足は芳しくない。衛はテレビを見ながらあくびを噛み殺して店番をしていた。衛の授業のない時はいつも涼生は店を衛に任せっきりで何かしている。 「ヒマそうだのう」 「あ……」 「宣言どおり来てやったぞ、どれクッキーは……なんだ三つしかないのか」  そこに現れたのは葉月だった。肩には白玉が乗って辺りの匂いを嗅いでいる。 「他にプリンとかもあるけど……」 「ほう、これも美味しそうだ。なぁ、白玉」 「あ、猫にクッキーとかプリンあげちゃだめですよ」 「そうなのか、では白玉が猫又になるまで待たなくてはならんな」 「先に言ってもらえれば猫用クッキーも作りますよ」 「なぬ、そんなものがあるのかっ」  葉月は残りの持ち帰り用クッキーを全て購入してお金を支払った。このお金はどこから来たんだろう、まさか葉っぱに化けたりしないよな、などと衛は考えた。顔に出ていたのだろう、それを見た葉月は鼻を鳴らして言った。 「これは稲荷の賽銭だ。心配するな」 「あっ、すみません……それにしてもそれ全部食べるんですか」 「菓子は好きだな。ほれ、人間と違って太ったりなんぞしなくていいからの」  そりゃ羨ましいな、と近頃ちょっとたぷたぷしてる自分のお腹の事を衛は考えた。 「おっ、カトレアだ」  すると葉月が急にテレビを指さした。やっているのはワイドショーのワンコーナーである。 「カレーパンですか」 「この店、ここから近いぞ。私も以前買いに行った事がある」 「へぇぇ、うまそうだな」 「うむ、なんせカトレアのカレーパンは正真正銘の元祖だからな」 「ほう」  元祖といってもそれで美味いとは限らない、と衛が考えていると葉月はさらに続けた。 「具がたっぷり詰まっていて……うーん食べたくなってきた……」 「そのクッキーどうするんですか」 「そうだった。とにかく私のおすすめだ。今度行って見ると良い」  そう行って葉月は白玉を連れて去っていった。 「カレーパンかー。そういえば近頃食べてないなぁ……」  カレーパンの事を考えていたら無性に食べたくなってきた。確か葉月は近くだと言ってたな、と衛は携帯で検索してみた。 「森下……十分も歩けば着くか」  出てきた情報によれば、一日三回の焼き上がり時間があるようだ。今なら十五時の焼き上がりに間に合う。 「涼生さーん」 「なんだい、うるさいな」  なにやら奥で内職めいた事をしていた涼生が、ひょこっと顔を出した。 「ちょっと出かけてこようと思うんですけど……なにしてるんですか」 「これはあやかしにあてられた人間を守る護符さ。ネット通販で売るわけだ。俺が稼いどかないといかんからな」 「すみません……居候で……」 「いいさ、この店はあやかしの為に開けてるんだし。で、どこに行くんだい」 「森下のカトレアってパン屋さんに」  涼生の目がほう、と細くなった。 「カトレアのカレーパン……そういや最近食べてないね……」 「じゃあ、明日の朝ご飯用に三個買ってきます」 「いや……六個買って来な」 「多くないですか? まぁ、いいですけど」  涼生の承諾を得て、衛は森下へと向かった。プラプラと通りを歩く。道は広くてキレイなんだけど、こんな所にパン屋なんてあるのか、と思っている所にその店はあった。 「カトレア、ここだ」  早くも行列が出来ている。衛はその列の最後尾に並んだ。 「三時の分焼き上がりましたー」  という店員の声に列に並んでいる客はそわそわしだす。香ばしいいい匂いが漂ってきた。 「これは美味しそうだ」  じっと順番を待って、ようやく自分の番がやってきた。 「何個ですかー」 「あっ、六個お願いします」 「はーい」  そう言って、詰めてくれたパンはどっしりと重たかった。それにしても衛からしたら羨ましい盛況ぶりである。 「うちも何か名物があればいいのかな」  いまだ、『たつ屋』の繁盛を諦めていない衛であった。  自宅に帰ると、瑞葉も学校から帰って来た所だった。二人を前にカレーパンを広げると、涼生も瑞葉も顔を輝かせた。 「おお、揚げたてだね」 「ええ、まだちょっと温かいです」 「はやく食べようー」  結局そうなるのか、と衛はため息を吐いた。 「楽しそうね」 「僕ら食べられないのが残念だね」  藍と翡翠はそう言いながら、涼生と瑞葉の喜びようを見ている。 「じゃあ、せっかくだから頂きますか」 「はーい」 「瑞葉のは甘口のやつな」  今日のおやつは揚げたてカレーパン。三人それぞれ、パンに食らいついた。ざくっとした衣を噛むと中から具が溢れてくる。惜しみ無く入れられたカレーは懐かしい味付けでとても美味しい。 「うーん、揚げ油は植物性かな」  サクサクと軽く揚がったパン生地をつまみながら、衛がつぶやく。噛むほどにしつこくない油の旨味とカレーのスパイシーさが襲ってくる。 「これこれ、他のパン屋は具が少なくていけないや」  涼生も満足そうに頷いた。 「もう一個いい?」  ペロリとカレーパンを平らげた瑞葉が手を伸ばすのを涼生が止める。 「それは朝ご飯の分! デブになってもしらねぇぞ!」  その様子を見ながら、藍と翡翠はまた残念そうに呟いた。 「ああ、せめて明日の朝乗せて貰えるといいわね」 「そうだねぇ」  そんなあやかしの呟きなどものともせず、三人は元祖カレーパンを堪能した。
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